現地で “マック暮らし”になった日本人男性(48)「今はつらいです」 仕事を求めてタイに渡った男の切ない末路

2021年07月06日 | 海外移住で地獄に堕ちたはなし

現地で “マック暮らし”になった日本人男性(48)「今はつらいです」 仕事を求めてタイに渡った男の切ない末路

6/30(水) 17:12配信
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文春オンライン

「今さら地元に帰ってもね…」成長するアジアで夢を掴もうとバンコクへ渡った女性に迫る“皮肉な現実” から続く

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 労働市場において閉塞感が漂う日本社会を飛び出し、経済成長が著しいアジアで働きたいという若者たちが一時ブームとなった。彼ら彼女らの現地での生活実態とは……。アジアに暮らす日本人についての著書を多数出版するノンフィクションライター水谷竹秀氏は現地を訪れ、取材を行った。

 ここでは、そのもようをまとめた著書『 だから、居場所が欲しかった。 』(集英社文庫)の一部を抜粋。転職を繰り返し、仕事も人生も将来が見えなくなり訪タイするも、現地で職を失ってしまった48歳男性、関根の暮らしについて紹介する。(全2回の2回目/ 前編 を読む)

◆◆◆
「路上生活したら、就職も何も考えず楽になるのかなあ」

 アパート4階の一室はまだ引っ越し直後のため、荷物が入った段ボール箱が床にいくつも転がっていた。広さは約30平方メートル。動物好きなのか、関根はベランダの近くにハムスター、なまず、モモンガを飼っていて、その籠が並んでいる。トイレの前の化粧台の上にはガスコンロがあり、そこにご飯を炊くための鍋が置いてあった。この鍋でタイ米を炊き、関根は何とか生活しているのだ。

 ベッドの上にはフリーペーパーや壊れた携帯電話、かばん、ラケット状の蚊たたき、ペットボトル、脳梗塞用の薬などが散乱している。エアコンがないため、部屋の中はかなり蒸し暑い。天井にはプロペラ式の扇風機が回ってはいるが、じっとしているだけで汗が吹き出てくる。

「エアコンはないですけど思ったより夜は涼しいですよ」

 そう言う関根も私も汗だくになっていた。

 関根が取り出したイエローページには、かつて職を探しまくった痕跡がボールペンで残されていた。片っ端から脈がありそうな企業に電話をかけまくり、駄目だった企業の欄には×印が付けられていた。

 ベランダから外を見渡すと、いつの間にか激しい雨が降り始めていた。スコールだ。

 私は関根に現在の心境を尋ねた。

「今はつらいです。先がまったく見えないので。投げやりで路上生活したら、就職も何も考えずに楽になるのかなあと。そりゃ投げやりになることもありますよ」

 腕を組みながら語る関根の首筋には汗が光っていた。30分ほど部屋に滞在し、私はアパートを後にした。


再び取材をするために、爆破テロ直後のバンコクへ

爆破テロの現場に手向けられた花 写真=筆者提供

 再び関根のアパートを訪れたのはそれから2カ月後のことだった。

 ちょうどその時期に当たる2015年8月17日、バンコク中心部にある最大の商業地域、ラチャプラソン地区で手製爆弾が炸裂して20人が死亡、128人が負傷するという大惨事が起きた。負傷者の中には日本人駐在員も含まれており、爆発物から飛散した破片を腹部などに受けて病院へ搬送された。ラチャプラソン地区には、東南アジア最大級と言われるショッピングモール「セントラルワールド」やバンコク伊勢丹、高級ホテルなどが立ち並ぶ。日本で言えば新宿駅東口のアルタ前が爆破されるのと同じようなものである。

 爆破テロからおよそ1週間後に私が現場を訪れた時には、爆心地となったエラワン廟中央の祠は白い布で覆われており、中を見ることはできなかった。爆破の衝撃を示す残骸はすべて撤去され、掃除が行き届いていた。祠の前に設置された線香立てからは煙がもうもうと立ち上がり、そのにおいが鼻腔を刺激する。献花台には黄色い菊が山と積まれ、その前で祈りを捧げる人々の往来が絶えない。すぐ近くでは煌びやかな衣装に身を包んだタイ人の若い女性たちが、木管楽器のリズムに合わせ、ゆったりとした歌を歌いながら両手両足をくねらせて踊っている。

 夕暮れ時が迫ってくるにつれ、迷彩服姿の兵士や警官が徐々に増えてきた。まだ事件直後だからタイの治安当局も厳戒態勢中なのだろう。

 エラワン廟を囲う鉄柵には犠牲者を悼む花束6本が立てかけられていた。その花束と一緒に、英文が書かれた白い紙も添えられていた。

〈タイのために、そしてバンコクのために祈りを捧げよう〉

 現場には、マイク片手に取材協力者を探す若い女性キャスターたちの姿も見られた。私はすぐ近くのベンチに座っていた若いタイ人女性に今回の爆破テロについて話を聞いてみることにした。

「観光客をはじめ多くの人々の命が不幸にも失われ、彼らの人生が破壊されたわ。なぜこんなことが起きてしまったの? 現場にいた人たちもまさか自分たちがこんな被害に遭うとは思ってもいなかったはず」

 別のベンチには白髪の欧米人男性が心地好さそうに座っていた。米国ペンシルバニア州在住の60代で、観光旅行で訪れたとのことだった。

「爆破テロが起きた時、私はチェンマイにいたんだよ。ちなみに今泊まっているホテルはこの現場の真横。間一髪だったね」

タイ国家警察は8月下旬から9月上旬にかけ、2人の男を相次いで逮捕した。うち1人を実行犯と断定したが、逮捕状を取った残りの容疑者15人については行方も分からないまま、10月半ばに捜査の打ち切りを宣言した。国際的なイメージ下落を防ぐことがその目的とみられているが、あまりにも尚早な幕引きに国内外からの反発は必至であった。

 私が関根のアパートを再訪したのは、バンコクがまだ爆破テロの余波に揺れている渦中のことだった。
「もういい加減にして下さい!」と取材拒否

 最寄りのMRTの駅を出ると、夕暮れ前の空から雨が降りしきっていた。

 パッタイ(タイ風焼きそば)や唐揚げ、フルーツなどを販売する屋台が並ぶ歩道を歩き、そこからタクシーに乗った。数分程走ると、見覚えのあるベージュ色のアパートが左手に現れる。この辺りは閑静な住宅街だ。

 菊地(編集部注:タイに渡り、現地でコールセンター勤務を経て会社を設立した男性)の経営するレンタカー会社の事務所はすでに閉店時間を過ぎ、窓ガラスのカーテンも閉じられていた。カードキーがないとアパートの中には入れないので、私は他の住人が来るのを待ってさりげなく後ろに付いて入った。4階に到着し、左手に伸びる廊下を歩く。手前の部屋のドアは半開きになっており、中は電気がついていなかったため薄暗く、若いタイ人2人が特に何をするでもなく、静かに座っていた。

 その隣のドアをノックすると、間もなく黄緑色の無地のTシャツを着た関根がぬっと顔を出した。私を見るなり、一瞬、驚いたような表情をした。

「以前お会いした水谷です。マニラから電話をかけてもつながらなかったので」

 と話し出したところで、関根が明らかに嫌悪感を示しているのが分かった。

「一昨日バンコクに来たのですが、あらためてお会いできるお時間はありませんか?」 

「忙しいので、ちょっと今は難しいですね」

「色々とお話ししたいことがありまして」

「もういい加減にして下さい!」

 関根はそう言い放ち、ドアをピシャリと閉めた。部屋の中は、相変わらず物が散らかっているようだ。前回会った時より、心なしか痩せているように感じられた。

 これ以上押し入るわけにもいかない。アパートを出ると、まだぽつりぽつりと雨が降っていた。彼が取材を拒否するのには理由がある。取材を受けたと例の友人にあれこれ話したところ、激怒されたのだという。それで関係がこじれたので、もう取材されたくないとのことだった。

とうとう「マック難民」に……

 仕事をしている風でもなさそうなのに、どうやって生活をしているのだろうか。前回訪れた時に家賃の支払いが厳しいとぼやいていたはずだが、そのお金はどうやって調達しているのだろう。

 色々な疑問が頭の中を駆け巡ったが、「いい加減にして下さい」と関根が言う以上、その場を立ち去るしかなかった。

 その後、レンタカー会社を経営する菊地からフェイスブックを通じて連絡が入り、関根の近況がわかった。関根はアパートを追い出され、職探しも全く進んでいないようだった。

 それどころかバンコクでとうとう「マック難民」になっているのだという。

「朝出勤したら、彼が『報告に来ました!』と訪ねてきたのですが、特に報告されるほどの事はありませんでした。マクドナルドで寝ているみたいです。 観光ビザはもうすぐ切れるらしく、延長しようかなと言っていましたが、そのお金も無いみたいで。飛行機代も無いので、どうしようかなと言っていました。僕が金銭的に助けてくれるかもと心のどこかで期待していたのかもしれないですね」

 さらに翌日にはこんなメールが届いた。

「さっきオフィスの前を通ったらまた彼が座っていました。なんの用事でしょうか。負の気が入るからあんまり会いたくないんですよ」

 この2週間後、マクドナルドで関根が眠っている写真が菊地から送られてきた。

 カウンター席に座り、青い毛布のようなものを背中に掛け、顔をテーブルに伏せて憔悴しきった様子だ。その後ろには青いスーツケースが1個置かれ、取っ手の部分には何かが入ったビニール袋二つがくくりつけられていた。午前7時半ごろに撮影したというが、店内に客の姿はなかった。

 これ以降、彼がどこで何をしているのかは杳として知れなかった。

【前編を読む】 「今さら地元に帰ってもね…」成長するアジアで夢を掴もうとバンコクへ渡った女性に迫る“皮肉な現実”

水谷 竹秀




xeb***** | 6分前

現地大使館によるとタイやフィリピンに女追っかけてホームレスになるパターンは結構あるみたいです

返信0

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hid***** | 3分前

なんだこれ?

と思ったけど最後まで読んでしまった。

何か美味しいもの食べよ。

返信0

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q03***** | 3分前

日本でダメなら海外?考え甘すぎだろう。

返信0

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ftghu | 9分前

なんじゃ、この記事

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ja****** | 9分前

図々しい記者だな

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roc***** | 1分前

尻切れトンボな終わり方。
読んで損した‥。

返信0

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fum***** | 1分前

読んで損した

返信0

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ele***** | 9分前

おいおい、メシの種にしたんだから帰国くらい手助けしてあげてもいいんじゃないの?

返信0

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ofe***** | 6分前

自業自得。 というより タイで 日本人の評判は 悪くなる一方ですね。
情けない。 恥ずかしい。







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