突然理由なく転んだ…人気声優が難病「ALS」を発症した日の話

2020年04月25日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備



突然理由なく転んだ…人気声優が難病「ALS」を発症した日の話

4/25(土) 11:01配信

現代ビジネス
突然理由なく転んだ…人気声優が難病「ALS」を発症した日の話

写真:現代ビジネス
つまづいてないのに転んだ日

 2019年の3月のこと。買ったばかりの長靴タイプのスノーブーツを履いてスタジオに向かっている時でした。

【写真】走り回って舞台に立っていた…津久井教生さんがALSを発症する直前

 赤坂のちょっとした坂の上にあるスタジオに向かう最中に前から右折車が来たので小走りに道路を渡ろうとしたところ、何もない場所であるにもかかわらずつま先が思ったよりも上がらず、盛大に転んでしまったのです。 

 自分自身でも全くもって何が起こったのか理由が分からずに、車の方もあまりの見事な転びっぷりに窓を開けて「だ……大丈夫ですか?」と声をかけてくれた程でした。運動神経と体幹バランスには自信があった私としてはショックを受けた出来事でした。 それでもまだ帰宅して妻に「今日、盛大に転んじゃってびっくりしたんだ、でもうまく転んで怪我はなかったんだ」と笑いながら話せた感じでした。

 しかし、その転倒の数日後、今度は平坦な道の段差で同じように転びかけました。 確かに電車の時間に間に合うようにと少し小走りではあったのですが、普通に考えて転ぶような状況ではない場所です。さすがに「あれっ?」と思いましたが、「今年おろしたばかりのブーツがあわなかったのかな?」くらいにしか思いませんでした。そして、履きなれた靴に履き替えて「転ばないように」という感覚をしっかりと脳裏に焼き付けながら歩き始めたところ、転ぶことは無くなりました。

 実は後から知ったのですが、この一連の事はALS(筋萎縮性側索硬化症)や重症筋無力症をはじめとした運動神経が麻痺するタイプの病気の顕著な初期症状なのでした、通常ならば新しい靴にすぐに慣れていた運動神経が、靴に慣れるどころか適合しない方向に向かってしまうという事。 この「あれっ?」から始まって1年後に「全く自力で歩けない」状態にまで現在進行しています。

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「ニャンちゅう」の声でおなじみの声優・津久井教生さん(59歳)がALS(筋萎縮性側索硬化症)にかかっていることを公表したのは、2019年10月のこと。最近では美容家の佐伯チズさんもALSであることを公表しました。

「ALSは闘う事ができない病気、『難病』なのです」津久井さんは言います。そして、声優として、音楽家として、テレビや映画のみならず多くの舞台を主宰するなど活躍してきた津久井さんが、公表から半年経ったいま、ALSに罹患した自身のことを率直に綴れるようになったそうです。連載「ALSと生きる」の第1回は、発症したときのことをお伝えいただきます。

「どんな病気か」は知られているけれど

 ALSであることを10月に告知して半年余りが過ぎました。

 ようやくこの病気について話し始めることができるようになった感じです。それだけ、このALSという難病が実体の掴めない個性豊かな難病であるという事なのです。

 現在の私は自力歩行ができずに車椅子で生活をしています、右手も上にあげることが難しくなりつつあり、握力の低下も進んでいます。

 ただ、椅子から両手を使って立ち上がることができ、つかまり立ちができる状態を維持しています、そして奇跡的と言われていますが「声を発する機能が無事」なのです。そのおかげで、この状態で声優としてのレギュラーのお仕事をさせていただいています、現状を見ていただくことも含めてYouTubeに「津久井教生チャンネル」を開設し、「言葉を発することを治療の一環」とさせていただいている状態です。

 ALSという難病は著名な病気なので、ネットで調べていただければすぐにヒットします。

 病気の紹介文献や様々な情報を読んでいくごとに気づく事があります、それは「ALSという難病が体にどのような影響を及ぼすのか?」という問いに関しては、詳しい記事が多いという事です、ですからその部分に関しては理解することが容易な病気ともいえます。

 しかしながら「ALSはどのようにして罹患するのか?」「ALSの治療方法はあるのか?」に関してはほとんど文献での説明がなされていません。つまり、いまだに原因が解明がされていない病気なのです。

 この病気の可能性を主治医から告げられ、病気の説明を聞けば聞くほど「暗い気持ち」に傾かざるをえませんでした、これはネットで調べたものもほぼ同じになります。 

 「3年から5年で寝たきりになり死に到る」
「難病に指定されていて治療法が確立していない」 

 この2本が柱になっていて、あとは他の難病との違いが明記されているだけ……。

 現在、日本国内で1万人ほどの患者がいます(難病情報センターHP発表では平成26年度で9950人)。その数がだいたい少しずつ増加し続けているのは、高齢者の数が増加しているからであり、ALSと認定される数とお亡くなりになる数がだいたい同じ人数なのは、人工呼吸器や胃ろうなどの延命の方法が進化してきているためだと思われます。

 治療法があれば主治医を筆頭とした病院のドクターたちと、そして家族や仲間たちの力も借りて、完治するために病魔に立ち向かう事ができるのですが、残念ながら現代医学の力をもってしても現状でそれが確立していない状況です。確立した治療法で目的をもって「闘う」事が出来ない病気、難病なのです。

直前まで舞台で走り回っていた

 冒頭でご紹介した、ブーツを履いて転んだ少し前のことからお話しましょう。

 最初の大きな違和感を抱いたのは2019年3月でした、今から約1年と少し前です。その時私は舞台の朗読劇でアドリブをガンガンと発して客席になだれ込むくらいに元気に動いていました。花粉症でもある私は例年通りに声がハスキーになり「3月の津久井はいないものと思ってくれ!」などと周囲に告知するほどの体調でしたが、舞台が容易にできるくらいに体は動いていたのです。

 「どでかく転んだ事件」が起きたのは、その直後のことでした。

 ALSは、筋萎縮性側索硬化症という名の通りに身体の筋肉が萎縮して硬化して動かなくなっていきます。先ほど書いたように、「3年から5年の期間を経て」寝たきりになることが通常の症例だと考えると、残念ながら私の進行度合いは早い方であるという可能性が高いと思われます。

 2回転んだ後は、春になり靴もウォーキングシューズタイプになったことも一因なのか、階段の上り下りの「上り」に若干の疲労感を感じるものの、転ぶことは無くなりました。ですからこの時点でも「基本的に運動不足からくる筋力低下」に過ぎないと思っていたのです、この年代にはよくある、「年取ったなぁ~」と仲間内の共通の笑い話の1つになるようなことです。それでも年に比べて若いことを自負する私は、4月から運動能力の低下を防ごうと考えました。
突然理由なく転んだ…人気声優が難病「ALS」を発症した日の話

LDの値が異常に高かった Photo by iStock
血液検査で出たLDの異常数値

 ところが、腹筋運動や背筋運動、ちょっと負荷のかかったストレッチ運動をしていくうちに、ある部分にはっきりとした違和感を抱くようになったのです、それは「太もも」でした。「太ももの運動能力が落ちている」「太ももが上がりにくい」と明らかに異変を感じたのです。特に右足は斜め掛けカバンが体の前に来ると前に歩きにくくなり、大腿骨から外側にグルンと回して動かして歩くような動作になりました。太ももが上がらないから外側から回して歩くと言えば想像がつきますでしょうか。

 当然ながらこの頃になると周囲も「津久井さん、歩き方変ですよね」と気がつくようになりました、明らかに見た目でも違和感を抱かせるようになったのです。

 愛用の肩掛けカバンから歩きやすいリュックタイプのカバンに変えて、何とか身体の異変に対応していこうとしましたが、この頃を境に日に日に&顕著に運動能力の低下が見え、整形外科を受診することになります。

 この受診のきっかけになったのは、長年お付き合いのあった行きつけの内科で続けてきた「血液検査」でした。「歩きづらくなっている」という話をしている中、半年ごとに行っている血液検査で「LD(LDH、乳酸脱水素酵素)」の数値が飛びぬけて高くなっているという結果が出て、「MRI」「CT」のある病院で検査をしたほうが良いと勧められました。 

 この「LD(LDH、乳酸脱水素酵素)」は過度な運動をすると上がる数値でもありますが、あまりにも数値(1200以上)が高かったことと、歩行困難になっている現状を鑑み、「肝臓、赤血球、筋肉、悪性腫瘍」の問題があるのではと診断されたのです。

4カ月で歩行困難に

 CT検査ができる病院で診てもらい、画像には問題が無かったために経過観察に入りましたが、どんどんと運動能力の低下が進み、6月半ばには階段の上り下りどころか平地を歩くのにも支障が出て5分も歩くと休まないではいられないようになりました、整形外科の病気ではないと推測されて「神経内科」を受診することになりました。すでにこの頃にはしゃがんだ状態から立ち上がることができなくなっていました。 

 この神経内科の先生との出会いが「ALSの比較的早い診断」に結びついていきます、先生が所属する大きな病院の「神経内科」の「針筋電図検査」のエキスパートのドクターと巡り会えたのです。

 最初の診たては「重症筋無力症」でした。この病気も難病指定されています。ただ、はっきりわからないため、神経内科での1ヵ月の経過観察と診断で「2週間から4週間の検査入院」を薦められました。身体もこの頃には悲鳴をあげ、自力歩行が困難になって杖が無ければ歩けない状態にまで進行していました。

 針筋電図検査や右太ももより筋肉組織を採取しての検査、そして可能な限りの血液検査をして病名を探っていきました。なかなか正体が分からず、「名無しの権兵衛病」とその頃のブログに書き綴っています。3週間目からは「治療検査」になりました、治療してみて結果が伴わなかったら、その治療法に適合する病気では無いという判断で、「病気を見つける」という他に「この病気であるという可能性を消していく」という検査方法です。 

 「重症筋無力症」には「免疫グロブリン」を点滴で投与すると大きな効果があるとされています。しかし、5日間にわたる投与の結果は効果なし。その他にも様々な血液検査、筋生組織検査等の結果は全て「陰性」でした。そして残ったのが「ALS(筋萎縮性側索硬化症)」だったのです。 

 2回目の「針筋電図検査」ではっきりと電極の反応が現れ、「ALS」であることが主治医より告知されました。

 ここまでが私のALSに至るまでの経緯です。大変な病気にかかってしまったのですが、私自身は「名無しの権兵衛病」が「ALS」という病気であるとはっきり分かったことで、この時点ではスッキリとした気分でした。

 そしてここからALSと私との生活が始まっていくのでした。

 【津久井教生さん連載「ALSと生きる」次回は5月9日(土)公開予定です】

津久井 教生(声優・音楽家)


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