http://nobuyoyagi.blog16.fc2.com/blog-entry-803.html
本当に怖い統一教会の実態 〜 ラテンアメリカでの暗躍
Twitterでは文字数制限があるので、少しまとめて、中南米での統一教会の活動について書こうと思う。
もともと、私は統一教会ウォッチャーではない。学生時代、「原理研に引っかかるとヤバい」という知識を持っていたぐらいだ。それが、これホントに、相当にヤバい団体ではないかと思うようになったのは、ラテンアメリカでの暗躍を知ったからだ。
90年代、もちろん、統一教会は日本でも社会問題になった。それから、歌手の桜田淳子や新体操の女王だった山崎浩子らが合同結婚式に参加したというのでも、世間を騒がした。
しかしそれは、前者に関してみれば、宗教の名の下に信者を使って悪徳商法を行っていた、という話であり、後者はなんだか気持ち悪い信仰、という捉えられ方が一般的であり、身内に霊感商法で財産をすっかり巻き上げられたり、合同結婚式に参加したという人がいなければ、そこまで差し迫った問題意識を持たなかった人が多かったと思う。
正直に言うと、私もその一人ではあった。
この団体が、そういう「ただの洗脳系悪徳商法」レベルのものではない、と知ったのは、ウルグアイの友人からの国際電話がきっかけだった。
ある団体が、ウルグアイで、とんでもなく莫大な資金力で、大々的に土地を購入したり、さまざまな企業買収を行っている。新聞も買収し、テレビ局にも触手を伸ばしている。まるで国をまるごと買い取ろうとでもするかのようだ。
いったい、この団体の正体は、なんなのだ。資金はどこから出ているのか。しかも、韓国の団体のはずなのに、かなりの数の日本人も関わっている....
そう。Reverendo Moon。
調べれば、その正体は、すぐわかった。統一教会だった。
私は、数週間後、その友人に調べた限りの情報を伝達した。
「このまま、放っておいたら大変なことになりますよ」
そのときの電話の向こう側から聞こえてきた絶望的な吐息が忘れられない。すでに、彼らはかなり広大な土地と、ホテルや銀行、新聞なども傘下にしていたのだ。
彼らが、当時、地球の反対側で何をしようとしていたのかは、この赤旗の記事でよくわかる。統一教会系の新聞自体が、この件を高らかに誇らしげに謳っていたのである。つまり、文鮮明の大号令で中南米で土地を買い占め、「地上天国を築く」プロジェクトだったのである。むろん、その資金源は、日本の霊感商法だった。
そして、土地買収とともに「宣教」や「ボランティア」と称する活動や、各国要人、宗教指導者らを招待する大規模イベントを中南米各地で開催していたのである。
統一協会 中南米 土地買い占め <上> 霊感商法も資金源に
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-02/2007050214_01_0.html
この記事の続きには、このような記述もある。
一九九六年十一月にはダミー組織の世界平和家庭連合がウルグアイ・モンテビデオで開く行事に参加するという名目で四千二百二十人が大量出国。大半が女性信者でした。当時、全国原理運動被害者父母の会が、出国差し止めを求めて国会に出した陳情書は「親には事前に一言もなく、幼児を残したまま行ってしまう」「家庭を捨ててしまう」と、その異常さを指摘しています。
この時の女性たちは、おのおの相当額の金を持参。資金の“運び役”の任務も帯びたのではないかとも伝えられました。送り込まれた女性がホテル十七階から転落死するという事件もありました。
統一協会 中南米 土地買い占め <下> 信者・幹部次つぎと
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-03/2007050314_01_0.html
このとき、この4200人以上の女性たちが、それぞれ一人あたり最大2万5千ドル持ち出した(もちろん霊感商法で儲けた)お金は、総額8000万ドルとされているが、うち、一人の女性がホテルから「飛び降り自殺」したことから日本でも報道された。
ちなみに、この女性たちが宿泊し、転落死の舞台となったのも統一教会が買収したホテル、8000万ドルが預金されたのも、統一教会が過半数の株式を所有している銀行である。(ただし、この事件は、銀行の労働組合員の職員が暴露したので明らかになった)
参考:5. 統一教会女性信者が自殺した 「四千人」南米大移働の謎
そして、ウルグアイで、いや、南米で統一教会がどういう形で暗躍していたか。それは、このウルグアイの新聞「ラ・ディアリア」の2020年11月14日の記事に詳しいので、そのまま翻訳を載せておくことにする。
統一教会が、中南米でも極右と結びつき、日本の霊感商法で得た莫大な富を背景にメディアを利用し、政治に影響を及ぼしてきた経緯がよくわかるからだ。そして、それはまさに、日本でも起こっていたこと、だとも言える。
国際レベルの反共連携機関には、カトリック原理主義や福音主義右派が加わっていただけではなく、統一教会とその関連団体が国際的に資金を提供し、この地域とおよび世界の政治活動家を協力に支援していた。
1954年に韓国の文鮮明が創設した統一教会は、冷戦時代に100カ国で活動した世界反共連盟(1966年)に重要な貢献をしたアジアの宗教の1つである。文鮮明は、自分自身をイエスの不完全な仕事を凌駕する新しいメシアだと信じていた。そして、権威主義に批判的な「解放の神学」や他のキリスト教を「駆逐」「排除」「戦闘」する必要があるといった理念を他の右派宗教団体と共有した。
統一教会は、設立当初から宗教活動にとどまらず、さまざまなメディアを買収して活動範囲を広げ、武器や食品産業で実りあるビジネスを展開した。
書影『ウルグアイを侵食するカルトと新宗教 (Las sectas y nuevas religiones a la conquista del Uruguay)』
中南米地域での統一教会の主な政治団体は、アメリカ社会統一協会連合 CAUSA (Confederación de Asociaciones para la Unificación de las Sociedades Americanas)で、「アメリカ大陸における共産主義と戦う」ことを名目にしている。カトリック司祭フリオ・セサル・エリサガの著書『ウルグアイを侵食するカルトと新宗教 (Las sectas y nuevas religiones a la conquista del Uruguay)』によると、CAUSAは1964年、元CIAの韓国諜報員だった朴普煕がCIAを退職し、統一教会の政治活動に専念して、設立されたとされている。1970年代から1980年代にかけては、この地域の政治と宗教をつなげるものとして影響力を持つようになった。
彼らにとって、新聞メディアは、共産主義と戦い、ラテンアメリカの独裁政権を支援するために、統一教会の国際戦略の基本的なツールだった。世界日報、ワシントン・タイムス、ノティシアス・デル・ムンド各紙への出資は、その一例である。同様に、マヌエル・フエンテシ(チリのラ・ナシオン紙編集長)、トマス・マクアレ(チリのエル・メルクリオ紙編集長)、アントニオ・アッジオ(ブラジル・サンパウロのア・フォリャ・ダ・タルヂ紙編集長)、アントニオ・ロドリゲス=カルモナ(アルゼンチンの通信社テラムの記者)といった多数の右派ジャーナリスト達が、ウルグアイのフリアン・サフィと提携して、統一教会の仕事にかかわっている。
CAUSAの活動は、グアテマラのエフライン・リオス=モント(訳者註:先住民20万人を虐殺した容疑で訴追)、チリのアウグスト・ピノチェト(訳者註:クーデターにより、1973年から89年まで長期独裁。多数の反対派への拷問や殺害、不正蓄財で訴追)、パラグアイのアルフレド・ストロエスネル(訳者註:1954年から1989年まで独裁。先住民を多数虐殺したほか、ナチスの戦犯多数を匿う)、ボリビアのルイス・ガルシア=メサ(訳者註:クーデターで政権奪取後、わずか1年で反対派500人を虐殺、政府がらみで麻薬取引にかかわった)といった軍事政権や独裁政権と、相互に支援しあう関係だった。(軍事政権下の)アルゼンチンでは、ラプラタ市のアントニオ・ホセ・プラサ司教やニコラス・アルへナタート(カトリック大学学長)など、カトリック教会の有力者の支持を得て、1981年7月13日に同国初のCAUSAセミナーを開催した。
1980年から1985年にかけて、米国におけるCAUSAの行動はロナルド・レーガンの政策に沿ったもので、退役した米国のデビッド・ウエルナー将軍が引き継ぎ、彼はニカラグアのコントラに対して少なくとも合計100万ドルに及ぶ「人道的」物資の支援に貢献した。この段階で、統一教会は中米地域にいくつもの支部を設立した。
ウルグアイでの統一協会
統一協会とウルグアイの関係は、エリサガが深く調査している。彼は、その調査や糾弾のために脅迫を受け、何年も厳重な警備を受けて暮らさなくてはならないほどだった。エリサガは著書の中で、1978年に統一教会の宣教師たちが活動を開始し始めた場所を、コロニア通りのロンド通りの角に近い場所と記している。1981年、グループの代表者が5100万ドルを持ってウルグアイに到着し、当時第3位の銀行であったバンコ・デ・クレディト銀行に預け入れた。朴普煕大佐自身が、何度もモンテビデオに足を運び、この取引などを行った。
同1981年、統一教会は、日刊紙「ウルティマス・ノティシアス」と出版・印刷会社「ポロ」を買収する。競争力のある価格、派手な一面トップ記事、スポーツ欄の重視など、人気のある日刊紙を目指したのだ。その社説は、ベナンシオ・フローレス、ホセ・ガルベス、カルロス・エステラーノ、オマール・ピバなど、共産主義との闘いに熱心なCAUSAの有名メンバーが書いたものだった。エステラーノは、独裁政権の国家広報局(Dinarp)のアドバイザーを務めていた。そして、同紙は、3年後にはウルグアイの新聞で3番目に発行部数が多い新聞になった。
フリアン・サフィという人物は、独裁政権時代に国家広報局のトップを務めながら、途中から2012年まで統一教会所有の「ウルティマス・ノティシアス」の編集長を務め、現在、週刊誌「ラ・マニャーナ」に記事を執筆している。
書影『文帝国』
フランスのジャーナリスト、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏の著書『文帝国 (El Imperio Moon)』(1987年)によると、サフィのオフィスにはレーガン大統領が朴普煕元大佐と握手している写真が飾られており、彼は、来客に繰り返し、こう説明していた。
「私はビジネスマンではありません。ここまで来られたのは、私が金融の天才だからではなく、文先生の信頼があったからです」。
サフィのジャーナリストとしてのキャリアは、1960年、コロラド党の最右派のリーダー(で、後に軍事政権下で内務大臣を務める)カルロス・マニーニ・リオスが経営する「ラ・マニャーナ」誌で始まった。その後、カルロスの兄アルベルト・マニーニの娘であるマルガリータと結婚し、1970年から極右学生団体JUP(Juventud Uruguaya de Pie 立つウルグアイ青年団)のコーディネーターである義兄のウーゴ・マニーニとともに政治にもどっぷりと関与するようになる。
その後、彼は4つ星ホテル「ビクトリア・プラザ」のオーナーになった。この買収を企てたのは、20世紀最後のウルグアイの軍事独裁者グレゴリオ・アルバレス将軍の義父であるベナンシオ・セグンド・フローレスとサフィらである。
1981年4月、モンテビデオで第1回CAUSAセミナーが開催された。会場となったのは、政府機関である国立観光局。会場には、軍司令官ルイス・ケイロロ将軍、内務大臣アレハンドロ・ロビラ、産業・エネルギー大臣フランシスコ・トゥレイユなどの重要なゲストが出席した。
1983年3月には、当時同国の主要民間銀行であったバンコ・デ・クレディト銀行の資本51%を取得し、同国への投資活動を継続した。同様に、マテ・アマルゴ社(苦いマテ茶の意味)出版の「財界ハンドブック (Prontuarios)」では、フリアン・サフィ、エンリケ・ドス=サントス=モリナリ(ホテル・ビクトリア・プラザのマネージャー)、ゴンサロ・ソト=プラテロ(バンコ・デ・クレディト銀行頭取)、チャールズ・ハム=マニニ(フリゴリフィコ・スイフトの元社長兼バンコ・デ・クレディト銀行取締役)は、グループの取締役と名義人として記載されている。
ウルグアイにおける統一協会グループの政治的、経済的、宗教的つながりの中で、週刊誌「エル・ポプラール」誌が1986年7月17日に発表し、フランスのジャーナリスト、ボワイエが前掲書に掲載した名前のリストには、モンテビデオ警察本部の情報・情報局第5課のメンバーで政治犯拷問で訴えられたホルヘ・グルンゾフ、独裁政権時代にリバタッド刑務所で働き、収容者の精神破壊を狙った作戦計画を担当していた心理学者のダルセイ・ブリトスも登場している。
https://ladiaria.com.uy/politica/articulo/2020/11/el-reverendo-moon-y-su-apoyo-transnacional-al-anticomunismo/
本当に怖い統一教会の実態 〜 ラテンアメリカでの暗躍
Twitterでは文字数制限があるので、少しまとめて、中南米での統一教会の活動について書こうと思う。
もともと、私は統一教会ウォッチャーではない。学生時代、「原理研に引っかかるとヤバい」という知識を持っていたぐらいだ。それが、これホントに、相当にヤバい団体ではないかと思うようになったのは、ラテンアメリカでの暗躍を知ったからだ。
90年代、もちろん、統一教会は日本でも社会問題になった。それから、歌手の桜田淳子や新体操の女王だった山崎浩子らが合同結婚式に参加したというのでも、世間を騒がした。
しかしそれは、前者に関してみれば、宗教の名の下に信者を使って悪徳商法を行っていた、という話であり、後者はなんだか気持ち悪い信仰、という捉えられ方が一般的であり、身内に霊感商法で財産をすっかり巻き上げられたり、合同結婚式に参加したという人がいなければ、そこまで差し迫った問題意識を持たなかった人が多かったと思う。
正直に言うと、私もその一人ではあった。
この団体が、そういう「ただの洗脳系悪徳商法」レベルのものではない、と知ったのは、ウルグアイの友人からの国際電話がきっかけだった。
ある団体が、ウルグアイで、とんでもなく莫大な資金力で、大々的に土地を購入したり、さまざまな企業買収を行っている。新聞も買収し、テレビ局にも触手を伸ばしている。まるで国をまるごと買い取ろうとでもするかのようだ。
いったい、この団体の正体は、なんなのだ。資金はどこから出ているのか。しかも、韓国の団体のはずなのに、かなりの数の日本人も関わっている....
そう。Reverendo Moon。
調べれば、その正体は、すぐわかった。統一教会だった。
私は、数週間後、その友人に調べた限りの情報を伝達した。
「このまま、放っておいたら大変なことになりますよ」
そのときの電話の向こう側から聞こえてきた絶望的な吐息が忘れられない。すでに、彼らはかなり広大な土地と、ホテルや銀行、新聞なども傘下にしていたのだ。
彼らが、当時、地球の反対側で何をしようとしていたのかは、この赤旗の記事でよくわかる。統一教会系の新聞自体が、この件を高らかに誇らしげに謳っていたのである。つまり、文鮮明の大号令で中南米で土地を買い占め、「地上天国を築く」プロジェクトだったのである。むろん、その資金源は、日本の霊感商法だった。
そして、土地買収とともに「宣教」や「ボランティア」と称する活動や、各国要人、宗教指導者らを招待する大規模イベントを中南米各地で開催していたのである。
統一協会 中南米 土地買い占め <上> 霊感商法も資金源に
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-02/2007050214_01_0.html
この記事の続きには、このような記述もある。
一九九六年十一月にはダミー組織の世界平和家庭連合がウルグアイ・モンテビデオで開く行事に参加するという名目で四千二百二十人が大量出国。大半が女性信者でした。当時、全国原理運動被害者父母の会が、出国差し止めを求めて国会に出した陳情書は「親には事前に一言もなく、幼児を残したまま行ってしまう」「家庭を捨ててしまう」と、その異常さを指摘しています。
この時の女性たちは、おのおの相当額の金を持参。資金の“運び役”の任務も帯びたのではないかとも伝えられました。送り込まれた女性がホテル十七階から転落死するという事件もありました。
統一協会 中南米 土地買い占め <下> 信者・幹部次つぎと
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-05-03/2007050314_01_0.html
このとき、この4200人以上の女性たちが、それぞれ一人あたり最大2万5千ドル持ち出した(もちろん霊感商法で儲けた)お金は、総額8000万ドルとされているが、うち、一人の女性がホテルから「飛び降り自殺」したことから日本でも報道された。
ちなみに、この女性たちが宿泊し、転落死の舞台となったのも統一教会が買収したホテル、8000万ドルが預金されたのも、統一教会が過半数の株式を所有している銀行である。(ただし、この事件は、銀行の労働組合員の職員が暴露したので明らかになった)
参考:5. 統一教会女性信者が自殺した 「四千人」南米大移働の謎
そして、ウルグアイで、いや、南米で統一教会がどういう形で暗躍していたか。それは、このウルグアイの新聞「ラ・ディアリア」の2020年11月14日の記事に詳しいので、そのまま翻訳を載せておくことにする。
統一教会が、中南米でも極右と結びつき、日本の霊感商法で得た莫大な富を背景にメディアを利用し、政治に影響を及ぼしてきた経緯がよくわかるからだ。そして、それはまさに、日本でも起こっていたこと、だとも言える。
国際レベルの反共連携機関には、カトリック原理主義や福音主義右派が加わっていただけではなく、統一教会とその関連団体が国際的に資金を提供し、この地域とおよび世界の政治活動家を協力に支援していた。
1954年に韓国の文鮮明が創設した統一教会は、冷戦時代に100カ国で活動した世界反共連盟(1966年)に重要な貢献をしたアジアの宗教の1つである。文鮮明は、自分自身をイエスの不完全な仕事を凌駕する新しいメシアだと信じていた。そして、権威主義に批判的な「解放の神学」や他のキリスト教を「駆逐」「排除」「戦闘」する必要があるといった理念を他の右派宗教団体と共有した。
統一教会は、設立当初から宗教活動にとどまらず、さまざまなメディアを買収して活動範囲を広げ、武器や食品産業で実りあるビジネスを展開した。
書影『ウルグアイを侵食するカルトと新宗教 (Las sectas y nuevas religiones a la conquista del Uruguay)』
中南米地域での統一教会の主な政治団体は、アメリカ社会統一協会連合 CAUSA (Confederación de Asociaciones para la Unificación de las Sociedades Americanas)で、「アメリカ大陸における共産主義と戦う」ことを名目にしている。カトリック司祭フリオ・セサル・エリサガの著書『ウルグアイを侵食するカルトと新宗教 (Las sectas y nuevas religiones a la conquista del Uruguay)』によると、CAUSAは1964年、元CIAの韓国諜報員だった朴普煕がCIAを退職し、統一教会の政治活動に専念して、設立されたとされている。1970年代から1980年代にかけては、この地域の政治と宗教をつなげるものとして影響力を持つようになった。
彼らにとって、新聞メディアは、共産主義と戦い、ラテンアメリカの独裁政権を支援するために、統一教会の国際戦略の基本的なツールだった。世界日報、ワシントン・タイムス、ノティシアス・デル・ムンド各紙への出資は、その一例である。同様に、マヌエル・フエンテシ(チリのラ・ナシオン紙編集長)、トマス・マクアレ(チリのエル・メルクリオ紙編集長)、アントニオ・アッジオ(ブラジル・サンパウロのア・フォリャ・ダ・タルヂ紙編集長)、アントニオ・ロドリゲス=カルモナ(アルゼンチンの通信社テラムの記者)といった多数の右派ジャーナリスト達が、ウルグアイのフリアン・サフィと提携して、統一教会の仕事にかかわっている。
CAUSAの活動は、グアテマラのエフライン・リオス=モント(訳者註:先住民20万人を虐殺した容疑で訴追)、チリのアウグスト・ピノチェト(訳者註:クーデターにより、1973年から89年まで長期独裁。多数の反対派への拷問や殺害、不正蓄財で訴追)、パラグアイのアルフレド・ストロエスネル(訳者註:1954年から1989年まで独裁。先住民を多数虐殺したほか、ナチスの戦犯多数を匿う)、ボリビアのルイス・ガルシア=メサ(訳者註:クーデターで政権奪取後、わずか1年で反対派500人を虐殺、政府がらみで麻薬取引にかかわった)といった軍事政権や独裁政権と、相互に支援しあう関係だった。(軍事政権下の)アルゼンチンでは、ラプラタ市のアントニオ・ホセ・プラサ司教やニコラス・アルへナタート(カトリック大学学長)など、カトリック教会の有力者の支持を得て、1981年7月13日に同国初のCAUSAセミナーを開催した。
1980年から1985年にかけて、米国におけるCAUSAの行動はロナルド・レーガンの政策に沿ったもので、退役した米国のデビッド・ウエルナー将軍が引き継ぎ、彼はニカラグアのコントラに対して少なくとも合計100万ドルに及ぶ「人道的」物資の支援に貢献した。この段階で、統一教会は中米地域にいくつもの支部を設立した。
ウルグアイでの統一協会
統一協会とウルグアイの関係は、エリサガが深く調査している。彼は、その調査や糾弾のために脅迫を受け、何年も厳重な警備を受けて暮らさなくてはならないほどだった。エリサガは著書の中で、1978年に統一教会の宣教師たちが活動を開始し始めた場所を、コロニア通りのロンド通りの角に近い場所と記している。1981年、グループの代表者が5100万ドルを持ってウルグアイに到着し、当時第3位の銀行であったバンコ・デ・クレディト銀行に預け入れた。朴普煕大佐自身が、何度もモンテビデオに足を運び、この取引などを行った。
同1981年、統一教会は、日刊紙「ウルティマス・ノティシアス」と出版・印刷会社「ポロ」を買収する。競争力のある価格、派手な一面トップ記事、スポーツ欄の重視など、人気のある日刊紙を目指したのだ。その社説は、ベナンシオ・フローレス、ホセ・ガルベス、カルロス・エステラーノ、オマール・ピバなど、共産主義との闘いに熱心なCAUSAの有名メンバーが書いたものだった。エステラーノは、独裁政権の国家広報局(Dinarp)のアドバイザーを務めていた。そして、同紙は、3年後にはウルグアイの新聞で3番目に発行部数が多い新聞になった。
フリアン・サフィという人物は、独裁政権時代に国家広報局のトップを務めながら、途中から2012年まで統一教会所有の「ウルティマス・ノティシアス」の編集長を務め、現在、週刊誌「ラ・マニャーナ」に記事を執筆している。
書影『文帝国』
フランスのジャーナリスト、ジャン・フランソワ・ボワイエ氏の著書『文帝国 (El Imperio Moon)』(1987年)によると、サフィのオフィスにはレーガン大統領が朴普煕元大佐と握手している写真が飾られており、彼は、来客に繰り返し、こう説明していた。
「私はビジネスマンではありません。ここまで来られたのは、私が金融の天才だからではなく、文先生の信頼があったからです」。
サフィのジャーナリストとしてのキャリアは、1960年、コロラド党の最右派のリーダー(で、後に軍事政権下で内務大臣を務める)カルロス・マニーニ・リオスが経営する「ラ・マニャーナ」誌で始まった。その後、カルロスの兄アルベルト・マニーニの娘であるマルガリータと結婚し、1970年から極右学生団体JUP(Juventud Uruguaya de Pie 立つウルグアイ青年団)のコーディネーターである義兄のウーゴ・マニーニとともに政治にもどっぷりと関与するようになる。
その後、彼は4つ星ホテル「ビクトリア・プラザ」のオーナーになった。この買収を企てたのは、20世紀最後のウルグアイの軍事独裁者グレゴリオ・アルバレス将軍の義父であるベナンシオ・セグンド・フローレスとサフィらである。
1981年4月、モンテビデオで第1回CAUSAセミナーが開催された。会場となったのは、政府機関である国立観光局。会場には、軍司令官ルイス・ケイロロ将軍、内務大臣アレハンドロ・ロビラ、産業・エネルギー大臣フランシスコ・トゥレイユなどの重要なゲストが出席した。
1983年3月には、当時同国の主要民間銀行であったバンコ・デ・クレディト銀行の資本51%を取得し、同国への投資活動を継続した。同様に、マテ・アマルゴ社(苦いマテ茶の意味)出版の「財界ハンドブック (Prontuarios)」では、フリアン・サフィ、エンリケ・ドス=サントス=モリナリ(ホテル・ビクトリア・プラザのマネージャー)、ゴンサロ・ソト=プラテロ(バンコ・デ・クレディト銀行頭取)、チャールズ・ハム=マニニ(フリゴリフィコ・スイフトの元社長兼バンコ・デ・クレディト銀行取締役)は、グループの取締役と名義人として記載されている。
ウルグアイにおける統一協会グループの政治的、経済的、宗教的つながりの中で、週刊誌「エル・ポプラール」誌が1986年7月17日に発表し、フランスのジャーナリスト、ボワイエが前掲書に掲載した名前のリストには、モンテビデオ警察本部の情報・情報局第5課のメンバーで政治犯拷問で訴えられたホルヘ・グルンゾフ、独裁政権時代にリバタッド刑務所で働き、収容者の精神破壊を狙った作戦計画を担当していた心理学者のダルセイ・ブリトスも登場している。
https://ladiaria.com.uy/politica/articulo/2020/11/el-reverendo-moon-y-su-apoyo-transnacional-al-anticomunismo/
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