むかし、、大江千里をふったので生霊の祟りかも、、、
気持ちはわかる<<’あんな目の細い男は気持ち悪いから>>’
益子直美さん 落胆を重ね45歳であきらめた不妊治療 その後、心房細動に…「手術? うそだよね?」
9/22(日) 7:11配信
読売新聞(ヨミドクター)
益子直美さん 落胆を重ね45歳であきらめた不妊治療 その後、心房細動に…「手術? うそだよね?」
写真・今野絵里
一病息災
高校3年生の時に全日本メンバーに選ばれ、25歳の引退まで、1980年代後半から90年代前半の女子バレーボールの人気をリードした一人だ。引退後、タレントやスポーツキャスターとして活躍してきた。
50歳だった2017年1月、不整脈が病気発見のきっかけだった。福岡から帰路の飛行機内で、いつも身につけていた心拍計が160前後を示していた。翌朝のテレビの生放送に備え、東京・渋谷のホテルに泊まった。
心拍数は下がらず、息苦しくなり、ふっと意識が遠のいた。「救急車を呼ぶか。でも、生放送の出演が飛んでしまう」。東京消防庁の救急相談電話「#7119」で、とりあえず救急病院の名前を聞いてメモした。
部屋で自分なりに楽になる方法を考えた。あおむけで寝る、横に寝る、もたれる、前かがみ、伸ばす……。ゆったりイスに座って腹式呼吸をすると、ようやく落ち着いた。もう午前4時だった。
午前6時半にテレビ局に行き、仕事を終えてから病院に駆け込んだ。心臓の24時間の変化を測る携帯型心電計の装着を指示された。日を改めて結果を聞きに行くと、「不整脈は心房細動が原因です。若いので、すぐに手術した方がいいでしょう」と告げられた。
心臓病? 手術? うそだよね? 健康に自信があっただけにショックだった。
益子直美さん 落胆を重ね45歳であきらめた不妊治療 その後、心房細動に…「手術? うそだよね?」
写真・今野絵里
体を酷使したからか…
心臓は、電気信号によって規則的に動き、全身に血液を送り出している。その信号が乱れ、心臓の上半分の心房がけいれんする症状が、心房細動だ。100~200程度まで脈が速くなると、動悸(どうき)や息苦しさを感じ、ひどい場合は意識を失うことがある。
心房細動が怖いのは、心臓の機能低下を招くことと、心房内で血の塊(血栓)ができて、血流に乗って脳の血管が詰まる脳梗塞(こうそく)を引き起こすことだ。「心原性脳梗塞」といい、大きな障害が残る危険もある。
最初は自分が心臓病だということに戸惑ったが、納得するところもあった。
25歳でバレーボールを引退し、スポーツから離れた。40歳で自転車のプロロードレーサーと結婚した後、夫の勧めでダイエットのため自転車に乗り始めた。
160キロ・メートルを走るといったサイクリングイベントに夫婦で呼ばれるようになった。ただ、「軽い練習でも、すぐに心拍数が200ぐらいになって、息が上がるんです」。練習を重ねても初心者に簡単に追い抜かれる。「若い頃、体を酷使したし、年のせいか」と自分をごまかしていた。
心房細動は高齢になって発症することが多い。脈拍を整えたり、血液をサラサラにしたりする薬を服用する。今回は、問題のある心臓の筋肉を焼く治療「カテーテルアブレーション」で根治を目指した。
ストレスの影響大
2017年4月、5日間入院し、「ホットバルーン」という新しい「カテーテルアブレーション」治療を受けた。足の付け根からカテーテルを心臓まで送り入れ、標的とする筋肉をより広く焼くことができる治療だ。治療後の痛みや頻脈は、しばらくすると落ち着いていった。
「心臓の病気は、飲み過ぎ、ストレス、不眠の三つに気を付けてください。初めは運動をしても、脈拍120を上限に」と、医師から指導された。
42歳で自転車に乗り始めてから、脈拍は常時測ってきた。眠れていないと乱れる。ストレスの影響も大きい。当時、大学バレーボール部の監督を務めていた。「勝たなければ」とプレッシャーを感じ、通常65~70の脈拍数が120まで跳ね上がった。
長年、片頭痛の発作にも悩まされてきた。それもストレスの影響だと思う。発作の前兆で目の前がチラチラ光ると、激しい頭痛と吐き気に襲われた。動けなくなり、回復まで1日かかる。芸能界に入ってからも週に1度は寝込んだ。生放送中に発作が起きて、番組終了までいられないこともあった。「薬はあまり効かなくて、苦労しました」
45歳の時、東京から神奈川・湘南に引っ越してから片頭痛の発作は減った。自分のペースで生活しやすくなったからだろうか。
益子直美さん 落胆を重ね45歳であきらめた不妊治療 その後、心房細動に…「手術? うそだよね?」
写真・今野絵里
2年余の不妊治療
42歳の時、自転車に乗り始めて、心拍数がすぐに上がる異常に気づいた。だが、この頃、心臓を心配するよりも大事なことに向き合っていた。
「子どもが欲しい」。自然に子どもはできると思っていたが、結婚して2年たっても気配がない。45歳の誕生日までと期限を決め、不妊治療を始めた。
検査を受けると、受精卵が着床する位置にポリープがあった。子宮の内側にできる内膜が他の場所にできる子宮内膜症も発症していた。不妊治療の前にまず、ポリープの切除や内膜症の治療が必要だった。「生理痛は若い頃から寝込んでしまうほどひどかったのに、どうして検査を受けなかったのか」と悔やんだ。
不妊治療は、採取した卵子に精子を顕微鏡で入れる顕微授精の治療を受けた。高価な女性ホルモンの自己注射をして臨むが、採卵はうまくいかない。毎月、落胆を重ねて、1年で200万円はかかった。
夫は「いつでもやめていいよ。やりたければやろう」と見守ってくれたが、「主人の遺伝子を残したい」という一念で、誰の言葉も耳に入らなくなっていた。
結局、2年余りの不妊治療で採卵できたのは2回だった。45歳を迎える直前、顕微授精の結果を電話で聞いた。子どもを持つ夢を涙で押し流し、それから人生のシフトが変わった。
経験基に「怒らない大会」
引退時、バレーボールが嫌いになっていた。「なんでそんなボールが取れないんだ!」。怒られて萎縮(いしゅく)し、自分で物事が考えられなくなった。部活を始めた中学1年生から25歳で引退するまで治らなかった下痢は、ストレスが原因だった。
バレーボールの解説やリポーターの仕事も引き受けたが、ストレスで片頭痛の発作が起きた。バレーボールの仕事は、できれば避けたかった。
45歳で不妊治療を諦め、気分一新、神奈川・湘南に転居した。新しい暮らしの中で、バレーボールへの思いも変わった。知人に依頼され、2015年1月、福岡県で「益子直美カップ小学生バレーボール大会」を開催することになった。
「監督は怒ってはいけません。監督が怒ったら、私が怒りに行きます」。第1回大会の参加55チームの前で独自のルールを説明した。「小学生には楽しんでスポーツをしてほしい」。「監督が怒らない」大会は今年5回目を迎え、神奈川県にも広がった。
「バレーボールのおかげで今の私がある」。素直にそう感じ、積極的に関わっていきたいと思うようになった。心房細動は今もストレスがかかると、発作が起こることがある。薬も使いながら付き合っている。
(文・渡辺勝敏)
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