第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

少し回復

2010-11-13 12:45:59 | 俺とは(終)

 

ようやく少し、回復しました。

気が付いてみれば、外は秋景色
はやいなあと感じた。

あいかわらずの『クズ』的な生活である。
未だに、生きている。
寝ているとき、症状が出て苦しいとき、死ねばいいのにと願う。
朝起きると、まだ生きていることが、残念さを感じる。

なんのために生きているのだろうか。

毎日、寝るのが、ほとんどの一日

寝ながら、ニコ生の歌い手さんの歌を聴いていた。
前にも書いたが、
これからは、若者の時代であると痛切に感じる。
俺のような『クズ』に、もう出番はない。
出番があるのが、おかしいのである。


とりあえず、少し回復したので、書きました。

師匠は、俺が世話を出来ないとき、妻や息子がしてくれている。
それに感謝というのは、簡単であるし、感謝はしているが、
俺がやれないときには、仕方ないと思っている。
そう思うと、なんだか、変に、一心同体に感じてしまう。

あと
記事を書かせてもらう依頼した方、
もう少し回復してから書きますので、期待せずに、まったりと待ってて下さい。


とりあえず、
今日は、こんなとこです。

 

 


時間

2010-10-22 10:46:20 | 俺とは(終)




時間は、どんな人にも、同じだと思う。
太陽の光を浴びるのも、同じかな。

調子がいいときは、
自ら時間を、どう使うのか考えて、行動していく。

調子が悪いときは、
そんなことを考えている余裕はない。




俺のような時間の使い方は、普通と言われている方から見れば、
「自堕落」ということになるのだろうか。
どう言われ
どう思われても
いいと思ってる俺
この感情が持てるまで、約7年かかりました。
それもこれも、俺を支えてくれた方のお陰です。

上記のような、内容を書くと、
「開き直ってるのか」と言われそうだが、
「開き直り」と「自身が何なのかが分かる」とは違うと考えている。
それは、
自身が受けるストレスが違うと考えているからです。
自身が何者なのかが、分かってれば、ストレスを受けても、
さほど感じないと体験した。
そういう俺は、今では、自身が好きです。



時間の話しに、戻ります。
我が家も、そうなんですが、
決められた時間になると、
子供は学校へ
妻は仕事へ
昼間は、俺と師匠だけである。

社会が、そのように動いているから、そのようになっていると言われれば
そうなのだが、
学校へ行く
仕事へ行く
それに慣れてしまうと、それが普通になってしまい
そのような時間の使い方をしていない人を見ると奇異に感じるのも人である。

かなり前、
スローライフや田舎暮らしというのがあったと思う。
それは、
時間に追われない生活と言えるのか。どうか。

学校へ行く
仕事へ行く
のが普通と感じている人は、
スローライフや田舎暮らしを望んでも、上手く自分のために時間を使うのに
苦労すると思う。

俺自身、健康なとき、仕事に行くのが当たり前だと思っていて、
病気になって、闘病して、何もすることがなくなると、
何をしていいのか分からなかったし
俺自身が何者なのかも分からなくなってしまった。

スクラップ&ビルトして行く中で、
俺自身が何者なのかを少しづつ分かり、
時間を自身や家族、師匠のために使うことの意義が感じられる。
それが
楽しみであり喜びなのかなと思っている。



まとめて、
社会が右を向くと、右 左を向くと左
そして
クリスマスや正月に他の人がやっていることをしないと
不安になるのも人
俺自身、そのような時間の使い方を今は、していないが、
それが楽しみや喜びであれば、いいが、かえって、それに縛られるとしたら
不幸だなと感じてしまう。

時間は平等であるが、
自身や家族、師匠のために、使う時間に楽しみや喜びを
より見出したいと思っている。
それが
俺の楽しみであり、喜びでもある。
そんな毎日かな。









五分の回復。

2010-09-14 21:28:46 | 俺とは(終)





お久しぶりの更新です。

『死にたい衝動』
年に何回か・・・
たまに、あります。
どうしようもない、衝動。
でも
今は、妻や子供、主治医、臨床心理士
そして、
温かいコメント等を頂いた方が、何らかの形で支えて頂いているので、
自ら命を絶つという行為は、しないです。
これは、
妻や子供達との約束でも、あります。

また
以前、自傷行為、薬を大量に飲む(OD)をしましたが、
それも
今は、妻と子供達と約束したんで、耐えてます。

これが俺でもあります。
隠しようがない俺
隠したくない俺です。

本当に、温かい励ましを頂いた方々には、感謝してます。
見ず知らずの他人なのに、本当、感謝してます。


ここからは
独り言です。

この病気になってから8年です。
この間、
病気や家族から、様々な事を教えられました。

教えられた事のいくつかを書くと、
○ 病気を理解してもらおうというのを止めました。
○ 他人と比較する事を止めました。
○ 俺自身を誤魔化すのや、俺が俺自身に嘘を付くのを止めました。
○ 中年の引きこもり、キモオタオヤジだと認められるようになりました。
○ 精神障害者だと認められました。
○ 俺自身を良く見せようとかというのを、止めました。
○ 誰のせいでもなく、何のせいでもなく、俺自身の問題として、解決したい。
こんな感じでしょうか。

しかし、
俺には一つだけ、俺自身の中で出来てないと思われるところがあります。
それは、
他人の悪いとこを許す寛容さ

俺自身の非を素直に認めること
これが、出来てないです。
まだまだ、
ダメな奴ですし、今後、修行が必要だと感じています。

このブログをやっている意味は、
こんな精神障害者である中年の引きこもり、キモオタオヤジが
社会に適応し社会復帰するか、どうかを書いています。
社会復帰出きなければ、
それまでの引きこもりオヤジ
社会復帰するとすれば、どのような形で、どんな事をするのか
現在の職場は、どうなるのか。
そういう事を書いています。

俺の心の中には、
精神障害者・引きこもりという烙印を、
社会の空気の中で、押されたから、
そんな社会に、挑みたい。
諦めずに、挑んでいきたい。
そんな気持ちで、書いています。

前、書いた記事で
60年代生まれの俺の時代は、終わったと思います。
これからは、
子供達や若い人達の時代だと思います。

子供達や若い人達に、何か引き継げるものがあればいいなと思っています。

独り言でした・・・


5分くらいの回復なので、
徐々に、書いていきたいと思いますし、
コメント返しも、していきたいと思っています。
本当、コメントなど遅れて、すみません。



諦めたら、終わり。だから諦めない!何事も。

2010-08-28 10:42:16 | 俺とは(終)




8月21日に書いた記事「挑みます!」は、俺自身をアホだと認めた上で、
諦めないという姿勢を書いたものです。
その背景には、妻や子供達が支えてくれているというのがあります。
到底、俺1人で、勝手に出来るものではないからです。

8月24日に、ニコ生で、「ひきこもり社会日本 ~非モテからリア充へ~」を
見ました。
この番組に、自由意見をメールで、送りました。
「ひきこもり」の結論は、出なかったが、「ひきこもり」という事に目を向けさせる事
は、出来たし、感心を持つ事も出来たのではないだろうか。




今、俺は、この本を、コツコツと読んでいます。
社会的ひきこもり―終わらない思春期 (PHP新書)
斎藤 環
PHP研究所


齋藤 環先生は、
『時代の風:公共性と匿名性=精神科医・斎藤環』を読んで。の記事を書いたが、
「ひきこもり」に対しても、見識が高い方である。


 

「引きこもり」について、
俺自身、詳しく知っている訳では、ないので、偉そうな事は言えないけれども、

「ひきこもり」という言葉に甘んじて、
誰かのせいにして、
何かのせいにして、
諦めるのは、止めよう!

自分自身の問題と捉えて、前向きに、進む。

これは、
俺自身に、言い聞かせてます。




『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。




この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


挑みます!

2010-08-21 06:30:19 | 俺とは(終)




前に書いたこの記事で
どうしようか、迷う? 俺自身で決めるしかない!

どうしようか、迷い。妻や子供に、「挑み」たいと伝えました。
「諦めたくない」

現在の家庭の経済状況を考えると、到底、言い出しにくかったが、
伝えなきゃと思いました。

妻や子供達は、
「がんばれ。諦めるな」と言ってくれました。

4度目になるけど、「挑みます」

身体キツイけど、それを言い訳にしたくないし、
俺自身が出来る限り、挑戦します。


サクラ咲く?サクラ散る?




記事の更新は、こう言った事で、
更新速度が、かなり落ちると思います。

暇を見て、皆さんのとこに、お邪魔したときは、宜しくお願いします。

師匠の世話をしながら、されながら、やって見ます。






『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。





この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


今更ですが、当ブログを図形化してみました。

2010-07-30 11:30:55 | 俺とは(終)









社会適応・社会復帰が、俺にしたら、どういう内容なのか。を書いた記事は、
こちらです。
『社会適応 社会復帰』とは。

この社会適応・社会復帰に向け、少しずつかも知れないけれども、
師匠と一緒に、進んで行きたいと思っています。

どうか
ご協力のほど、宜しくお願いいたします。(ペコリ)







『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


『俺とは』(その13)に対する、妻からの文

2010-07-29 07:01:47 | 俺とは(終)





『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。

の記事を読んだ、妻からの文を掲載します。


その前に、

俺の根底に、発達障害Acが有ることが、判明してから、文字の方が
言葉よりも理解しやすいと、妻が、毎日、俺に文章をくれます。
俺と妻との家庭内での文通です。
妻には、感謝しています。言葉に言えないくらいです。


話す言葉の内容が、上手く理解出来ない俺に対して、
文章の方が理解し易いという事で、毎日、妻が書いてくれます。


本題に、戻ります。
『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。
の記事を読んだ、妻からの文ですが、

この記事に書き出します。
名前の部分は、○○になっている事をご了承下さい。


ここから妻の文章です。


記事に対して、
俺とは、すぐ凹む。取っ掛かりが悪い。忍耐が無い。感傷的になる。
ふらふらして、頭が 焦る事に、気付き、ウィルと成長する。
その通りだと思う。

ウィルは生き物で喋らない(依存しなければ生きていけない生き物)である以上
○○(俺の名前)が見なければ、生きる事さえ、選んでいけない。
そのウィルを見る以上、忍耐強く。取っ掛かりが遅くても、やらなければならない。
頭が焦ろうが焦るまいが(理屈ではなく)行動しなければならない等
○○(俺の名前)を成長させる相棒である事は、間違い無いと思うよ。

そして、
過去、様々な俺があり、現在の俺は、俺とは、どういう人間かを気付き、
どう社会と向き合っていくか。
自分自身の力で向かっているように、思える。

ニコ生の歌い手さんの件も、
障害を持った自分が応援したり、コメントしたりする事が悪い事なのか。
偏見という見方をする社会に問うていると思う。
そして、
自分は、その歌から生きるパワーを貰っていると思う。

就労支援施設長として、○○(妻の名前)が思うが、
普通と言われる人で変わっている人よりも、ずっと障害を抱えている人の
方が(全てではないだろうし、あたしが感じるだけかも知れないが)
素直で、優しい面を持っていると思う。

世の中で、かけひきが出来ない、障害を抱えた人が、他の人と上手くやれない
からダメという風潮があるが、それは、おかしいと思う。

こんな俺が、
社会適応していけるか。
社会復帰出来るか。
についても関係するが、
世の中の人の全てが、そうだ!!では無い。
分かっている人もいる。
そこに、望みを繋げる事だと思う。

これが、
妻からの
『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。
の記事に対する文章である。


確かに、
俺は、病気になってから、健康なとき全く考えもしなかった、「俺とは何者なんだ?」
を妻や子供、医師、臨床心理士、師匠に支えられながら、
俺自身に問い・苦悩しながら見つめ直してきた。
だから、
健康なときの俺は、俺自身で嘘を付きながら、生きてきた俺であったから
妻や子供、医師、臨床心理士、師匠から支えながらスクラップ出来た。
その結果、
軽い、重いは関係無く、俺の根底にあった
発達障害AC

これを知ったとき、
子供も頃からの、他とは違う違和感が、取れたような感じがして、
肩の力が抜けたし、ホッとした気持ちであった。
自然と、泣ける事も出来た。

これから、
これを俺の中に、持ちつつ社会に、どうやったら出れるのかが
現在の課題だ。

とにかく、
今の俺は、俺自身に嘘を付くことだけは、もうしないと決めている。
だから、
俺が理解出来ない事や分からない事は、素直に聞いている。

素直に聞いて、それが、すぐ改善されるとは、俺自身思ってはないが、
妻や子供、医師、臨床心理士、師匠の支えがある限り、
諦めずに、やっていいきます。

けっして、誰のせいにする事なく、
俺自身の問題として。

そして、
病気になってから、
友だちだと思っていた人達が、次々と離れていきました。
今では、日常生活の中では、
家族は別として、仲間は、師匠だけです。
人間不信で、他の人と話すのが怖かった俺に、
ほんのちょっとだけ、
文字であっても、もう一回、他人と話してみようと思えました。
ブログを通じて、また、ニコ生を通じて、
そう、思わせてくれた方々に感謝いたします。

社会復帰まで、これからの道のりは、遠いかもしれないけど、
諦めずに、行動していきます。


『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。

2010-07-26 16:30:45 | 俺とは(終)



   病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして         る理由

#11『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。

#12
『俺とは』(その12) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを紹介している理由。


今回13回目になります。

「俺とは」の今まで、書いてきた記事を、総括して書きます。

パニック障害が発症してから、8年、早いものですね~。
その後の、うつ病の発症
そして、
精神障害者と国から認定(お墨付き)され、
ここ1年くらいで、
発達障害と分かりました。
これが、
俺の病気の8年です。
病気というより生活、大きく言えば、人生の中の8年です。

国家公務員としての身分は、休職中なので、今でもあるが、
今回は、2度目の休職なので、職場も戻す感じじゃないので、
たぶん、戻れないでしょう。
国家公務員として、約30年、働き続け、今では、病気になって
引きこもり、キモオタオヤジである。
それが、今の俺です。


健康な時は、このような状況になるとは、全く考えていなかったし、
ずーと、このまま健康で、定年までいけると思っていた。
最初に症状(パニック発作)が出たときは、その当時、「パニック障害」
なんて病名は、あまり普及してないときで、症状が出て、倒れて、
救急車で運ばれたときは、「過換気症候群」という診断名だった。
落ち着けば、すぐ良くなります。と言われて帰りました。
その後、
症状が頻繁に起こるようになり、行動範囲も狭まってきていました。
その頃、
出された薬がアナフラニール、その後、パキシルだった。
薬の副作用がきつく、2週間ほど、頭はぼぉーとするし、身体が動けない状態でした。
でも
症状は、取れるどころか、酷くなり、自宅に救急車を呼ぶ回数も増えました。
そんな中でも、
職場には、今の生活を壊したくない。という気持ちから、行ってました。
そんな生活が、約5年位続きました。

その後は、
症状の苦しさから、自殺未遂2回(1度目は川に身投げ、2度目は首釣り)したのに、
死ねない。苦しさから、俺の母親や妻に、怒りをぶつけていました。
そんな中でも、職場には、這ってでも行ってました。
行くというのは、やはり、今の生活を壊したくない。というものでした。
この頃くらいから、今のブログを作ったときだったし、ニコ生にのめり込んで
いた時でもあります。

這ってでも行っていた俺に転機があったのは、約2年前、
病気になってたいした、仕事も出来ない俺に、職場は、半ば強制的に休職になり、
これから、完全引きこもりの生活でした。
何とか、少し回復し、休職から復職しました。
復職も付け焼き刃であったため、約1ヶ月で、ダメになり、再び休職になりました。

その後は、
再び「生きている意味」、「生き続けることの意味」が見いだせなくなってました。
やはり、
あの時、死んだ方が良かったのではないか。とさえ考えるようになってました。
この頃、聴いたのが、子供が聴いてた、ヤマイさんの歌です。
なんて、力強い歌い方なんだろう。と感じました。
しばらくしてから、
妻に福祉を学んでみないか。と言われ。初めは、行動に制限があった俺には
無理だと思い、断りました。
妻は、あたしが一緒に行くから、やってみな。と言われ、
介護福祉士の通信教育を初め、土日のスクーリングは、行動制限(広場症候群)があり、
妻一緒に、行ってくれました。
実習は2週間でしたが、妻の職場の近くで行い、たびたび、見に来てくれて、
途中、発作で倒れたこともあったけど、何とか、実習も終了しました。
国家試験は、3度、2次で不合格。
今回、4度目になりますが、受けるかどうか、現在迷って居る状態です。

日々、具合が悪くなると、
妻がいるときは、傍にいて、手を握ってくれます。
そんな時、
手って温かいなあ。と感じました。
人間の手って、こんなに温かいものなんだ。と本当に、感じました。
その温かさは、俺というより、俺の脳を落ち着かせました。
そして、
こんな俺でも、いいのか。と聞くと、
子供達から、
父さんは、父さんじゃないか。と言われ、泣きました。
このときくらいに、発達障害というのが、分かったのです。

これ以降、
犬を飼うことを勧められ、こんな俺に世話出来るかなあ。と思いつつ
やってみようと、思い、初めに飼ったのが、ミニチュアダックスフンドで、
一緒に、寝たりしてましたが、途中から、俺の母親の犬になってしまい、
俺の母親は、その犬を連れて、お前の面倒は見切れん。と言って実家に
帰りました。
次に、飼ったのが、今の師匠です。約2ヶ月で、家に来ました。
初めは、大変だったけど、
次第に、
こいつは、俺に似てる。と思い始めました。
似てるのは、右も左も何もわからないで、混乱するとこです。
俺も症状が出ると、頭が混乱するのに、似ているのです。
そんな感覚を持つと、
こいつ(ウィル)と、俺は、一心同体だと感じるようになりました。
それに、
こいつ(ウィル)に、完全引きこもりの俺は、外に出してもらい、
行動させてもらっているのです。


そんな日々が続き、
今年の3月くらいから、
徐々に、行動出来るようになると同時に、何かをしてみたいという気持ちになりました。
それから
ウィルの散歩、食事の支度などとともに、ブログを徐々に再開させました。


ブログを徐々に再開させてから、

こんな俺を、理解する努力をして頂け、前向きな考えを学ばせてもらっている人に、
出会えたのは、本当に嬉しかった。
病気になってから、
友だちだと思っていた人達が、次々に離れていき、人間不信に陥っていたし、
その出会いは、ほんのちょっとでも、また人を信じていいのかも。と思わせて
もらいました。
その時、
俺だけ、こういう風に、学ばせてもらっていいのか。と自分自身に問いました。
その問いは、
以前、ニコ生の歌い手さんから、力(パワー)をもらったことを思い出し、
こんな俺に、何か、応援出来ないか。と考え、現在、応援させてもらっています。


ここで、少し、精神障害と発達障害について書きます。

全ての人とは言わないけれど、
多くの人は、
精神障害者=キチガイ
発達障害者=知恵遅れ
などと思われているのかもしれません。
しかし、
このどちらの思いも、全く違います。
俺から言わせれば、
このような方達と、いろんな機会で、話す事がありますが、
普通の人と言われる方よりも、人間的である。と俺は感じています。
人間的とは、
どんな些細な事でも、分からないことは、分からないと素直に言えます。
普通だと言われて居る人は、些細な事でも他人に、素直に聞けるでしょうか?
自分をごまかす事なく、わかりません。教えて下さい。と素直に聞けますか?

少しでも、そのような偏見をなくす事が出来るのならという思いと、
こんな俺が、本当に、社会適応・社会復帰出来るのか。を書いている
ブログであると言えます。

大人の発達障害についてYOUTUBEからのを見て下さい。
この中で、「普通に近づきたい」と言っています。
そんな言葉が、俺には悲しく聞こえます。


普通とは、
誰が決めたのでしょうか?
ですから、
「普通に近づきたい」という言葉に、悲しさを感じるのです。


次に、ニコニコ動画からのです。
コメントがありますが、
この中に、悲しくなるようなコメントがある事に、今の社会を映している
感じがしてなりません。




最後に、ニコ生の歌い手さんです。
今まで、このような方達を、俺なりに応援してきました。



記事を書くにしても、
喋られると、上手く理解出来ないので、放送を聞きながら、
紙に書いてます。
その紙を見直して、歌い手さんの良いところを、書き出す。
この作業があり、
記事にするのが、遅いのです。
申し訳なく、思ってますが、それが事実です。





そして、
歌い手さんを紹介している事について、様々なコメントが来てます。
それを、公開は、しません。
誹謗・中傷なので、今後も、公開する気はないです。
そんなのには、俺は屈しません。


直接ニコ生の歌い手さんに、素直に、問いたいでのです。
○ こんな俺に応援されて嫌なら素直に嫌と言ってほしい。
○ 障害を持っている俺のような人間が、歌い手さん達と絡んではダメ
  ですか?
○ 健康な人間しか、相手しないのですか?
○ 理解出来ないかも知れませんが、歌い手さんから癒されたいと
  思ってるんでは無く、生き続けるためのパワーをもらっていると
  感じています。
  そのパワーを歌を聴いて貰うのは、いけないことなんですか?
○ 歌い手さんだけが楽しければ、聴いている人は、どうでもいいので
     しょうか?
○ 現実の生活もネット同様、おれの様な障害者を見て見ぬ振りをして
  いるのですか?
○ 俺が具合が悪くて寝ていたとき、歌い手さんに、生き続けるパワー
  をもらい、その恩返しをするのは、いけない事なんですか?







『希望』という言葉と現実。

2010-07-24 18:26:45 | 俺とは(終)



『希望』という言葉と現実。について、書きます。


俺が生まれ育った時代は、1960年代の高度経済成長の、まっただ中である。
働けば、働いただけ収入があり、TV、冷蔵庫、車などが買えた時代である。

終身雇用・年功序列は、今では、価値が否定され、崩壊してしまったようで
あるが、その時代は、働いた分だけ収入が増加し続け、買いたいと思うもの
も、働けば、買えた時代である。

この時代の『希望』は、
一生懸命、働き続ければ、収入が上がり、買いたい物は、少し無理をすれば、
買えた。
それは、
社会が意図的に作り出した、『希望』であり、「言葉」と「現実」が一致していた。
と考える。

現代社会を見ると、
『希望』という言葉が、ほぼ化石化しているようだ。

『希望』は、与えられるのもでは無く、自分で創り出すものである。という
考えなのか。と思う。
その考えは、
他人に頼らず、自分でやれ。に近いものであろうと考える。
確かに、その考えに一理は、ある。

しかし、
他人に頼らず、生き続ける事が出来るであろうか?
俺の答えは、NOである。

頼り方には、様々な頼り方があると思うが、
共依存は、俺は、進めない。

それより、
相手を見て、話して、相手から自分の不足している部分が自然に見えてきたとき、
自分の不足している部分を、相手に補ってもらう。
または、
補ってもらわず、自分が努力して、その不足している部分を、自分のものにする。
とかが、あると考える。

これは、共依存とは違うものである。

言葉にするとすれば、相互関係での相互依存とでも言うのだろうか。

相互依存の中で、
自己実現を目指していく『希望』というのがあるし、
社会に少しでも、役立ちたいという『希望』というのもある。
また、
家族に何かしてあげたいという『希望』もある。

どの『希望』を選ぶかは、本人次第であるが、
俺は、自己実現を目指していく『希望』から
家族に何かしてあげたいという『希望』
それから発展して、
社会に少しでも、役立ちたいという『希望』に
していって欲しいと思う。

今の俺が、こんな偉そうな事を言える様な人間じゃないけど、
俺自身に言い聞かせる意味でも、
あえて、書かせてもらいました。

なんか、だらだら書いてしまいました。

どうも、すみません。



『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


『俺とは』(その12) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを紹介している理由。

2010-07-20 16:27:19 | 俺とは(終)




   病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして         る理由

#11『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。


今回は、12回目です。

『歌い手さんを紹介している(記事にしている)理由』について書きます。
これは、
かなり前から、書きたいと思っていたのですが、俺の能力不足のため、
ようやく、今頃、書くことになり、申し訳なく、思っています。
そして、
俺自身、俺自身から逃げずに、書こうと思いましたので、書きます。
また、
ブログのアクセスUPの為か。と思われているかもしれませんので、
書きますが、アクセスUPとか、考えてはいません。明日から、
このブログを見る方が、一人であったとしても、その見てくれている
一人が正面から、見て頂いてれば、俺は、いいと思っています。
アクセスUPの為に、特にしている事はなく、Twitterに書くなど
くらいです。
ここは、はっきり俺の考えを書きます。


「歌い手さんを応援している理由」は、上記、#9に書いてますので、
ここでは、省略します。


では、
このブログは、SNSの方の一部は、ご存じかと思いますが、
障害を持っている方が、誰でも、見れる事を目的として、
妻が管理者(施設長)をしている就労支援事業とリンクさせて
もらっています。

そこにいる方は、
俺のような、精神障害者であり、発達障害の方です。

俺も含めて、毎日、体調が良いわけではなく、
体調がよく、出てこれる方もいれば
体調が良くなくて、ダウンして横になって、出て来られない方もいます。

俺も、同じですが、このような病気の方は、経済的・心理的負担が
健常者が考えているほど、重く、ニコ生でプレミアム会員になる
経済的なものも、厳しい状況であると思いますし、一日の中で、
ほんのちょっとでも、潤いがあれば、経済的負担は、軽くなる
訳じゃないですが、少なからず、心理的負担は、ほんのちょっと
かも知れませんが、軽くなるんじゃないかと思っています。


また、
俺も、そうですが、人から話を聴く事や話すパワーが不足しているとき、
音楽などは、体調が良くなく、横になってでも聴けます。

音楽を聴いて、俺が感じたのは、パワーをもらえるようだという事です。
それは、
ひと言で、「元気」と「勇気」が、ほんのちょっと、もらえるという事です。

それによって、
「この人の歌を聴いていたい。」と思えることにより、「生きる」ことが
出来ると考えています。
そして、
「生き続ける」事が出来るようになるんじゃないか。と思ったのです。

俺が、そうだったように、
同じ様な方にも「生き続け」て欲しい。というのが願いです。

歌い手さんに、このような話しをすると、
堅くなり、いつも通りの放送が出来ないんではないか。を懸念しました。
しかし、
しっかり、伝える事で、賛同して頂ける方もいるし、賛同して頂けない方も
いるうでしょう。
無理に、賛同して欲しい。とは、考えてなく、いつも通りの配信で、賛同して
頂ける方が、いればいいなあと思っています。

記事にしている、歌い手さんについて、
どの様な方を、記事にさせて頂いてるのか?
○ 滑舌が、良い方
○ 歌の上手いとか、下手とかではなく、歌を歌っている事に情熱を持ってられると
  感じられ、歌に「元気」と「勇気」をもらえる力があると感じられること。
○ 心地良い放送であること。
○ 歌い手さん自身が、楽しいと感じていること
あまりに主観的ではありますが、このような方に、記事にしていただく承諾のお願い
をしています。

ニコニコ生放送を見れば、いいじゃないか。と思うかもしれませんが、
精神や発達に問題を抱えた方に、適さないのも、あると思いますので、
出来るだけ、心地良い歌を、広く聴いて欲しいとの願いから、記事にしてます。
それは、
俺のように、老若男女問わず、引きこもっている方に、聴いて欲しいとの思いから
です。

ここの考えは、
「障害を持っている方に、心地良い感じは、健常者にも心地良い感じを与える」という
ものです。


出来れば、ご協力、ご賛同、頂ければと、思っています。
ご協力、頂けた、歌い手さんを、こんな、ちっぽけな俺ですが、
精一杯、応援します。
また、
記事にさせて頂いた、歌い手さんには、謝礼等、差し上げられませんが、
俺自身、どこからも何の収入も頂いて、おりませんですので、
どうか、ご協力、願えればと思っています。


追伸:
紹介を承諾して頂いてる、歌い手さんに。
能力がない俺ですので、
この場を、お借りして、もう少し、お時間を下さい。
すみません。


『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。

2010-07-18 10:56:24 | 俺とは(終)



  病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして         る理由


今回で11回目です。


今回は、『俺の中の俺を乗り越える』事について書きます。

俺の中には、もう一人の俺がいます。
それは、
発達障害Acの俺。

知らない人から見れば、人格障害と思われるかもしれない。

まあ。それは、どう見られても、いいんで、
今では、そういうのは、気にならなくなりました。

そこで、
発達障害Acの俺は、今まで、書いたように、
人間関係がダメな俺
コミュニーケーションがダメな俺
etc・・・
書くと切りがないので、こんあたりで、やめときます。

無意識の衝動性とともに、いつしか義務感でやってしまう事があります。
初めは、
やってて、楽しかったのに、いつのまにか、苦痛になっていたという場合です。

それは、
いろんな場合がありますが、
俺の場合は、師匠との散歩
初めは、楽しかったんですが、毎日、やらなきゃという考えが、いつしか俺自身を
追い詰めてました。それに加え、師匠、腹減ってるだろうな。と考えると、
その追いつけるのが拍車が掛かり、苦痛にさえ、なっていた俺でした。

そんな俺に、
妻や子供から
ウィルだって、あんたの事を知って、今、物音一つなく我慢してるんだよ。と
言われ、
俺は、身体がきつくて、散歩に一緒に行けない俺がキツイだけじゃなく、
師匠もキツイんだ。
と思えたとき、
俺と師匠は、一心同体、運命共同体のように感じました。

それからは、
俺の身体が、きつくて動けないときは、無理に行こうとせず、
師匠に、すまん。といい、行けるときに、すまなかったなあ。と直接言うようにしてます。
師匠と俺の関係が、変わりました。

俺が無理してやると言う事は、師匠にとっても、楽しくないと言う事が
理解出来たのです。

俺の体調がよくないときは、師匠も理解しているらしく、
騒ぎとか、物音一つせず、体調が良くなくて横になっている俺が
かえって、生きてるよな。と心配するほどです。

散歩に一緒に行くときは、師匠は、思いっ切り、俺に甘え、
遊んでと言ってる感じです。
そんな時には、俺も、なるべく答えるようにしてます。

これが
俺と師匠との関係です。

こんな関係が、家族以外の人間でも出来たらなあと感じます。
しかし、
もう一人の俺が、それをさせないのも事実なので、
『俺の中の俺を乗り越えたい』と思って、日々、生活してます。





『自分のために生きてみよう』②

2010-07-17 17:36:57 | 俺とは(終)


前に書いた、『自分のために生きてみよう』の続きです。

『自分のために生きてみよう』を書く前に、人間や病気などを理解する事について、
書き、その上で、自分自身が「幸せ」だと思える事について書きたいと思います。

まず、
人間や病気などを理解する事というのは、
体験からしか話せないけど、
健康なとき、自分を理解して欲しい。という欲求が、頭のどこかにあった。
自分を理解しない相手から、何か言われたら、不満がつのり、ストレスに
なるのだと思う。
病気になれば、尚更、自分を理解して欲しい。+病気を理解して欲しい。と
健康なときよりも、理解を求める事に拍車が掛かってしまう。


病気になってから、
自分を理解してくれ、病気を理解してくれと、約6年、言い続け、相手が理解
していない。又は、理解しようとしないと感じたら、家族を含め、怒りで暴言や
暴力行為をしていた。
約、6年が過ぎた頃から、相手は、自分の事や病気の事が分からないんだ。
と思えるようになった。
それは、
自分自身に向き合い、自分自身に問い、自分自身を見つめ直す。ことが出来る
居場所があったからだ。
その居場所は、妻や子供がいる、この家庭である。
これは、
『居場所』があるからこそ、俺が俺自身に問い、見つめる事が出来る。の記事で
書きましたが、それに気づいたのは、本当に、つい最近です。


相手が、自分の事や病気の事を理解出来ない。というのは、投げやり的、開き直り
ではなく、自分自身が、「何者であったのか」と今、考えれば、通じていたと思います。
自分自身が「何者なのか」を知っていれば、相手が理解出来ない事も自分自身で
理解出来る。

ですから、
今の自分に、
精神障害者
発達障害
キチガイとか
言われても、自分自身が「何者なのか」理解しているから、気にならないのです、

それよりも、自分自身の今の問題は、
衝動性です。
衝動性が出てるな。と意識的に分かるときもあれば、分からないまま出る事が
あります。
分からないまま出るのが、問題なのです。
分からないまま出た、事例が、
衝動性を自然に、引っ込ませるために。で書いた記事です。

どうも、
分からないまま出る、衝動性は、思考・感情・身体に関係しているのではないか。と
最近感じています。
感情が優先すれば、分からないまま衝動性が出やすくなる。思考が優先すれば、
衝動性は出ない。感情が優先して衝動性が出た場合、身体が、それに引っ張ら
れ行動する。
それとともに、性格上の「こだわり」が関係しているように思える。
これは、臨床心理士の方と話し合うとき、そのメカニズムを解明すれば、自分で
コントロール出来ると、言われてますが、簡単に、その事が分かると思えないので、
分からないまま衝動性が出た場合、妻から「出てる」と言ってもらう事にしている。
そうする事によって、自分自身、衝動性を抑える薬を飲んで、とにかく寝る事に
しています。
寝ているときは、衝動性を発揮したがる「感情」ですが、それと闘いつつ、薬が
効いてくると、抑えられ、眠ります。
起きてから、その衝動性が出た状況を自分自身の中で、なぜ出たのかを考え、
出る状況がはっきり、分かるときは、その状況になる前に、自分自身、回避しますが
出た状況が、曖昧なときは、今度は、「突き止めてやる」と思いつつ、日々の生活を
することにしています。
このメカニズムを、自分自身の中で、突き止め、自分自身でコントロール出来る事
が、今の課題です。

こう言った事を考えながら、行動していると、
これも、「こだわり」だと思いますが、
ある人が片方の人に、分かる。分かる。と言うのがある。
それは、
内容によりますが、自分自身に病気や課題を抱えている方に、安易に「分かる」
とは、言わない事にしています。
実際、相手の苦しさ・辛さが分からないからです。
この時の、「分かる」というのは、自分自身、嘘だと思っているからです。
しかし、
その苦しさや辛さは「理解するように努力する」と言うようにしています。
それは、
『分かる』ことと『理解できる』こと。の記事にも書いた通りです。


自分自身、日々、辛いことだけを考え、行動して、いたのでは、身が持たないので、
「幸せ」って何かな?と考えるようにしてます。
同年代の方なら、知っていると思いますが、



この歌詞の最後に、
「アホとあほのおもいやり」と歌っています。

今の自分自身、「幸せ」ってなに?と問われたら、
「アホとあほのおもいやり」と答えるんだと思います。
「幸せ」ってなに?とは、自分自身、今は、この程度です。


長々と書きましたが、
自分自身のために生きられない人間が、他人のために生きられない。
他人のために生きられない人間は、夫婦関係であっても生きられない。
他人のために生きられる人間は、夫婦関係を含めた家族の中で生きられる。
家族の中で生きられる人間は、社会の中で生きられる。
やっぱり、
自分自身のために、生きられないと、どこででも、生きられない。ということだと
思ってる。


開き直りや、投げ捨てるような
自分自身のために生きるのではなく、今の自分に言えるのは、
自分自身に向き合い、問い、見つめ直して、何者かを知った上
でのことだと思っています。

あくまで、自分自身の体験上から書いています。
それぞれの人間の考え方や理解の仕方が違えば、生き方も違ってくることを
追加して、おわります。




『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりしてる理由

2010-07-16 10:27:09 | 俺とは(終)





   病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

今回は10回目です。


今回は、なぜ?ネットで他人とやりとりしてる理由について書きます。


ダメで元々 ←この記事に、大体の病気の経緯が書いてありますが、
この後、何度か、記事にも書いてきましたが、ここ1年くらいで、俺の中に、
パニック障害・うつ病が表出した原因として、発達障害Acがあることが
分かりました。

健康なときは、そんな事は、全く考える事なく、普通の健康な人間として、
生きてきました。
でも、
子供の頃から、友だちとか学校では異和感を感じていたのも事実です。

その異和感とは、話しをしていても、話しの内容が理解出来ない事があり、
話しの流れに付いていけずに、違う話をして、今で言えば、KY発言がありしました。

その事を親に言っても、
お前は、普通なんだ。と言われました。
この当時は、丁度、高度経済成長の時代であり、余程、おかしくない限り、その頃では、
特殊学級、今で言えば、特別支援学級に、入れられる事は、ありませんでした。
そのため、普通の学級で小学校・中学校・高校と進み、公務員として就職し、
約30年、います。(今では、病気になってから、休職になり、一度は復職させてもらえた
のですが、たぶん今回、二度目の休職では、復職させてもらえないと思います。)

職場とのやりとりは、
このブログの「職場と正面から向き合って」のカテゴリーにあります。
過去書いた分も、少しづつ、俺自身の心の整理を付けながら、公開してます。

病気が発症してから、考え悩んだのは、
○ なぜ、この病気になったのか。
○ 俺は、何者なんだ。
○ 精神障害者として、俺自身が受け入れられるかという葛藤
○ 家庭を維持していくために、どうすればいいのか。
○ 子供は、どうなるのか。
  etc・・・列挙すれば、まだありますが、大きくはこんなとこです。
様々な事を考え、家族を含め、悩み、苦しみました。
この時に、
妻や子供、医師、臨床心理士の方から支えられながら、
冒頭でも述べたように、発達障害Acが俺の根底にあることが分かりました。
これが、
ブログのプロフで書いてあるスクラップという意味です。

俺が何者なのかが、分かったとき、安心し肩の荷が下りた感じでした。
子供の頃からの異和感は、これだったんだあと、分かったからです。

それとともに、
これを抱えながら、どう生きていくか?どう生きていけばいいのか?
が俺や家族の課題になりました。
これが、
俺のブログで書いてあるビルトです。


どう生きていくか?どう生きていけばいいのか?

妻や子供、医師・臨床心理士の方から支えられながら、見つけだしたことは、
○ 無意識にしろ、意識的にしろ、子供の頃からあった発達障害Ac、ある意味、
  俺自身を普通だと思い誤魔化して生きてきたんじゃないか。
  そうであるとすれば、
  もう、自分を普通だと、誤魔化して、嘘を付いて生きるのは、やめよう。
  と、決めました。
○ それと同時に、他人と自分を比較することをやめよう。
○ そして、精神障害者として俺自身を認めよう。
今、現在は、ここまで、心が、ようやく統合されました。

この後に、俺に必要なのは何か。
○ 相手の話しを、理解し、相手が何を言いたいのかを理解出来ること。
○ 相手の表情や感情を読み取れること。
これが、出来ないため、頭が混乱したり、衝動的になったりするのも、分かりました。

これを、やるためには、相手が必要であり、
○ まずは、視覚的に一番理解しやすい文字から、相手との、やりとりを通じて、練習というか
  訓練していこう。と思いました。
  文字のやりとりでも、文章の中にある、相手の感情を、どの程度、読み取れるのか。
  俺自身が、今、俺自身を試しています。
○ これが出来て、ようやく、社会の中にいる他人と会話の練習(訓練)だと考えています。
  社会の中にいる他人との会話は、妻が練習の場の準備をしてくれていると思います。

今まで、話してきたのが、
俺が、ネットの中で、やりとりしている理由です。

ネットの中で、やりとりしている中で、理解しずらいところは、何遍も読み返して、
理解しようとしてますが、上手く、相手の感情を読み取れない場合は、
まず、相手に、素直に聞いて、それでも分からない場合は、
妻に聞いて、相手が、どのような感情で書いたものなのかを聞いて教えられてます。

こんな、子供みたいな俺
こんな、アホな俺に
向き合って、何とか、社会適応・社会復帰にご協力頂けるという方は、
俺と正面から向き合って、文章でのやりとりをお願いいたします。
正面から向き合うとは、何か堅苦しく聞こえますが、普通に接してもらいたいという事
ですので、格別、どうのこうのというのでは、ありません。
もし、
俺と文章で、正面から向き合って、俺が潰れても、妻や子供、医師・臨床心理士の方が支えてくれているから大丈夫です。必ず、俺自身復活します。
そして、
誰かのせいにしたりする事は、ありません。


また、
こんな俺に、協力なんか出来るかあ。と思われている方もいるかと、思います。
それは、それで、いいと思っていますし、そこは、はっきり言って頂いた方がいいかな。
と俺は、思います。


最後に、
これを、日々、やり続けるのは、本当に、俺自身、キツイですが、社会適応・社会復帰を
諦めずに、師匠と一緒に、すすんでいきたいと思っています。
また、
ニコ生の歌い手さんには、
○ 俺が、病気になって苦しいとき、
  「死にたいと何度も、考えてました。
   歌を聞いて、死ぬのを止めた事もあります。」
   この頃の俺は、自殺未遂を2回し、ICUに運ばれ、なぜ生きているんだと。俺自身に
   言っていた時期です。
  上の子供は、今春、大学に入学しましたが、
   この苦しい頃、上の子供は、まだ高校2年くらいでした。
  そのとき、
  歌を聞いてました。
  その歌を、床にあった俺が聞き、力強い歌声であると感じ、その恩返しとして、
  今の俺が出来るのは、このブログで紹介する事しか、今は出来ないので、
  そうしてます。
○ 話してるとき、歌い手さんの話しの内容を、理解するようにしていますが、
  上手く理解出来ないときには、ログを上げれない時もあります。
○ 音楽(歌)は、俺に、日々の生活での元気と勇気を与えて頂けることに感謝してます。







どうしようか、迷う? 俺自身で決めるしかない!

2010-07-15 12:17:08 | 俺とは(終)








4度目である。

過去3回は、2次で不合格。

その理由は、俺自身、はっきり分かる。
それは、
実技なのだが、相手と上手く、コミュニ-ケーションが取れないからだ。
そのため、
制限時間を超えて、しまう。


病気になってから、
社会福祉を学びたい。と思い、病気や俺自身と闘いながら、
少しずつ、本当に、少しずつ学んできた。

もし、合格しても、人間関係のある、こういうような、ところには勤められないには、
俺自身が良く、知っている。

大風呂敷を広げて言うなら、
こんな俺でも、何か、家庭、そして社会に役立つことがないか。と
考えている。
その中味は、まだ、見えていない。
しかし、
「社会福祉」というのだけは、何となく、ぼやけた感じで、見えような感じだ。

妻に、迷っていると話したら、
「受験するにしても、受験しなくても、あたしは、どちらでもいい。」と
そして
「それを決めるのは、あんたしかいない。」と言う。

それは、その通りだ。
俺自身が決めなくちゃと。考えている。

今は、迷いながら、俺自身で考え、行動しながら、決めていきます。










『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


『あって当たり前だと思う』こと。

2010-07-14 18:30:16 | 俺とは(終)





『あって当たり前だと思う』こと。について、書きます。
これは、
子供にも、言ってる事です。
そして、
俺自身にも、言い聞かせていること。

俺や妻、子供に、今、一人一台ずつ携帯電話がある。
もし、
携帯電話が急に、なくなったら、不便だと、たぶん感じるであろう。

あって当たり前だと思うから、不便に感じたり、イライラしたりするんではないだろうか?

もし、
無くて、当たり前だとしたら、不便に感じたりしないし、イライラせずに、もっと違うことに
「力」を注げるのではないかと考える。

思い起こせば、妻と結婚したとき、なにも無い状態であった。
それを
妻と力を合わせ、車を買い、子供が生まれ、家を建て、今、子供を育てている。

これが出来たのは、
「無くて当たり前」のところから始まったからでは、ないかと思う。

病気が発症したとき、
すでに、あって当たり前の状態に、慣れていたから、そのある物を失いたくない。と
苦悩した。
苦悩して苦悩して、見えたのは、
物は無くていい。
妻や子供さえいて、しつかり生き、育ってくれれば、いいと、今では思える。
そして、
今、俺は、まずは社会適応に向け、妻や子供、医師・臨床心理士から支えられ、
1mmでも前に行く。




『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。