第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

命の尊さ

2007-09-30 22:41:20 | 心の旅

今日は秋でした。
とても良い天気でした。
空模様も秋らしくなってきたと思います。

 

 

 

命の尊さ
『Life 天国で君に逢えたら』という映画が上映されて
います。
癌を宣告された飯島夏樹さんがウインドサーファとして
夢を諦めないこと、愛する人と時を刻む喜び、自分は
生かされているという命の尊さを感じることだと思います。
ぷぷりさんの今日のショコラの記事には、ぐったりした
フェレットが写真で載ってました。
そのフェレットが、どうしたのかは知るよしもないですが、
人や動物には、命があります。
命の尊さは言葉では、感じることは出来ないと思います。
「大切」というような感情は命の宿ったモノに触れていく
中で愛情というのが育っていくものだろうと思います。
また
命の尊さの意味は愛情のやりとりを通じて学ぶのかも知
れません。
人や動物が死ぬかも知れない=たくさんの人が悲しむと
いう意識が低い現代社会の中において、目を背けずに
生活のあらゆる場面で命に接し疎かに扱っていないかと
いうことを点検することが大切だと感じます。
遠い地からぷぷりさんのショコラが元気でいる事を祈って
います。




ゲンキないぞ!どうした~・・・

2007-09-29 20:20:36 | 心の旅

今日の天気はでした。
秋晴れといったところでしょうか。
雲一つなかったです。

 

ゲンキないぞ。どうした
ぷぷさん。
ゲンキないぞ!
薬の副作用でキツイのは分る。
私も病院を代えて薬も変りました。
日中、眠いのを必死に我慢してます。
日中、寝ると夜に活動が活発になり、それが一日
のリズムを崩し、悪循環になるのが経験上、分って
いるからです。
日中、少しでも起きていられる為には、何かに集中
しないといけないんじゃないかと思います。
私がぷぷさんの眠い時間にメールをしますんで、そ
れを返してくる。
どうです?
ぷぷさんの眠い時間を教えて下さい。
みんなで協力して、悪循環を絶ちましょう。

 

 

買いました~
FictionJunction YUUKAのセカンドアルバム「circus」

 



なぜ、これを買ったか?
これを作詞・作曲・編曲そしてキーボードは梶浦由紀さん
だからです。
梶浦由紀さんは、様々なTVの楽曲を提供しています。
ガンダム系とかでは
『あんなに一緒だったのに』
『静かな夜に』
『水の証』
『暁の車』
など多数です。

今回、買った「circus」も良い出来映えだと思います。
音楽に体温を感じます。
素晴らしい楽曲を創る梶浦由紀さんは天才だと私は
思っています。

 

 

 



 


一雨ごとに本格的な秋になって行きます。

2007-09-28 19:15:18 | 心の旅

今日の天気はでした。
一雨ごとに寒くなっていくんだなぁと感じます。
空模様です。

 

 

立ち上がると言うこと
病気にしても、何らかの障がいを負った場合に
自分独りだけで、立ち上がれるのは至難だと思
います。
独りだけで立ち上がれる人は希だと感じます。
家族や周囲の理解や協力があって始めて立ち上
がれるのだと思います。
苦しい時や辛い時は、代ることはできないけれども
励まし支えてくれる人がいるはずだと思います。
それを、気付かずに自分独りだけが苦しいと思いこ
んでいた事を私も経験があります。
次第に、病状が軽快する中か、薬が合っていく中で
余裕が出来、気づいて来ると思います。
自分独りが苦しいと、どうしても孤独になるんだと思い
ます。
私も、そうでしたから。
傍にいる家族は勿論、それ以外で誰かが見守ってくれ
ているんだと考えると、少しは心が軽くなりませんか?
その様にして、最後に立ち上がる一歩は自分自身です。
それまでは、家族や周囲の理解や協力で支えられれば
良いと思います。
無理はしないように少しずつです。

 

 

焦りとジレンマ
私の経験から病気になった時や薬を始めて飲んだとき
入院したとき、薬が変ったとき、薬の副作用があるとき
などは、どうしてもジレンマあると思います。
大部前の記事でも書きましたが、
病気に振り回されるか。
それとも
病気を取り込むか(上手く付き合うか)
によってもジレンマは大きくなったり小さくなったりするの
だと思います。
ジレンマがあるのは、仕方ないと割り切れれば良いんで
すが、そう簡単に割り切れるものではないでしょう。
でしたら、
苦しいかも知れませんが、出来るだけ良い事を考えるよう
にしたら良いと思います。
私も最初は出来ませんでしたが慣れると意外と出来るよう
になって来ると思います。
それと
焦る気持ちも禁物ですね。
焦っても良いから、自分の気持ちに素直になることかな?
仕方ないと割り切る事と素直な気持ちになる事は一見、
矛盾しているように感じるでしょうが、頭で考えるよりは、
身体で感じた方が分るんじゃないかと思います。
焦らないで素直な気持ちで・・・

 


「この子らを世の光に」の理念

2007-09-27 18:28:09 | 心の旅

今日の天気はでした。
風の少しづつ冷たくなって来ました。
空模様はドンヨリです。気分までドンヨリですね。




サイレントトーク
サイレントトークとは聴覚に不自由な方とコミュニケーションを
取る方法です。
こうやってブログをしているとサイレントトークも
あるんじゃないかと思います。
それは
相手にコメントをしなかったりした時、何故コメントをくれないの?
と思うと思います。
確かに
コメントは文字で伝えるコミュニケーションだと思います。
文字以上に顔を見合わせて話をする方が相手の表情も知ること
が出来、多くの情報によってコミュニケーションを図ることが出来
ます。
ブログの場合でもサイレントトークが出来るんじゃないかと思うよう
になりました。
相手と、ある程度の信頼関係があるのが前提ですが相手の書いて
いる文書の中から相手の気持ちを読み取る事だと思います。
サイレントトークは感覚的(身体で感じる事)に理解するものです。
そう言った意味では
目で見えるものが、全て正しいのではないと思えるようになるんじゃ
ないかな?
と思います。

 

 

この子らを世の光に

この子らを世の光に―糸賀一雄の思想と生涯
京極 高宣
日本放送出版協会

このアイテムの詳細を見る
    


この本を読んだ時、泣いてしまいました。
重い障がいをもった人、働けないばかりか思考する力も全くないと
思われるような重い心身の障がいを持った人の生きる意味と価値
を、どう考えればいいんだろうか?

糸賀一雄氏は本著の中で
「ちょっと見れば生ける屍のようだとも思える重症心身障がいの、
 この子らが、ただ無為に生きているのではなく、生き抜こうとす
 る必死の意欲を持ち、自分なりに精一杯の努力を注いで生活
 している事実を知るに及んで、私たちは、いままでその子の生
 活の奥底を見ることの出来なかった自分たちを恥ずかしく思う
 のであった。重症な障がいは、この子たちばかりでなく、この事
 実を見ることの出来なかった私たちの眼が重症であったのであ
 る。」

 

「重症者の生そのものが、精一杯に生きてゆこうとしている営み
 の姿そのものが他者の生に働きかけ、他者の生を問うている
 のだと思われます。」

 

この様に述べておられます。

 

現代社会の病気な人としての価値観が、この新たな人間観の光
によってなされていくことを望みますし、弱い立場に置かれている
人たちが大切にされる社会や職場であると思います。

人間を大切にしない社会や職場は、どんなに威勢が良く見えても
やがて崩壊すると思っています。

重症心身障がい者の生み出し、教えるものから学べない社会や
職場は、学んでいない貧しさだとも思います。


檄!帝国華撃団

2007-09-26 19:19:39 | 心の旅

今日の天気は秋でした。
空模様も秋の雲のすじが入っていました。
こちらも秋だなぁと感じます。
いつも空を見て思うのは人間は小さいなぁと
感じることです。

 

 

心のバランス
何か悩みんでいる事や苦しい思いをしていると心
のバランスが保てなくなるんじゃないかと思います。
また
心のバランスが保てなくなると身体に多彩な症状
を出すのだと思います。
では
心が悩んだり、苦しんでいる時は、どうすれば?
と、思っている方が多いんじゃないかと思います。
私も偉そうに言えませんが、経験上から悩んで
苦しむ時は、大いに悩んで苦しんだ方が良いよう
な気がします。
ただし
本人は勿論、周囲に人も自分で自らの命を絶つ
事だけは避けなければならないと思います。
その上で、
大いに悩んだり苦しんだりする事は、人生の宝に
なると考えます。
本人も知らずのうちに他人の痛みを分る人間に
成長するのだと思えますし今後の人間関係も
バランスよく出来るんじゃないかと思います。
ですから
今を悲観しないで欲しいと思っています。

 

 

檄!帝国華撃団
サクラ大戦のテーマ曲です。
何で、ゲキテイなの?
と言われたら、歌詞が私の肌にマッチしたからです。
今日の夜
休職にした上司が謝りに来ました。
私は、本当に謝る気持ちがあれば、定年になり社会
に出たら、私の様な人間を見かけたら手を差し伸べて
欲しいと
そして
私は職場に復職しメンタルヘルスケアをやる事が使命
です。それは、今の職場で良いことだけをやった訳では
ないので、それをする事が贖罪になると思います。
と、言いました。
職場においてメンタルヘルスケアをやることが私の本道
だと思っています。

 

 

檄!帝国華撃団を歌詞です。

 引き裂いた 闇が吠え 震える帝都に
 愛の歌 高らかに 躍りでる戦士たち
 心まで 鋼鉄に 武装する乙女
 悪を蹴散らして 正義をしめすのだ

※走れ 光速の 帝国華撃団
 唸れ 衝撃の 帝国華撃団


わたしたち 正義のために戦います。
 たとえ それが命をかける戦いであっても
 わたしたちは 一歩も引きません!
 それが 帝国華撃団なのです!



 街の灯が 消え果てて 脅える帝都に
 虹の色 染め上げて 躍りでる戦士たち
 暁に 激情を 照らし出す乙女
 悪を滅ぼして 正義をしめすのだ

 

 



苦しいだけじゃつまらない

2007-09-25 21:02:34 | 心の旅

今日の天気はそして時々でした。
何という天気なんだと思いました。
晴れている時に撮りました。
こんなに天気が良かったのに。。。


それと秋と言えば収穫の時期!
家庭菜園のトマトがそろそろ食べ頃に

 

負のスパイラル
病院が変り薬の増薬そして変更で、身体が慣れる
まで副作用などに苦しんでいるんですが、家族さえ
その辛さは恐らく知らないし、変る事も出来ないと
思います。
家の中で苦しんでいれば負のスパイラルになると
感じました。
服薬する→苦しい→寝る→起きる→苦しい→服薬
と言う悪循環だと思います。
こんな時は悪い事しか思い浮かばない体験を以前
しましたので、今回は苦しい中でも、思いっきり行動
して見ようと思いました。
負のスパイラル、悪循環は自分自身で絶ちきるしか
ないと思いますし、自分で断ち切れない場合は医師
などの専門家の力を借りるしかないと思います。

3連休(9月22日~24日)は札幌へ
負のスパイラルから脱出するため、思い切って札幌
へ行きました。
何と辛かったこと
身体に症状が出ても3日間、やり通しました。
これも家族やみんなのお陰だと思っています。
お陰で症状が少しだけ軽くなりました

札幌駅から出るところです

札幌駅からすぐに出たのでパシャ

札幌駅に併設しているステラを

ガラス張りの建物を

今年の札幌に紅葉の秋は遅いと感じました。

そう言う訳で、札幌に行き負のスパイラルから
抜け出そうとしてました。
ガンバルゾォ

 

人との関係性
人と人が会話する時でも、偶然に出会う時でも
関係性があると思います。
知らない事を知ろうとする好奇心や自分に無い
ものを何か持っているといった興味があるんじゃ
ないかと思います。
「やりとり」の中で初めは、上下の関係などは、
考えないで、もっと知りたいという好奇心が上回る
んじゃないかとも思います。
人は、その好奇心を満たすと、物足りなくなるのが
人間。
哀しいことに、
それ以上の好奇心や興味をそそるものを探しだす
のだと思います。
それを、繰り返している時は一瞬、感情が満たされる
かも知れませんが、また満たしてくれるものを探すの
が人間です。
人と人との「やりとり」は、そう言った刹那的なものも
あれば、細く長い付き合いもあり、一概にどれが良い
とは言えませんが、私自身は「やりとり」の中で、それ
ぞれが人間的に成長していく方が味があっていいなと
思います。
人との「やりとり」において
主人公や脇役は無いと思っています。
同じ人間ですから、相手を尊重する事だと思います。
ですから
上下なども無く
ゆるやかに、しなやかに
なのです。

 

 

 

 


一歩前へ

2007-09-21 08:39:29 | 心の旅

今日の天気はです。
秋晴れで風は少し冷たいなぁ。

 

昨日は・・・
天気はで、どしゃ降り状態でした。
駅で電車を待っているとき撮影しました。

前の病院の先生から紹介状を書いてもらい
新たな病院で行くため電車を待っていました。(妻も一緒です)

電車に乗って札幌まで行く車中から撮影
20分位すると少し調子が悪くなり薬を飲んだ。

札幌駅に到着(ふぅ~。。。)

地下鉄に乗ります。

もう一度、地下鉄に乗り換えるためホームを撮影

病院へ到着!
所用時間1時間10分
前の病院に行く時間より1時間20分短縮です。
1600に着いて診察は2000でした。。。

診察が終わったら夜でした。
帰りの電車に乗るところです。
家に着いたのが10時くらいでした。

とにかく
「一歩前へ」と言ったところです。

行動あるのみと感じました。

 

 


あ~歳ばっかり取ってくぅ

2007-09-19 21:13:12 | 心の旅

今日の天気はでした。
どんより暗い一日で風も強かったですね。

 

歳ばっか取って・・・
今日、満45歳です。
歳ばっかり取ってと感じてしまう日です。
でも、一つだけ嬉しい事がありました。
健康なときは、言って貰えなかった。
「誕生日おめでとう」を言ってくれたこと。
食事も貧食だけど、その一言が嬉しかった。
子らも、夕食時に言ってくれた。
特別なものも何もいらない。
その言葉だけで充分、心に響きました。
妻や子らに「ありがとう!」

 

自分らしく生きる
健康なとき、白いものも黒いものも組織に従い
何の疑問も持たずに仕事を自分なりに一生懸命
やってきた自分

病気が発症してから、一挙に疑問が噴出し、自身
が崩壊するくらい苦しみ、家族や周りにも迷惑を
掛けた自分

その罪を償うとすれば、今後の自分自身だと思う。
いつかは、償わなければいけない罪だと思います。

自分自身に嘘を付きたくないし、子らにも、そんな
姿を見せたいとは今は思いません。

自分は自分であって自分以外のものでは無いと思
います。
自分にしか出来ない事が誰にでもある筈です。
それを、やるか、やらないかは自分自身
やらないで後悔するよりは、やって後悔したい。
そんな自分です。

また、
病気になって強く感じたのは、職場で他人に嫌な事を
する人は家庭でも同じ事をしているという事を感じました。
逆に言えば、
家庭で妻や子らに、何かを強制する人は職場でも同じ事
をしているのです。
ただ、それをしている本人が気付かないだけです。
気付いたとき、苦しみのだと思います。

私は、
人生の終末には、妻には「すまない」しか言えないけど
子らには、
「バカオヤジだったけど、一つだけみんなの為にした」
なんて事を言われてみたいなぁ。と思いました。
自己中心的ですが・・・
あぁ。良い人生だったと終末を迎えるために、今出来る事
をしようと思っています。

終点駅の切符を手にして
我が人生に悔い無し


そんな人生が送れれば良いと思っています。

 

 


共に生きると言う事

2007-09-18 19:18:16 | 心の旅

今日の天気はでした。
空も秋晴れでしたね。

ぼっかり浮いた雲を見とれていました。

 

病院を変えるかぁ~(迷)
病院を変えるかどうか考えています。
片道2時間半はキツク、急な時にいけないから。
どうしても妻に負担が掛かってしまう。
妻に負担が掛かるといっても職場が面倒を見ては
くれない。
信頼していた先生だけに迷う。
もう少し悩んでみようと思います。

 

共に生きる
だれと?
どうやって?
一言で共に生きるといってもピントこないと思う。
昔は町や村で祭りがあれば、老若男女が集い
協力しあいながら祭りを催した記憶がある。
今は祭りと言っても一つのイベントになっている。
昔の祭りは、子どもから大人に認められる儀式でも
あったと思います。
一つの事を仕切れれば、もう一人前だと町や村の
人たちから認められたし、子どもの方も大人になる
一つの段階として存在したと思います。
しかし
今の祭りは人集めのイベントと化し、その様な儀式
は見る事は出来ない。
寂しい限りだと感じます。
また、
町や村で助け合いをし様々な辛苦を凌いで来たとも
言えます。
日本の歴史がそれを物語っていると思います。
現代は、助け合いどころか、貶し合い、蔑み合う社会
になり、殺人事件が報道されない日が珍しくなりました。
これも、寂しい限りだと思います。
私が、共に生きると聞いたら
米国みたく裕福な人が特別な地域で住むのではなく
裕福な人も貧しい人も折り重なるように住んでいる事
を考えます。
折り重なるとは
平面的に区分されるのではなく、立体的に裕福な人
は貧しい人を助ける社会を言います。
これは、強制されるものではなく自主的に、そうしたい
と思える社会です。
そんな社会が来るのか、来ないのか
考えるよりも自らが、出来ることから実行だと思います。
私を含め、一人一人が「シカタガナイ」という諦めで、
社会や職場を棲みづらくしている様な気がします。


 

 


凹んでいても。。。

2007-09-17 19:42:10 | 心の旅

今日の天気はです。
ずーと一日でした。
気が滅入りそうです。
空模様は雨で暑い雲に覆われていました。


土日は何をしていたかと言えば・・・
土曜日
独りで札幌に行って来ました。
こんな所とか


こんな所とかに行って来ました。

何故か足があの所に向いていたのが不思議だった。

日曜日も独りで北海道大学に行って来ました。


自然が多い北大


これも北大の構内です。

家族連れとか居ました。


敬老の日
今日は敬老の日です。
自分にも親がいるのですが、こんな状態だから
何をしてあげれる事が出来ないのが情けない。
親も今は状態が分っているから良いよと言って
くれました。

敬老の日を調べますと


1つは、聖徳太子が大阪に四天王寺を建てた時、
ここに四天王にあわせて、敬田院・ 悲田院・施薬院・
療病院の四箇院を設置したといわれています。
その内の悲田院というのが今でいえば老人ホームで、
この悲田院ができたのが9月15日であったため、
この日が選ばれたというものです。

もう1つは、元正天皇が霊亀3年(717年)に養老の滝
(岐阜県)へ行幸し、年号を「養老」に改元した故事に
ちなむというものです。養老の滝は、孝行息子が老い
た父に酒を飲ませたいと願ったところ霊泉から酒がわい
たという伝説があるそうです。
この故事にもとづき、全国的に9月中旬頃に地域の
お年寄りを招待して敬老会を開くということが以前から
行われており、そこで9月15日を敬老の日に定めたとい
うものです。

まぁ~
今の状態で私自身が何も出来なくても
親が私を産んでくれた事に感謝します。
ありがとうございます。

 


人が生きる上で闘いは不可避か?

2007-09-14 22:33:07 | 心の旅

今日の天気はでした。
空模様は、こんな感じで私のようです。

 

生きるって何かと闘い続けているのかも知れない。
人が生きていく上で何かと闘い続けないと生きて
いけないのかも知れないなぁと感じます。
自分自身との闘い。
人間関係で他人との闘い。
職場との闘い。
社会との闘い。

生きていく上では知らず知らずのうちに何かと
闘っていると思う。

闘いを途中で止めたいと思ったら自らの命を
絶つしかなく、そうやって疲れて命を絶つ人も
いると思う。

私は、そう言う意味において様々な人と関わら
せて貰い、話を聴いて貰える人がいる。
幸せだと思います。

自分が自分自身に負けそうになる事もあります。
世の中では誰にも話せずに独りで苦しんでいる
人がいると思います。
そういう点においても幸せだと感じます。

子らを見ていると、私が思っていた、ちっぽけな
正義感を受け継いでいるなぁと、複雑な気持ち
ですが、心内では私は、幸せだと思います。

おそらく
闘わなくなる時というのは、あぁ~良い人生だった
と人生を終え極楽浄土に逝くとき、そう想えるのか
なぁと感じています。

そう想える日まで頑張ります。

 


秋かぁ。。。

2007-09-13 17:57:36 | 心の旅

今日の天気はです。
そろそろ秋の気配が感じられて来たようです。
空模様は秋晴れかなぁ

ライラックの木も空に向かっている感じです。

 

秋の気配
庭にあるオンコの木に赤い実を付けていました。
秋がそこまで来ている予感です。
あと何度、こんな光景を見れるのだろうか。

 

支配される脳
もう一人の自分が、この頃しょっちゅう出てくる。
何故?

寝て見るのは休職になった夢が多い。
昼間も突然、休職になった、あの事が蘇る。
何故?

休職になった、あの事が蘇ると、もう一人の自分が
脳を支配する。

組織的に休職にした、
あの人間たちを
許せない。
憎い。
怒りが憎悪に変る。

休職にした人間たちは、
お前が勝手に休職になったんだろう。
俺たちに否は全くない。
と言う。
本当に全く否はないのか。
人のやることに完全はない。

給料もなし。
子どもは、まだ学校。
生活が成り立たなくなってきている。
時間は、そう無い。

子らだけでも何とか、立ちゆかせてやりたい。
立ちゆかせる為に
自分はいない方が良い。
妻に、もう一人の自分が言う。
時間が、そう無いから、
自分と離れ子らを立ちゆかせて欲しい。と

妻は、事が分っているから泣いていた。
すまん。
こんなバカで。

自分自身の手でケリを付ける。
時間は、そう長くは無い。

もう一人の自分が言っている。
早く、ケリを付けろと。
あの、組織的に休職にした人間たちを消せと。
そう。消さなきゃ。
あんな人たちが社会にいれば、誰かが泣く。
消さなきゃ。
あの人たちの住所知ってるよ。
どこにいるかも。

あの人たちが消えたら自分も消えるよ。

追伸:
  9月14日0:40書き込みます。
 ご心配、お掛けして申し訳ありませんでした。
 
   近隣から大勢の人が来てくれて私を止めてくれました。
  先程、近隣の人が帰りました。
  フラッシュバックで自分自身を見失ってしまいました。
 
   そして
  ぷぷりさん。
  心配掛けて、すみませんでした。
  近隣の人と、もう一人の私が出て止められなくなったら
  入院する約束をしました。
  ぷぷりさんには、偉そうな事を言っておいて自分がこんな
  で情けなく思っています。
  また
   大勢のみなさんにも、感謝いたします。
  メンタルケア実現のため、諦めずにやり遂げたいと思います。
 
   本当にご心配をお掛けして申し訳ありませんでした。

 

 

 


進むべき道

2007-09-12 15:46:28 | 心の旅

世の中はテロとの闘い云々で首相の電撃辞任
があり賑やかです。
私は自分自身との闘いでいっぱい、いっぱいです。
今日の空模様です。↓

世の中が、どうであろうと空は広いと感じます。

 

 

ボランティア
今の病気になって2年位経って他人の苦しさ・辛さが
少しだけ分かりボランティアをするようになりました。
自らが病気になって苦しんだら、眼が苦しむ方や
辛い想いをしている方に向くと思います。
ボランティアをするに当たって、
社会福祉協議会に夫婦でボランティア登録をしました。
初めに活動したのは、
特別養護老人ホームでの対話活動でした。
週1回、行きましたが2~3ヶ月続けていると、来るのを
楽しみにしてくれて夫婦で喜びました。
また
高齢者の方から教えられる事も多かったです。
それから
作業所に一人でボランティア活動に行くようになりました。
今では妻が違う共同作業所にボランティアに行き、私は
特別養護老人ホームや作業所に週1~2回行ってます。
そして
広域地域のボランティアコーディネーターもやらさせて
貰ってます。
最後に私が言うまでも無いことですがボランティアとは
『自由意志に基づき、主体的に、他者の生活をしていく
上での困難や社会が存続していく上での困難、またより
よい社会づくりへの必要性に心が動かされ共感し、それ
らの解決や改善、実現のために個人が持っている内発
的な力を発揮する人』:大橋謙策先生
ボランティアを消極的な手伝いや無償の便利屋じゃないと
言うことだと思います。

 

 

手帳~2年前の記録から~
手帳を見返していたら2年前に書いたのがありました。
2005年12月15日の日付です。
「進むべき道が決まった時、それは、その人間自身が
社会に果たすべき役割を見いだした時である。
この時、重要なのは、人間らしさ失う事なく、高めていく
努力が必要だと思う。
道を進んでいきながら、人間らしさを少しづつ失う事は
自分の満足を得る事が出来ても、社会に寄与出来る
かは疑問である。」
現在、読み返して自分自身の進むべき道が、
まだ定まっていない事に自分自身が気付きます。

 


自分が自分であるために

2007-09-11 16:02:11 | 心の旅

今日の天気はです。
季節の変わり目で体調は、あまり良くないなぁ。
曇りの日も調子が悪い。
今日の空模様です↓




職場と人間

『会社があるのは社長がいるからではありません。会社があるから
人が集まるのでもありません。
人が集まって会社というものが作られていくのです。』
私も同感です。
利益を追求する職場と、そうでない職場を分けた方がいいのかなぁと
思い、分けて話したいと思います。
利益を追求する職場は、
近年の情勢を見ていますと、合理化・競争原理が激しくなっている気
がします。
合理化・競争原理は、人間の生活を豊かにする反面、他人に自分の
弱さを見せたくない等、職場の人間関係も希薄になり相談相手すら
いない状況になりストレス等により潰れてしまうと言う面があると
思います。
ストレスによって潰れても自己責任になり、人間不信や精神疾患になる
人もいるでしょう。
それでも利益を追求する職場には換えがいるのだと思います。
悲しい事ですが、人間を人間として見ない職場になりつつある
感じがします。
利益を追求しない職場は、
何も生産しないので消費する職場だと思います。
利益を追求しない職場こそ、人が宝だと思っています。
人を育て成長させていく職場だと考えています。
職場で「人があっての職場だ」と何度も言っています。
その回答は、
いつも「職場があるからお前が働けて家族を養えるんだ」です。
声は未だに届いてはいません。
どちらの職場にしろ、心を病む人がいる事に変わりはないと思います。
心を病む人に職場は、どう向き合っていくのかが問われて
いるんじゃないかと思います。
また、
どのような職場にも心を病む人がいると思います。
その人たちに、健常者と言われる人も、
また、どう向き合って行くのかが問われているんじゃないかと思います。
いづれにしても、
心を病んだ人が働きやすい職場は健常者と言われる人が働きやすい
職場だと思います。
そんな考えの人が少しでも増えてくれる事が大切だと思います。




依存と頼る事

依存と頼る事の違いと言われて自分自身の体験からお話をする方が
いいのかなぁと思いました。
この様な病気になっている人が全て、そうだと言う訳ではなく私の
体験上の話として聞いて下さい。
依存を知ったのは、
病気になり約1年くらい職場に這ってでも行っていた時、
職場に心ある人がいました。
その人たちに、病気を理解して貰い支えて頂いた事があります。
その時は、頼ろうと思い、
必死で家族の為にも給料を持ってくるんだという想いでした
次第に自分でも気づくことなく依存していたのです。
今でも、依存していた自分を思いだすと鳥肌が立つくらい怖いです。
頼ろうと言うのは、
今、不足しているところを申し訳ないけど助けて欲しいという事と
妻や子らに心で「すまない」と思い、いつかは病気と付き合えるよう
になったら、その分、返すんで・・・
と言う気持ちと自分で何とか立ち上がろうとする姿だと思います。
依存は、
分かり易く言えば、頼ろうから深みにはまった状態かなぁ。
丸ごと相手に頼ろうとしている事だと思っています。
この状態は自分自身では気付く事は出来ないうちになっている
と思います。
何もかも相手任せで自分という者が無い状態。
相手がいなくなると生きていけなくなると言う恐怖。
自分自身で、どうしたらいいのか分らない状態。
こんな状態に体験上なります。
この依存から脱却するには、私の場合、長い期間と恐怖との
自分自身との闘いを経なければいけませんでした。
そのため、
自分自身が無いために、時に狂ったように罵声を家族を含め
周りに浴びせ迷惑を掛け、自分自身が何者なのかが分らなく
なったのです。
今回、依存の芽が出ている事に気付かせて頂いたのは、
OSAMUさんが何とか自分の力で立ち上がろうとして就職された事
で気付きました。
このままでは、また、他人に依存し迷惑を掛けてしまうと思いました。
依存の芽は、自分自身と闘わないと、つみ取れないと感じています。
ですから、
私自身、私の事を知っている人に優しい言葉を掛けられると
ダメになってしまうと思い、やや距離を置くようにしたのです。
家族も長い間、私の病気に付き合って来ているので、不思議な事に
その状態が分るんですよね。
家族も、その状態になりそうな時は、優しい言葉は掛けてくれません。
それは、私のためだと思っているからです。
私自身が独りで、つみ取るための闘いなのです。


 

自分が自分であるために
パニック障害の広場恐怖を克服したとは言え、
ちょっと気を抜くと知らないうちに行動半径が狭まってしまいます。
依存も同じです。
自分自身が病気に振り回される事は
自分であって自分で無いのだと思います。
「病気と上手く付き合っていくように」と良く言われます。
これが、
なかなか難しいと感じます。
知らずのうちに病気に振り回されている自分がいるからです。
それも、自分自身が気付かないのです。
自分自身が気付かなければ家族や他人の言っている事
は違うと思っています。
自分が自分であるために
今は、自己点検をたまにして、不足している所を
行動するしかないと思っています。
いつまで、やるのかは、やはり自分自身との闘いだと思います。



 

 

 

 


感じる心

2007-09-10 15:52:39 | 心の旅

うっとおしい天気・・・
心模様みたいです。
今日の天気は、こんな感じです。↓




感情
他人に対して持つ感情は人それぞれでしょう。
良いと思う時もあれば嫌だと思う時もあると思います。
その日によっても違うんじゃないかと感じます。
他人に対して嫌な感情を持てば、持たれた他人は
何故か気付きます。
不思議です。
人間は自分を中心にして好き嫌いを決めてしまう動物だと思います。
自己中心的な自分をたまに点検していないと、自分の中にある感情
だけで他人を決めつけてしまうと思います。
それを気付いた時、自分自身の点検は必要だと感じます。
私も気を付けないと感じています。


神経ビリビリ
季節の変わり目か?
天候か?
身体中の神経が電気が走るようにビリビリする。
先週は色んな事があった為か?


感じることを感じたままに
子らを見ていて感じたことがあります。
子どもの時は、裏や表が無く純粋であるということ。
成長し大人になるに従って、裏表を使い分け、建前を憶え
社会で生きていくための手だてを憶えていくと思います。
その手だては、ずるさであったり人間関係を良くしようと外面的なものであったり
します。
また、大人になるに従って目で見える事が事実として捉えられ、あたかもそれが
全てだと思ってしまうんじゃないだろうか?
目で見える事が全てだとしたら、不幸なんじゃないかと思います。
目で見えないもの。
それは、心の世界
子らは心の世界が充実しているように感じます。
それだけ、純粋に物事を目で見えるものだけじゃなく、肌(心)で感じているのだと思います。
大人は、心で見るというよりも目で見ることを重要と感じているのかも知れません。
この写真を見て下さい。

この写真を見る人によって違うと思います。
ただの草木だ。
虫とかいて嫌だなぁ。
色々、見えると思います。
でも
心で感じるのは違うんじゃないかと思います。
特に、私のような病気の人間は目で見えるものよりも心で感じる方が多いと体験上感じます。
目で見て本当に病気か!
とか
お前が感じているだけ!
とか言われると、やはり哀しい。
子らには、大人になっても子どもの純粋な感じる心を持って欲しいと思っています。
感じる心を持てなくしているのは、我々大人じゃないかと思います。
心の世界は目で見えないし形がないだけに表現する事は難しいと感じますが、
少なくとも、目の前で苦しんでいる人を感じる事が出来ない人間にだけはなりたくないと思っています。