第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『環境』について

2012-09-23 16:24:16 | 精神障害・脳梗塞との共存

 

自らの環境について、書きます。

娘や息子にも、話をし、自分自身にも言い聞かせていますが、
〇 環境を自分で創るか
〇 誰かが創った環境で楽しむか
〇 誰かが創った環境の中で不満をいうか

これらは、自分自身で選択する事が出来るし、やろうと思えば、誰にでも出来る事だと考えてます。
これをやるんだ。と考えたら、若いときは、遮二無二、やるだろうし、
いいやこれでと考えたら、現在の環境で、嫌でも満足するしかない。

娘や息子に、この話を何度もしました。
その想いは、自らに居心地の良い環境を創りだすことで、不安な気持ちは払拭され、
細かい事に左右されなくなるし、今、自らが何をすべきかが、自然とわかるようになる筈だと。

これは、俺自身にも、言い聞かせています。
今の俺に出来る事を、少しづつでも、やろうと。
日々の生活の中で、言い聞かせてます。

 

 

ニコ生で活動しているクリエーターさんと歌い手さんを世に出すため頑張ってます。
FULL音源とインスト曲がありますので、興味がある方はDLして聴いてみて下さい。
【その窓からみえるもの】作詞:Miku (@No01Miku)作曲:K.Rin P【歌と歌い手さんを世に出そう!】←クリックすると飛べます。

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

病気か病気じゃないに関わらず、やり遂げなければならなかった事を書いた記事です。→『病気になっても、何がなんでも成し遂げなければ、ならなかった』こと。

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

 

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

 

下記ブログに移動しました。

別館
Sakurazaka's 3D Room(←クリックすると飛びます。)

 

 

俺の信条倒れても、妻や子らに食べさせるのが男(息子に、いつも話しをしています。)

 

 

 

 


息子の交換留学 ③

2012-09-20 12:14:09 | 家族




息子から送られてきた写真を貼って記事にします。

 

   


Glow worm Tunnel ←こういう風に書かれ送られても、どの辺なのかわからん。

 

土蛍らしい←よく見ると、かすかに映ってるように見える

 

 

これが今回、送ってきた写真です。
電話でも、話をしたけど、充実しているようだ。
言っておくべきとこは、しっかりと
「遊びで行ってんじゃねーぞ!しっかり学んで来い!」
言っておいた。
その時、隣で、妻が、
「またあ あんた、そんなこと言って 大丈夫だから」
と言ってました。

 

 

 

ニコ生で活動しているクリエーターさんと歌い手さんを世に出すため頑張ってます。
FULL音源とインスト曲がありますので、興味がある方はDLして聴いてみて下さい。
 【その窓からみえるもの】作詞:Miku (@No01Miku)作曲:K.Rin P【歌と歌い手さんを世に出そう!】←クリックすると飛べます。

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

病気か病気じゃないに関わらず、やり遂げなければならなかった事を書いた記事です。→『病気になっても、何がなんでも成し遂げなければ、ならなかった』こと。

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

 

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

 

下記ブログに移動しました。

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俺の信条:倒れても、妻や子らに食べさせるのが男(息子に、いつも話しをしています。)

 

 


Label Sakurazaka.jp

2012-09-14 16:35:44 | Sakurazaka.jp(レーベル)

 

Sakurazaka.jpというLabelを立ち上げました。

このLabelの目的は、
〇俺から子らへ伝えたいこと(2曲目以降ありストーリー仕立てかなという事)
〇ニコ生の楽曲を創る方と歌い手さんを繋ぐという役目です。

また
ニコ生コモンズツリーには、
オリジナルを登録して頂き、その後アレンジ曲や動画などを登録して頂き、創られた方や歌い手さんに
少しでも利益が上がればと思います。

Label Sakurazaka.jpのクリエイターさんと歌い手さんを繋ぐ図を作ってみました。(わかりやすいかなと思い作りました。)

 

この様な流れで、考えてます。
現在、アレンジ曲は2週間後にできあがる予定で、
〇 美しく繊細な歌を、ピアノやオーケストラなど多彩な楽器が優しく包み込んだ作品 (IFに近いかも。)
〇 ピアノVerのアレンジ曲
この2つのアレンジ曲ができあがる予定です。

 

歌い手さんは、
現在、探してまして、
〇音源がある場合、録音が出来て、ニコ動にUP出来る方
〇楽曲のイメージに合う方
を募集ちゅうです。

 

地道に、少しづつ進んでいますので、あせらず、じっくりと取り組みます。
なお
このような、取り組みは、初めてですので、作詞:Miku (@No01Miku)さん、作曲:K.Rin Pさん、編曲:K.Rin Pさんの
ご協力に感謝いたします。

オリジナル楽曲は、
こちらです。
その窓からみえるもの ←クリックすると飛びます。

 

妻にも話しをしました。
妻曰く
「リスク全部、あんたが背負うんだね!」
「はい・・・資金は全部、俺が。。。だしてます・・」
「あんたらしいね!」
「はい。。」

 

追記:アレンジ曲ができあがり次第、動画をニコニココモンズに上げて頂き、その中から、
    国内外に流通させる歌い手さんを決めていきたいと考えています。(動画の再生数かな・・)
    2012年9月14日(金)19時05分追記

 

追記2:今回の企画につきまして、何か疑問とか聞きたいこととかあれば、ブログの右にある「メールを       送る」でメールを送って頂くかツイッターで遠慮無く言って下さい。
     2012年9月15日(土)08時09分

 

追記:3 この記事については、
下記ブログに移動しました。

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『病気になっても、何がなんでも成し遂げなければ、ならなかった』こと。

2012-09-12 11:43:06 | 精神障害・脳梗塞との共存

 

 

 

病気になって、俺が何が何でも成し遂げなければ、ならなかったことは、

〇 自衛隊生命を賭けて、メンタルヘルスケアの態勢を創ること。
   反自衛官と罵られても、何を言われても、今後必要となると精神疾患になって強く思ったからです。
   この記事で詳しく書いてます→『職場と正面から向き合って』いた事とは。
   そして
   メンタルヘルスケアの態勢を見届け、自衛隊生命を賭けた最後の日
   『職場と正面から向き合って』最後の日。


〇 俺が倒れても、妻や子らに食べさせていけること。
   41歳で病気を発症し、這ってでも、職場にいきました。這って行けないときは、妻に肩を借りて行きました。
   その間、
   様々な職場の人たちと、メンタルヘルスケアについて、ぶつかりました。
   ぶつかった方には、俺の想いであったとは言え、申し分けなく思います。
   また、色々な方面で、お世話になった方には、感謝しています。
   自身の病気の苦しさとともに、やり遂げなければという思いが、俺を前に進めました。
   自衛隊生命を賭けた最後の日から、今日で、1年3ヶ月が経ちました。早いものです。
   病気は依然として、俺に取り付いたまま苦しい日々です。
   現在、
   子らは、希望する大学に行き、妻は、俺が言う通り、自由にして欲しいという言葉どおり好きな職に就き活き活きしてます。

〇 『負の連鎖を断ち切る事』
   この記事で詳しく書いてます→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

この3つをやり遂げられれば、俺は満足して、役割がなくなったとき、自身の身を処すことができます。
息子にも、娘にも、妻にも、同じことを話してます。
これが今の俺が《生きている意味》です。
それ以上でもなければ、それ以下でもありません。

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

親から俺がもらったものについて書いた記事です。→親から、もらったもの

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

 

 

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俺の信条:倒れても、妻や子らに食べさせるのが男(息子に、いつも話しをしています。)


親から、もらったもの

2012-09-11 15:16:26 | 精神障害・脳梗塞との共存

 

俺の親から、もっらったものは、二つあります。

一つは、生を受けた事(この世に生まれた事)

二つ目は、傷です。

この傷は、俺の土台にあるもので、寝る前に、疼きます。
疼く傷は、俺自身でしか向き合う事ができないものです。
苦しいけれども、向き合っていきます。


俺の土台にある疼く傷(下手な絵で、すみません。)

 

俺は、親から、もらったものを怨んではいません。
ただ、
俺の子らには、このような傷を残さないようにします。(負の連鎖を断ち切るため)

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

息子が送ってきた写真その2です →息子の交換留学 ②

NHKで放送されていた復興予算の番組について書いた記事です。→NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

 

 

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俺の信条:倒れても、妻や子らに食べさせるのが男


NHKスペシャル『シリーズ東日本大震災 追跡 復興予算 19兆円』を見て。

2012-09-10 15:20:16 | 社会福祉

 

昨日(平成24年9月9日(日))の夜9時からNHKスペシャルを見ました。
シリーズ東日本大震災追跡 復興予算 19兆円 ←クリックすると番組に飛びます。

「復興は進んでいない。お金は一体どこに使われているのか。」今、被災地から切実な悲鳴があがっている。
大震災後、被災地復興のためつぎ込まれる巨額の“復興予算”。
増税を前提につぎ込まれることになった“復興予算”はいったいどのように流れ、使われているのか。
番組は“巨額のマネー”の行方を追い、その実態を徹底検証する。
                                   NHKスペシャルから抜粋


復興予算として使われている内容を、俺が覚えているのを抜粋します。
● 沖縄県、海岸沿いの国道の工事が行われている。事業費7億円。

● 岐阜県関市。コンタクトレンズメーカーの工場の一角で、新しい製造ラインの建設が進む。ここに投入されていたのが、国の復興予算。補助金を出したのは、経済産業省(復興予算1.2兆円)

● 経産省「低炭素社会を実現する革新的融合」約15億円。法務省「(北海道などの)再犯防止施設〜」2800万円。公安調査庁「治安確保のための基盤強化」2800万円。文科省「国立競技場の補修費」3億3000万円。

● 宮城県気仙沼市。震災前から医師の数は全国平均の半数。医師不足の町を津波が襲った。35機関のうち21が大規模半壊・全壊。復旧は7のみ。村岡正朗医師、地元に留まり、一人ひとりのもとに出向き診療をしている。

など、まだまだある。

この番組は、
9月13日(木)午前0:25~午前1:25[水曜深夜]に再放送の予定みたいです。

 

復興予算は、消費税UPと所得税25年間分を見込んで、使われているみたいです。

 

俺がこの番組を見て、感じたのは、
復興予算と言う名前である以上、被災した県に、全部使うのが筋であると俺は、考えます。
それが、
違うところに使われているのは、筋が違うんじゃないかと考えています。

今回の、この番組が見なかったら、こういう使い方を知らなかったし、
被災した県や人に使われているから、消費税UPも仕方ないなと思っていました。

また
〇子らを、この国に託していいのだろうか?
〇この国を、子らは信じていいのだろうか?
と悩む日々が続きそうです。

 

最後に
俺が生まれたところが映っていました。
それを見たとき、涙が出てしまいました。

 


息子の交換留学 ②

2012-09-09 16:26:43 | 家族

 

息子が送ってきた写真を貼り付け、記事にします。

 

夜の風景だそうです。

 

 

昼の風景だそうです。

 

これだけを見ると、
おい!海外旅行かよ!

言いたいところなんですが、、


息子の交換留学は、無条件で行かせている訳ではなくて、
俺との約束として
〇 大学の単位を落とさない事
〇 TOEICで570を超える事
これをクリアしたので、行かせる事にしました。

そして、
交換留学後、次の事を約束しました。
これを俺に話をして、俺が成長したなと感じたら良しとしました。
〇 1ヶ月の交換留学で、世界から日本をみて、肌で何かを感じとる事

また
今年の冬の交換留学は、
俺との次の約束が出来て、行ける事になります。
〇 TOEICで600以上
〇 大学の単位を落とさない事
〇 大学の交換留学条件をクリアする事
です。

本人が行きたいと言う事で、無条件で、行かせる訳にはいかず(家族の経済的な負担を考慮して。)
俺(家族)との約束を果たし
大学の交換留学条件をクリアして行けると言う事になります。

息子曰く、
工学部で行くのは、大変なんだと言います。
俺は、それを聞いて、「へえ」と言ってます。

 

 

備考

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自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

 息子が送ってきた写真を貼った記事です。→息子の交換留学

 

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息子の交換留学

2012-09-04 07:15:11 | 家族

 

 

息子が送ってきた写真を基に、記事にしてみました。


 

成田での出発

 

 

成田です。

 

 

成田

 

 


搭乗手続きが終わってから撮したそうです。

 

 

機内で撮したそうです。

 

 

ホームスティのとこみたいです。

 

 

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

俺の根本的な考えと行動について書いた記事です→自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

 

 

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自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。

2012-09-03 20:36:51 | 精神障害・脳梗塞との共存

 

子らが、今年(2012年)、お盆に帰って来た時の写真を添付しながら、
【自信の『命』を掛け『人生』を掛けられる事。】について、記事を書きます

 

《俺自身についての話から始めたいと思います。》
俺自身が、生まれ育った環境は、俺にとって良い環境とは、言えないと俺自身、思っています。
1960年代の高度成長期に生まれ、商売をしていたところに、生まれ、物には恵まれていたと
物心付いたときは、そう思っていました。
物心付いたときから、同級生と俺自身が何かが違う。他の家族と我が家は、何かが、違うと漠然と感じていました。

今でこそ、笑い話にしかならないけれども、好きでもない塾に行かせられたり、好きでもない剣道を習わせられたりと
俺自身の考えなどは、取り入れられ無かった感じでした。そのストレスの、はけ口に下に妹がいて、妹を良く泣かせて
いた記憶があります。
また、両親は、夜に、毎晩のように、家に誰かを呼んで、
お酒を飲んでドンチャン騒ぎし、俺と妹は、同じ家の中で、その騒ぎを聴きながら、毎晩、寝ていました。
この頃、良く考えていたのは、俺と結婚する人は、どこにいるんだろうと、考えていました。

小学校、中学校と実家のところで通い、高校は、この頃から、親が不仲になり、親から離れたところに行きたい。
と思い、仙台の私立高校に下宿をしながら入学し通学しました。
親からは、大学に行けよとか言われてて、俺自身、大学に行けるんだと思い、必死に勉強しました。
しかし、高校2年から高校3年になるとき、両親は離婚し、大学には行かせられないと母から告げられた時は、
裏切られたという気持ちになりました。これ以降、勉強はしなくなりました。
ここまでを負の環境と俺自身呼んでおり、同じ環境を創らない事を負の連鎖を断ち切ると呼んでいます。)

卒業間近になり、母側にいる俺は妹もまだ、高校1年くらいで、どうしたらいいのか。と必死に考え、今は、自らが働くしかないと考え、
当時、風当たりも強かった仙台の自衛隊地方連絡部の門を叩きました。筆記試験を受け、終わった後に、すぐに
採点があり、地方連絡部の方から、なんで、大学とかに行かないんですか?と聞かれました。
なんで、聞かれるのか、聞いたところ、筆記試験は、ほぼ満点で、こんな人間が地方連絡部の門を自ら叩くて
入隊して来る人が、ほとんど、いなかったという話でした。大抵は、地方連絡部(地連)の人が、勧誘して入隊
するのが一般的でした。晴れて、昭和56年3月に18歳で、2等陸士として多賀城第1教育連隊に入隊しました。
この頃の俺は、下っ端の2等陸士として、地面を匍匐前進しながら、普通と呼べる俺自身の[家庭]を創りたい。
と毎日、思いながら、地を這いながら思っていました。

多賀城での新隊員前期を終えてから、新隊員の後期は、親から離れたくて、縁もゆかりもない
現在住んでいる北海道を希望しました。幹部になって自宅を何年か開けた事がありましたが、
この頃から、北海道に30数年住んでおり、生まれ育ったところより長くなりました。

妻と結婚したのは、俺が24歳のときで、今は亡くなった妻の実家の父親との約束で、まだ陸士(自衛隊の中では
アルバイト)だった俺は、陸曹(自衛隊の中では、正社員)になる事を決意し、亡き妻の父親と約束しました。
その約束を果たし、妻と新たな家庭を北海道で持つことになりました。娘が生まれたのは、俺が演習中で山に
籠もっているとき連絡を受け、演習が終わって、そのまま病院に直行し、初めて俺の子どもを見ました。
ず~と見ていても、飽きない、目に入れても痛くない状態で、見ていました。その後、妻に会い、良くやったなと
話しました。息子が生まれたときも、災害派遣のときで、俺の息子が生まれたあと喜びました。
子らが出来たあとは4人家族となりました。

病気が発症するまで、平凡な家庭でしたが、病気が発症してから、病気の苦しさのあまり、自殺未遂をした事も
あり、強制入院や任意入院など繰り返しました。そのときどきで出会った医師や家族を含め俺を支えてくれた
方々がいたからこそ、今の俺があります。感謝しています。

退官ー依願退職
この記事で書いています。→ 『職場と正面から向き合って』最後の日。
このとき、今まで、居させて頂き、ありがとうございます。と言いました。
辞令を受け取ってから、号泣しました。その場に、妻と息子がいました。
30数年勤務した自衛隊生活に終止符のときでした。

病気になってから、健康なとき考えもしなかった事
〇俺は何の為に生きているのだろうか。
〇俺の生きている意味はなんだろう。
〇俺ってどんな人間なんだろう。
という事でした。
細かい事は、このブログの中でも書いてますが、一つの結論として、
[俺のような人間を創らない事]
俺と同じような環境で、育てるのではなく、普通の家庭環境(前に書いた負の環境とは真反対の環境)で子らを育て、
俺のような同じ人間を創らない事だと強く思いました。
これが、[俺が生きている意味]なのです。
病気で、ほぼ毎日、どんなに苦しくても、これがある限り、生き続けられるのです。
そして、
子らが家庭を持ち、孫が出来た時、孫の中に俺が居ないことを確認できたら、俺の役割は終わります。
新たな役割が無い限り、その時点で、自らの身を処すのです。その時点が65歳です。



《妻への想い》
妻を俺から、一日も早く自由にしたいと考えています。妻には、俺が自らの身を処したとき、子らを最後まで見守って
欲しいと話しています。そして、子らには、妻を兄弟力を合わせて、好きな事をさせて欲しいと話し、約束しています。

 

 
《娘への想い》
自分が信じた道をこつこつと、進め。と話してあります。俺とは違う人生を送って欲しい。
と話しています。おまえならきっと出来る。自信をもって進みなさい。困った事があれば、
いつでも相談して来いよ。と話してます。

 

 

 《息子》
いつも話しているけど、男は孤独で、自らの腕1本で勝負しなければいけない。家庭を持ち、おまえが倒れようとも、
妻と子を、這いつくばってでも食べさせるのが男だと何度も、話ました。俺のような、つまらない人生じゃなく、おまえ自身
が自らの力で切り拓いて、楽しい人生を送れ。また、自らの可能性を試してみろ。家がなくなろうとも、俺が納得すれば、
お金は出してやる。節節で、ここは、俺を超えたなと話した。俺を完全に超えたというのは、何度も話したけど、
おまえが、家庭を創ったとき、俺と妻が創った家庭の質以上のものを創ったとき、完全に超えたとき。俺は、その時を楽しみに
して生きる。俺が自らの身を処したとき、兄弟力を合わせて、妻の好きなことをさせてくれ。これも前に話した通り。

 

 

どんな事があろうとも、何度も話したけど、兄弟は力を合わせなさい。

 

 

 

 

子らが今年(2012年)のお盆に帰ってきたとき、家族で買い物に出かけ、
パフォーマーに出会いました。
まだ若く、ず~と見てみました。 

 

 終わった後、カンパをし、娘に撮ってもらいました。

 

 

この様な、考えで、このブログは、書いています。
俺自身の『命』を掛け『人生』を掛けられる事は
子らです。
どんな事があろうとも、俺と同じ人間を二度と創らない(負の連鎖を断ち切る。)ため、
今は、生きてます。
これ以外、今の俺に、何が出来るのか分かりませんが、俺の出来る範囲で、若い、これからの方を
応援するのは、出来ると思っています。

日々の拙い、ブログですが、家族の記録ですし、生暖かい目で、見守って頂ければと思っています。

 

 

 

 

備考

今のHNにした理由については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→今更ですが、使っているHNにした訳

自立については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→『自己完結できる人間』に。

発達障害については、この記事で書いてます(クリックすると飛びます。)→俺の脳は『凹凸』

俺が生まれてきた意味については、この記事で書いています(クリックすると飛びます。)→『座標とコンパス』

生きる事について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

精神障害を持っている俺について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきもりの精神障害者は、本当に弱者か?

引きこもりの精神障害者が生き残る道について書いた記事です(クリックすると飛びます。)→ひきこもりの精神障害者が生き残るには

自分の事や子らや妻の事など家族の事が出来て初めて他の方の事を考えられる記事です人間は自分が『一番大切』なんだと言う事

 

 

 

別館
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