第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『自己完結できる人間』に。

2012-06-21 20:37:59 | 俺とは(終)

写真を見ていたら、昔のが出てきましたので、懐かしいなと思って、作ってみました。

 

 

 

 

今回の記事は、『自己完結できる人間』に。という題にしました。

『自己完結できる人間』とは、
俺自身の考えですが、
大きく2つ
〇自律できる
〇自立できる


〇自律できる
  自律は、辞典によれば、
 自分の決めた規律に従って、自分自身をコントロールすること。他律。
  「自戒自律の精神」「真に自律した生活を送る」「自律神経」
 と書かれてあります。

俺の考えでは、辞典に書かれてあることプラス㌁として
自分自身の事を、概ね7割知っている(分かっている。)。という事を付け加えたいと思います。

自分自身の事が知っている(分かっている。)から
辞典での「自分の決めた規律」は、
自らが、得意とする事や不得意とする事が知って(分かって)いて
自身の為だけの「規律」が創れる。
という事だと思います。

自分自身の為だけの規律といっても、反社会的なものは、論外です。

得意や不得意を知っていれば(分かっていれば)、進学や就職にしても
大体の見当は、付くんだと思います。
また
進学や就職ランキングを見て、
所謂、ネームバリュウで進学や就職するとしたら、不幸だなと感じてしまいます。

ネームバリューで進学や就職は、自身をコントロールする事が、難しくなるんじゃないか?
それは
好きでもない学校や会社に入る事自体が、日々、ストレスになるんじゃないかなと思います。

 

次に
〇自立
  自立を辞典では、
  他のものからの援助や管理を受けないで、独立していること。
 「経済的に自立する」「親元から自立する」「自立心を重んじる」
と書いてあります。

辞典は、大辞林ですが、自立には、違和感があります。

「他のものから援助や管理を受けないで」とありますが、
現実として、そんな事がありうるでしょうか?

人間は、社会の中で暮らしていく以上、健康・不健康にかかわらず、
誰かの「お世話」になっているんじゃないでしょうか?
そういう意味で、違和感を感じます。

そして
「管理を受けないで、独立していること」とありますが、
現実で暮らしてて、「管理」を受けない事は。皆無と言っていいんじゃないかと思います。

ホームレスの方でさえ、役所の方から、ある程度の人数や年齢などを把握されているのも、
言ってみれば、一種の「管理」ではないでしょうか?

もし、
「管理を受けないで、独立していること」があるとすれば、
誰にも知られてない場所(もしかしたら異次元の場所かも?)で自給自足で暮らしている事になるんではないでしょうか?


俺が考えている「自立」とは。
反社会的行為は除いて、
誰かから、僅かであるけど助けてもらったり、助け合ったりしながら、自身の身を自身で保てて
最後は、最小限の迷惑で、自身の身を処する事が出来ることだと思っています。

 

これら俺が考えている
〇自律
〇自立

『自己完結できる人間』だと思っています。
この記事→俺の脳は『凹凸』で、俺自身のスクラップ&ビルトを書いてますが、
今の段階は、ビルトであり、妻、子ら、主治医、臨床心理士etcからの力を借りて、
『自己完結できる人間』を目指して、日々、暮らしていきます。


 

 

(おまけ)
SUARAさんの声や歌詞が、俺の琴線に触れ、俺自身を更に見つめ直してくれています。

 

続きは、カテゴリー「自己完結(ビルト)に向かう俺」へ続きます。


俺の脳は『凹凸』

2012-06-14 15:45:11 | 俺とは(終)

 

 

広汎性発達障害、うつ病、パニック障害などと診断されて、久しく時間が経ちました。

この記事は、俺自身の体験に基づいて書いていますので、すべての方に適するものでは
無いことを、初めに書いておきます。

 

このブログのプロフィールに、スクラップ&ビルトと書きましたが、
これは
パニック障害が発症して、
[俺は何者なんだ]
[何でこんな病気になってしまったんだ]
[俺はなんの為に生きているんだ]
[俺が何を悪いことをして、こんな病気になっているんだ]など

俺自身、悶絶し苦悩し葛藤し混乱しながら、
〇薬物療法
〇心理療法
を受けていました。


そこで、
まず、【スクラップ】と言っているのは
物心付いた頃から、生きていくために、
●嘘の自分
●偽りをしている自分
を壊すと言うことです。

その【スクラップ】が出来たのは
おおよそ、この記事を書いたときかなと思います。→『ブログのプロフィールにある、スクラップ&ビルド』とは。
この記事を書いたのは、2010-07-04 22:33:28であり、約2年前です。
発症したのは、この記事を書いた頃であり→発 症 / 03' July 
2006-10ですから、今から約6年前です。
発症してから、
這いつくばりながら、出勤した事
這いつくばっても出勤出来なかった時、妻が連れて行ってくれた事
そして
休職
復職
休職
となりました。

これらから、
発症して、約4年で、自分自身を【スクラップ】する事ができました。

【スクラップ】して、
俺を作っていた核は
注意欠陥・多動性障害(ADHD)

アスペルガー症候群(AS)
でした。

このADHDとASが俺の『頭の凹凸』であり、この記事のタイトルです。

 

平成24年6月に記事にしましたが、→『家族と頭の暴走』の狭間で
これで、薬を合わせるため、平成24年6月9日(土)に主治医のところに行きました。
その後
臨床心理士のとこにも行きました。記事はこれです。→臨床心理士のとこに行ってきました。


これらを整理すると、
〇俺は、注意欠陥・多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群(AS):診断上は広汎性発達障害となってます。
〇俺の身体が、薬の効きが悪くなると、違う薬が追加になるか、根本の薬が変わる。→たぶん、ず~と飲み続ける。
〇臨床心理士の先生のところでは、
  ●いつもの俺
  ●社会で出来ていた頃の俺
  ●不安がっている俺
 この3つを統合する事が必要になる→これが【ビルト】の部分かなと考えています。


俺自身の事でいえば、今の3つの事を、妻や子らに支えられながら、やるわけです。

臨床心理士の先生や主治医、妻や子らの支えによって、
薬を合わせられた。
いつもの俺や社会で出来ていた頃の俺や不安がっている俺が、統合された。
としても、
俺自身を作っている核(土台)は、注意欠陥・多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群(AS)です。

注意欠陥・多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群(AS):診断上は広汎性発達障害となってます。
これは、
一生治る事は、ないと感じています。

注意欠陥・多動性障害(ADHD)とアスペルガー症候群(AS)を持っている俺が、
俺自身が、どうやって、これに対応していくのか。
を、今、思考錯誤しながら、やっています。
もし、
これに対応出来たなら、
いつもの俺や、社会で出来ていた頃の俺や、不安がっている俺を統合とともに、
本当の意味で、【ビルト】の50%が出来、社会適応(自律)できるんじゃないかと考えています。
そして
俺自身の力で、社会で働けるのは、何かのスキルを俺自身が付けたとき
【ビルト】は、出来たものと考えています。

それまでの道のりは、どのくらの期間になるかは、分かりませんが、
俺自身、あきらめずに、少しづつ進んで生きたいと思います。

 

日々の生活の中で、工夫として、この様に、チェックリストを作って、やってます。


(注)
赤は、生活リズムとしてやる事
オレンジは、したらいいなと思う事
青は、その日の体調によって、やれたらいいなと思う事

 

補足)

何で、歌い手さんのとこに行くのか?と思いの方が、いるのかもしれませんので、
その理由を書きます。

体調が良い日は、コメントを打ちながら聴かせて頂いてます。
体調が悪い日は、横になりながら聴かせて頂くか、タイムシフトで後で聴かせてもらってます。

男性や女性の歌い手さんのとこに行くのは、俺の心の琴線に触れた方です。
音楽セラピーの一つかなと思ってます。
また
コメントでKYな事を打っているのかもしれません。それは、申し訳なく思っています。

そして、
師匠との関わりは、
動物セラピーかな?なんて思っています。

俺がいるからと、特別な配慮をして頂きたくないですし、いつも通りの歌声を聴かせて頂きたいです。
宣伝する事もありますが、気にせずにしてもらえるとありがたいです。今の俺が出来る、お礼なんで、
無理して、なんたらチケットを使わないようにして欲しいと思っています。
とにかく、普通通りに歌って、歌を聴かせて下さい。
おねがいします。

 


臨床心理士のとこに行ってきました。

2012-06-08 23:19:11 | 俺とは(終)

 

今日(平成24年6月8日(金))、臨床心理士のとこに妻と一緒に行ってきて、
今、さきほど帰ってきたばかりです。

 

今日(平成24年6月8日(金))臨床心理士のとこに行ってきたのは、
具合が悪くて、薬を飲んで横になっていたとき、
また、あの状態が
『家族と頭の暴走』の狭間で ←前に書いた、この記事の状態が出た為です。


頓服を多めに飲んで(ODではないですよ・・)、すぐに妻に臨床心理士の先生に
急遽カウンセリングしてもらう様、連絡をしました。


妻から夜8時に出来ると連絡が入りました。


あの状態は、確かに薬があってないのも、あるけど、
俺の繊細な感性は、気持ちの虚しさを捉え、カウンセリングが必要だと思い、
お願いしたのです。


今日の臨床心理士との、お話は、俺の琴線に触れるものばかりでした。


俺の中には、3つの俺がいる。
一つ目の俺は、繊細で感性がある俺
二つ目の俺は、社会適応できてた時の俺
三つ目の俺は、今の俺が嫌っている俺

今後は、臨床心理士の先生や妻、子ら、主治医の力を借りて、
まず
一つ目の俺と二つ目の統合する作業に入る事になります。

 

明日、主治医に通院に行きます。
臨床心理士の先生との話をし、衝動を抑える薬を出して頂ける様、お願いするつもりです。

 

臨床心理士の先生のとこから帰ってきてから、
妻に
[ありがとう]と心から言うことができました。

 


『座標とコンパス』

2011-12-17 13:48:14 | 俺とは(終)

 

『座標とコンパス』について書きたいと思います。

座標は、今、どこにいるのかを知るために必要であり、コンパスは、地図の中で、
今の現在位置を計るために必要である。

要するに、
座標とコンパスの2つ揃って、今の現在位置を知る事ができる。
もし、
地図が無ければ、座標を知ることができない。
地図が社会だとすれば、社会の中の、どの地点にいるのか分からない事になる。

そんな中で、コンパスを持っていても、何の役にも立たないと思う。

今、社会の中での地図を書いたけど、
自分の「生き方」の地図とすれば、どうだろうか。

この世に生を受けたときは、地図は白紙である。
その地図に、どんなのを描けるか、誰一人として同じものはないし、同じだとしたら
ロボットしかないんじゃないかと思う。

自分が描いた地図は、年齢とともに、修正や加筆を加えながら、納得していくものに仕上げていくのだろうと思う。
その過程は、一生続くのだと考えてます。

成人を過ぎて(一般的には大人になって。)、描いた地図の中に、これだけは消せないものがあると思う。
この線だけは、この図だけは、消せないというもの。
それこそが、アイデンティティというものであろう。

逆に、
誰から、描かされた地図の場合。
これは、俺に当てはまるのであるが、当然、自分に納得できてないし、満足も得られない。
ただ、空しさがあるだけ。
アイデンティティもないであろう。
しかし、
俺が病気になって、その事に気づかされ、
妻や子供ら、主治医、臨床心理士など色々な方に、支えられ、
描かされた地図を消し、修正・加筆してきました。
その中で、
【自分は何のために生まれたのだろう】
【自分は、何の意味があって生きているのだろう】
という、子供の頃からの、俺の心の中にあったものの答えを見つけ出す事ができました。

その答えは、
[負の連鎖]を子供らや妻に引き継がせるのではなく、俺で終わらせることだと。

ですから、
[負の連鎖]を断ち切れるとき、俺の中では、子供らが家庭をもち、子供ができて
俺と妻が築いた家庭よりも、質の高い家庭と孫の中に、俺がいない事をが確認できれば、
65歳で、俺の役目は終わります。
役目が終わる=死です。
師匠(ウィルくん)にも、そうやって、話しかけてます。
一緒に死のうなって。

俺の地図の中で、これだけは、消せなかったものでした。
これが、俺自身なのです。
これは、揺らぐことはないです。 

この話は、妻や子供らにも、何遍もしてることです。

それが俺の生き様だとすれば、それでいいと考えていますし、周りの方から、何を言われようとも
かまわないと考えています。

コンパスを常に持ち、
俺みたいな人間を、もうつくらないように歩いていきたいと思いますし、それが俺が生まれて来た意味です。

 


『死』を考える事は『生きる』ことに繋がる

2011-12-10 21:28:23 | 俺とは(終)

 

 

『死』について、俺の記憶と経験からは、親や学校から教えられたという記憶がありません。

たぶん多くの人間が、『死』というものを、あえて避けてきたのだと思いますし、自分が死ぬこと
などないと思って日々過ごしているからだと思います。

この『死』を語らないのは、俺自身、大人の責任を放棄しているのと同様であり、子供らに後悔を
させる結果になると考え、実際の生活で、妻や子供たちに話してる内容を中心に書きたいと思います。

俺みたいのが、『死』について書くというのは、おこがましいですが、
『死』を意識したものとして
『死』を図ったものとして
書きます。


俺自身、『死』を意識した瞬間が、2つあります。
1つ目は、有珠山の災害派遣で、現地に半年くらいいて、目の前で熔岩をみたとき
2つ目は、はっきり憶えているのは、今の病気になって1~2年たった頃、病気の苦しさに負けて、2度、自殺未遂を
       図ったとき
この2つの時、『死』を意識しました。


その後、
妻や子供らに支えられながら、病気を抱えて3年くらいまで、
【俺は何者なんだ】
【俺は何のために生きてるんだ】
【俺は何をするために、今、ここにいるんだ】
と病気の苦しさの中で、自問自答しました。
このとき、
何度、死のうとしたかは、憶えてません。
何度、妻や子供らに止められたか、憶えてません。
死のうとする俺と、生かそうとする妻や子供らの修羅場だったと思います。


病気が小康状態のときも、何度かあり、そのとき、
どうせ死ぬんだったら、何か一つやろうと思いました。(反社会的なものでなく。)
それは、
自衛隊病院精神科に、何十回と入退院しているうちに、
この病気の理解が、足りなく、辞めて行かざるを得ない方たちを多く目にしました。
その経験から、
この組織へのお世話になった恩返しとともに、病気に対する理解が足りなくて
辞めて行かざるを得ない状態を、少しでも解消したいと願い、当時、あんまり確立して
なかった自衛隊のメンタルヘルスケアの態勢を、少しでも確立したいと考え、
自衛隊組織や防衛省の交渉に臨みました。

その間、
この職を自ら辞する事はせず、メンタルヘルスの態勢を確立するために、病気の苦しさがあっても、
妻に付き添われながら、職場に行きました。
ただ、ここで話しておきたいのは、メンタルヘルスケアに理解を示してくれる上司がいたことは特筆しておきます。
理解を示してくれる上司ですら、それの確立の難しさを、何度も話されました。
その話してくれた気持ちは、十分に理解は、しています。難しさも。

交渉は、簡単に言えば、現職場ー上級部隊ー防衛省の順で行わなければならず、時間がかかってしまいます。
その時間がかかるのを承知の上で、メンタルヘルスケアの態勢を確立するんだと決意した以上、やりたい。
そういう気持ちで、やりました。
もっと詳しい事も書けるのですが、この辺で、やめて置きます。

俺が職場を依願退職する半年前に、メンタルヘルスケアの態勢ができたことを、上司から聞かされました。
あなたの思いが実ったんです。と話されたとき、もうここでの俺の役割は、終わったと真に思いました。

2011年6月に依願退職しました。

この間、
妻や子供ら、そして主治医及び臨床心理士並びに、メンタルヘルスケアに理解をもって頂いた先輩・同僚・後輩退院に
感謝をいたします。

話が、少し逸れてしまいましたので、
『死』についての話に戻していきます。
上記の話では、俺自身の自衛隊生命を「死」してやったことであり、
それは、
後生のためになると考えたからです。
評価されなくても、その成し遂げるために何を言われても、いいと考えていましたし、
後生のために、語り継ぐ事や何かをする事は、責任であると今でも、思っています。

そして、
病気になってから、何か引っかかるものがあると感じていた俺自身、それが何かがわからなかった。
上述したように
【俺は何者なんだ】
【俺は何のために生きてるんだ】
【俺は何をするために、今、ここにいるんだ】
と病気の苦しさの中で、自問自答したのも、その為だと思います。
このような中で、
俺の気持ちを、少し、その間だけ、落ち着かせて頂いたのが、かなり前に書いた記事でもあるように
ニコ生の歌い手さんでした。
寝ながら聴かせてもらってしました。
聴いている間だけは、落ち着く事が、できました。
その恩返しのつもりで、応援させてもらっています。

ほんの1年くらい前、
苦しさの中で、病気から教えられた事があります。
それは、
○生きている意味
○生きている役割
です。
自ら問い直す事から始まり、その問いの答えは、自分自身でしか見つけられないものであると
今、そう感じます。
病気から、教えられた事は、
《負の連鎖》を俺の代で断ち切ることです。

俺のような人間に、妻や子供らがなって欲しくない。
そのためには、
俺自身を否定しながら、妻や子供らが、俺から学んでほしいと思ったからです。
その事により、
子供らの世代は、俺とは明らかに違う人生を歩んでくれるであろうし、
今の生活よりも、もっと質の高い生活をしてくれるだろうと信じているからです。

《負の連鎖》を断ち切れたと思う時期は、
俺自身が65歳だと決めています。
65歳は、子供らの子供(孫)を見て、その孫の中に俺がいないことが確認できれば
断ち切れたと確信でき、死ぬ事ができます。
死ぬ事ができるのは、
俺自身が生きている意味や役割を終え、その時点で、俺自身が存在してしては、
完全に《負の連鎖》を断ち切れないと考えているからです。
○生きる意味
○生きる役割
○生きる希望
が、完全に無くなったとき、死ぬ事が、後生のためになり、
妻や子供らの未来が開けるだろうと思っています。
この考えは、揺らぐ事はないと思います。

この書いた事は、
妻や子供らに話してることであり、妻や子供らも十分理解しています。


『死』を考える事は、『生きる』ことに繋がります。
若者たちには、『生きて』ほしい。

俺のような年をとった人間は、
『死』をもって、子供らに生きる希望・生きる意味・生きる役割を与える事ができると信じています。

刹那的な生き方を否定はしませんが、少しでも『死』とは何かを考えるきっかけになればと思います。


ここで言いますが、
特定の宗教などを支持している訳ではありませんし、加入していませんので、誤解のないよう話しておきます。

 


『不安定の安定の中で信じる』という事

2011-11-23 11:15:39 | 俺とは(終)

『不安定の安定の中で信じる』という事で、記事にしてみました。

 

不安定の安定とは、
俺は、日々、家族+師匠、そして病気とともに生きている。

その不安定とは、
病気の事をさしています。

日々、変化する症状は、千差万別で、それに対応するのは、格闘といえます。
それは、
勝手に、自動思考する頭と安定を求める心との戦いです。

勝手に、自動思考する頭と心が連動してしまえば、行動は、おのずから
他者を傷つけるものになります。
それでは、
俺が目指す『負の連鎖』を断ち切れないので、危ないと感じた時には、
○外に出ない
○車の運転もしない
などをして、
薬を飲んで、すぐ寝るようにしてます。
そして、
安定してから、行動するようにしています。

このような中で
安定を求めるのは、難しいと気づいたのは、ここ最近の事で
不安定の中での安定だったら、できると感じています。

不安定の中の安定は、
たぶん、一生続くでしょうし、俺の中で共存(共生)していくつもりです。



ここで、いったん、休憩


なかなか、いい曲なので、
この歌を聴きながら、まったり休憩して、引き続き、記事をお読みいただければと思います。

【そんなふいんきで歌ってみた】深海少女【ぐるたみん】
 

 

 

SwallowSを歌ってみた。シロたん


 

 

 

 

引き続き、記事をお読み頂き、ありがとうございます。

 

不安定の安定の中で、一生共存(共生)していくと、書きました。

勝手な頭の自動思考は、俺にとり、不安定なものであり、苦しいものでもあります。
心が連動しそうになった時、薬を飲んで、すぐ寝るとも書きました。

唯一、薬の力を借りなくても、安定させる事を、つい最近発見しました。
それは、
『信じる』という事です。(宗教ではありません。)

『信じる』というのは、
○俺に、『負の連鎖』を断ち切れるんだと信じる事
○妻を信じる事
○子供たちを信じる事
○師匠を信じる事

なんの確証や根拠もなく『信じる』というのは、難しいと思います。
でも、
『信じる』で、俺自身が安定するのです。

「目に見えるもの」や「形があるもの」
要するに、
見たものでしか、「信じられない」のは、悲しいことであり、何か形や物が変われば
「新たに信じられる」ものを作りだしているにすぎないと思います。(しつこいですが、宗教ではありません。)

ですから
俺は、『負の連鎖』を裁ち切り、
妻や子供たちが、俺とは違う【生き方=人生】を歩んでくれる事を『信じて』いるのです。

 

 

 

 


『生きる』こだわり?からの自由

2011-04-21 20:23:46 | 俺とは(終)

 

今日の空を見ていると、世の中が何もないかのような錯覚にとらわれてしまいます。
でも
空を見ていると、そんな錯覚も良いのかななんて、思うときもあります。

 

 

『生きる』こだわり?としたのは
俺の病気は、「死にたい」と思う反面「死にたくない」病気でもあるからです。

具合が悪くなって薬を飲んで、ダウンすると起こることがあります。
それは、
身体が硬直し身動きができなくなり、呼吸できなくなって苦しんでいる状態を、
幽体離脱って訳じゃないけど、もう一人の俺が見ているのです。
苦しいんで、そんなとき、いつも念仏のように唱えている言葉があります。

○ いつ死んでもいい。
○ 妻の名前、娘の名前、息子の名前を呼んで、いつも、ありがとう。
  そして、子供たちの名前を呼んで、俺のような病気にだけはならないでほしい。

この

ことを、そんな時、念仏のように唱えてます。

この状態になるのは、
病気自体がそうさせているのか。
薬の副作用か。
俺自身か。
なんか、そんなこと、どうでもいいと感じています。
それは、
俺自身が苦しいだけだと理解しているからです。
誰のせいでもなく、俺の問題だと感じています。

 

以前の記事でも書きましたが、
「自殺未遂」を二度しました。
この病気になって、まもなくの頃です。
この「自殺未遂」は酒の勢いにも似たような感じの病気の勢いであったと思います。
なぜ、そう言えるのか。というと、
今、苦しくても、上述した気持ちになり念仏のように唱えられるからと、
妻と話したとき、
「あんたは自殺なんてできるような人間じゃない。ノミの心臓を持った人間だ。」
と言われるように、
そんな人間だと俺自身も思うからです。

ノミの心臓の俺なので、もし、「死ぬ」ということがあれば、
○ 誰かに殺される
○ なんらかの病気によって死ぬ
○ 65歳になって、チョモランマのクレパスに落ちて死ぬ(これは妻との約束でもあります。)

「65歳になってチョモランマのクレパスに落ちて死ぬ。」というのは、
俺なりの理由があって、
もしかしたら、
もしも俺ができるとしたら、
という意味で、
『生きる』ためだけ、『生きる』ことだけを目標として、『生きたい』と思わないし、
『生きる』ためには、何らかの「役割」があって『生きて』いると考えている俺は、
今、この廃人のようにして『生きて』いるのは、
○ どんな姿であろうとも、少なからずとも、父親としての役割を果たしたい。
○ 子供たちが俺のような病気にならないことを見届けたい。
○ 負の連鎖を俺の人生をかけて、終わりにしたい。(これは、かなり長くなりますので、後で記事にする予定です。)
このような記事を書いているのも、
子供たちが、妻が、あとで読み返してもらいたいために書いています。
何かの参考になれればいいな。という気持ちで書いてます。

これらの「役割」を終えるのは、
子供たちの年齢から考慮すると、65歳であると考えています。
妻にこのことを話したら、「見届けてあげる。」と言われ、感謝しています。
「役割」を終えた俺は、妻を完全に自由にしたいという気持ちからでもあります。

生きたい 生きたい 生きたい というこだわりが、今の俺には、無い。
この生きたいという、こだわりは、得てして、他人を殺しても「生きる」というようなことに
すり替わってしまう危険を孕んでいるように俺には、感じてなりません。
ですから、
そういった意味での『生きる』こだわり?は無いのです。
しつこいですが、
人間が『生きる』のは、何らかの「役割」があるから生きられるんだと思います。

『生きる』こだわり?から
今の俺は、自由になったと思っています。

 

ここで、ちょっと、いっぷく。。。(休憩)

この歌は、ニコ生の歌い手さんである、もじょ子さんが(←クリックするとコミュに飛びます。)歌っているのを聴いて、
いい詩だあと感じましたので、ここで取り上げさせて頂きました。
『生きる』ための意味深い詩だなと感じます。 

「If」歌ってみた【柿チョコ】
*連絡手段がないので、この歌主さんの許可は取ってません。許可とってないですが、宣伝させてもらいました。(ぺこり)

 

 『生きる』ということについて、
目を世の中に向けて見ると、
「元気」になろうというのが良く目に付きます。

「元気」になろう。
聴き心地のよい言葉である。

「元気」になるって、どういうことだろうか?と考えたら
○ 寄付すること?
○ 被災地に行ってボランティア活動すること?
○ 俺は今、北海道に住んでいるけど、店では節電で照明を消しているところが多いけど、
  そういうことなの?
○ 被災地の住民を思い、税金を今以上に納めること?
こう考えると、
姿勢はいいし、目に見えるものであることは確かなようである。

でも、
何かが違うと俺は感じる。
それは、
「元気」になるというのは、俺の感じているのは、
TVとかでも、報道されているけど、
「生まれ育ったところに帰りたい。」と被災地の方は言っています。
俺の母も被災した一人であるが、こちらに来てと俺が言っても、
「生まれ育ったところを捨てられるか」と一蹴されてしまった。

なんで一蹴されてしまったかを考えたら、
生まれ育ったとこには、
『生きる』ための環境と「役割」があるからだと感じました。

被災した母に、俺ができることは何か?と考えたら、
妻や子供たちが、今まで通りの生活をすることであり、ときおり、被災するとは、どういうことなのかを
考えること。
そして、
俺は、上述した「役割」のため『生きる』ことだと感じます。
これは、
他人や世の中の人たちには、しっかり見えないものかもしれないけど、
目に見えるものより、目には見えないもので
「元気」になろうと。俺は感じます。
一言で言えば、
被災してない人は、普段通りの生活が大切だと感じます。
その上で、
金銭的に余裕がある人は寄付してもいいし、
時間的体力的に余裕がある人は、ボランティア活動に行ってもいいし、
家庭経済的に余裕がある人は、税金を多く払ってもいいと思っています。

「元気」になろうという基盤は、
被災していない人は、普段通りの生活をすることだと感じていますし、
普段通りの生活というのが、
寄付することより、ボランティア活動することより、税金を多く納めることより
簡単なことのように感じるけど、難しいものであると俺は思っています。



この『生きる』ということは、
俺は、もう人生のほとんどを終わってて、俺自身はいいけど、
子供たちのことを考えると、
『生きる』ことが難しいなあと感じます。
俺の時代は、グレーな部分が世の中にはあって、少し悪さしても、気をつけろと言って
頭を殴られただけで、終わってたが、
今は、法などによって規制され、グレーな部分がなくなってしまい『生きずづらい』なあと
俺は感じています。
また
子供たちは、そんなグレーがない世の中で『生きる』ことが可哀想だとも感じます。

こんな俺でも
子供たちが『生きやすく』するためには、どうしたらいいのかを考え続け、
たまに、子供と、そういった話しをすることがあります。

今後、子供たちのために、今の世の中で、どうしたら『生きやすく』なるのかを考え、
子供たちと話しながら記事にしていきたいと思っています。

 

長くなりましたが、
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
感謝致します。

 

 

 

 

 


『価値』という事。俺自身について。

2011-03-24 17:05:34 | 俺とは(終)

 

妻から、話していて、よく言われる事で、そこまで自分の『価値』を
下げる。と言われます。


『価値』を下げると言うより、この病気になって8年目で、
この8年間、「俺は何者だ」と葛藤してました。


『価値』に対する葛藤も、この頃、落ち着いてきたとこです。
それは、
自分自身が「どんな人間」なのか分かったから(100%ではないです。)
だと思います。
だから、
自分の『価値』を下げると言うよりも、今の俺が俺自身、等身大だと
思っているからだと思います。


開き直っているという感じもしますが、
開き直るというよりも、「折り合い」なのかも知れません。

そして、
自分自身の『価値』は、自分が決めることじゃないことも
改めて知りました。(遅いと思われるかも知れないですね 笑)

俺自身の『価値』は、周りがいる人間が決める事。
今で言えば、妻や子供たちだと思います。

妻や子供たちが、あなたには、もう家族としての『価値』がない。と
言われれば、その通りなんだと思います。
素直に、そう思います。

今のところ、何らかの『価値』
妻に言わせれば、「子供たちに必要な存在」と言われているが、
俺自身、妻が言うように感じる事が出来ないのが不幸なのかなと思います。


感じる事は、
どんな人間も、それぞれの感じ方があって、
今の俺には、妻から言われた通りに、感じられない。というのが
素直なところです。

そう感じられるように、日々の生活を過ごしていきたい。
そう思っています。

 

【関連記事】
○ 『生きる』ということ。
○ 諦めたら、終わり。だから諦めない!何事も。

 

ここまで読んで頂き、ありがとうございました。

 


とりあえず『生存』してます!

2011-02-08 16:59:30 | 俺とは(終)

 

気づいて見れば、
去年の12月20日に記事を書いてから、すでに1ヶ月半
早いものだと感じます。

1ヶ月半、更新していないにも関わらず、立ち寄ってくれた方に感謝です。



Q&A方式で、この間、何をしていたのかを書いてみます。


Q:1ヶ月半、何をしていたのか?
A: 引きこもってました。


Q:引きこもって何をしていたのか?
A: ネトゲしてました。


Q:家族と話しをしているのか?
A: 妻から毎日、手紙がきて、それを読んでました。下の子供(息子)とは、1週間に
  1回くらいしか話ししてないです。上の子供(娘)が大学の冬休みで帰ってきましたが、
  話しは、ほとんど出来ずに、俺自身引きこもってたので、してないです。


Q:何故、引きこもってたのか?
A: 今は、病気や誰かのせいではなく、俺自身の問題として捉えています。


Q:ウィルくん。は、どうなってるの?
A: 今、妻に面倒を見てもらってます。


Q:何故、こんな状態になってるの?
A: 「俺だから」としか言いようがないです。


Q:医者や臨床心理士には、行ってる?
A: 主治医には、妻と一緒に行ってます。臨床心理士には、行く気力がないので
  約1ヶ月ほど、行ってません。


Q:これからどうするの?
A: 引きこもってること。や、これからのことは俺自身の問題として、家族や主治医、
  臨床心理士さんなどから協力してもらって、少しづつ解決していきたいです。

 

この1ヶ月半の間、どうなってたのかは以上です。

 

とりあえず、『生存』してます!

また、少しづつ日々の出来事を綴っていきたいと思いますので、
立ち寄ってもらえたら、幸いです。


妻や子供たちには、こんなオヤジで、すまないと思いつつ感謝してます。
また
妻や子供たち、そして、何かに挑戦しようとしている方を、俺なりに、応援したい。
そんな気持ちです。

 


前の主治医から~忘れないよう努力する為に~

2010-12-20 13:09:26 | 俺とは(終)


前の主治医から5年前ほどに、頂いた言葉です。
部屋の中に張ってたのですが、新めて、忘れないように努力する為、
書き残します。

この時は、
苦しいながら、職場に行ってました。
妻に一緒に行ってもらった事もあります。

また
自分の病気を他人に理解してもらいたい。なぜ、理解しないんだ。と
思ってました。
今は、理解できないのが当たり前だよな。と思えるようになりましたが、
この時は、そう思ってました。


今、この言葉を書いてみると、
「なるほど」と思える部分が多くあります。

ひと言で、この頂いた言葉の意味を考えると、
【諦めるな】
【努力し続けろ】
と言われているような気がします。

どうなるのかは分からないけど、
諦めないで、努力し続けていきたい。
そう思っています。

この場をお借りして、この言葉をくれた前の主治医に感謝します。

 

○ 俺俺ではダメ  支えてくれている人を第1に考える。  
  周りの状況を含めて認識すること。

 ○ やるべき事を+に評価する  
   自分自身に苦しさを理解させることではない。  
   苦しくても行けた事を+に感じることが必要。  
   ただ苦しい苦しいでは-である。

 ○ プライドを捨てていないため、地に這ってでもという行為が心か らできて
   いない

 ○ 身につかない努力をしている(ネガティブ)  
   この状況がいつまでと思う事が-、ポジティブに進めること。

 ○ 人に迷惑を掛けないという事は、今の段階では×   
   考えが-になっているため、空回り

○ 人に依存ーある程度までいったら止める  
   本人→ 一昔前に戻りたくない  
  主治医→ 以前の様にはならない(一時的に↓である。)

○ 自分に対する自身を持つ  
   出勤できた事を+に考える。

○ 職場の行為に感謝する事(理想を自分で作り上げている)  
  組織の中に自分から入っていく  
   あるレベルまでいったら自分でやる。  
  働かなければという意欲 ← +が-に勝つ

 ○ 努力しても良くならないと思うから-に行く  
   努力を+に捉える=可逆的

○ 治すためにも℡に出るのも必要(避けない)

○ 治すためには職場に必ずいく  
  重ねることによって花◎必ず治る 

 

 


『俺とは』(その17)ようやく解放されそうな俺のアホな脳。

2010-12-18 16:41:20 | 俺とは(終)

 

『俺とは』は、今回17回目になります。

今日、起きたら、何故か?ふと、解放された気分になった。
何故かは、分からない。
理屈では言い表せないものである。

平成22年12月16日(木)に臨床心理士の先生から、帰ってから、
そのときは、
すごく、俺自身、内容に怒っていた。

その内容の中で、
「本当に治す気ある。」と言われたのが、効いたのかな、、、と感じる。

上手く説明出来ないけど、
ふとしたことで、解放されることがあると聞いた事があるけど、
そうした事なのかな。と思う。


前に書いたこともあるけど、
もう1人の俺
孤独に自分の中で何とか解決しようとしている。
そして、
自分で自分の脳を、疲れさせてきたんだあ。と
分かったとき、嬉しかった。
この話しを、妻に聞いてもらった。

そのもう1人の俺に、
今の俺が、宥め賺しながら、説得して、もう、そんな事しなくていんだ。と
これからは、言い続けていきたい。
たぶん、それが、かなり前から言われていた【折り合い】なのかなと思う。

 

ようやく、ようやく
解放され自由になれそうな俺
もう1人の俺から解放され自由になれたら、思いっ切り、好きなことをしたい。

 

 

<俺とはの今まで書いた記事>

   病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして         る理由

#11『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。

#12
『俺とは』(その12) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを紹介している理由。


#13
『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。

#14
『俺とは』(その13)に対する、妻からの文

#15
独りじゃ何も出来ない『俺』

#16
『俺とは』(その16)気持ちのコントロール


 

 

<今の俺自身のスタンス的なもの?かな>

『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。




この記事(
今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


『俺とは』(その16)気持ちのコントロール

2010-12-17 09:39:34 | 俺とは(終)

 

『俺とは』は、今回16回目になります。

気持ちのコントロールについて書きたいと思います。

決して、気持ちを上手くコントロール出来る事ではなく、
気持ちを上手くコントロール出来ない事について書きます。

セルフコントロールなど気持ちをコントロールする本があります。

かなり前に、色々、読んではみたけれども、なんかピント来るものがなく、
大雑把な感じがした記憶があります。

人によって、様々と言われれば、その通りなんだけど、

自分で自分の気持ちをコントロールする難しさを病気を通じて実感しています。

健康と言われているときは、なにも感じることなく、日々の生活をしてきました。
でも、
8年、この病気と付き合っていると、その難しさが肌身に染みます。

 

なにが難しいのか?
ひと言で言えば、
「分からないうちに、そうなっている。」

「分からないうちに、そうなっている。」とは、
思考が闇になってて、身体が思い通りに動かない。とでも、言えばいいのか、どうか
そんな感じです。

それを気づくのは、
妻からは、「まともな、あんたにあったとき、ようやく話しが出来る。」と言われてて、
「まともな」とき、気づくわけです。

その「まともな」時は、いつなのか?
それは、
朝起きて、まず、その状態が「まともな」時、こういう文章を書けるのかなと感じています。
そして、
一日のうちで、自然に、「まともな」時→「まともじゃない」時に変化していく感じです。

一日の中で、
そうですから、年間では、季節の変わり目など、とくに、そういう変化がある感じです。


「分からないうちに、そうなっている」という難しさは、こういう事であり、
「まともじゃない」時、気づくことの難しさ。とも言えます。
ですから、
そういう事を気づけるように、
妻から「いま、~になっている。」という風に言ってもらってます。


「いま、~になっている。」と言われたら、
薬を飲んで、寝る。ことにしてます。
そうする事によって、
家族を含め、他人に危害を加えることがなくなるからです。


こんな俺が
前に書いた記事で、
社会適応・社会復帰と書いてますが、
俺自身、どのようになれば、いいのか?
それを試行錯誤しながらという事です。

 

<俺とはの今まで書いた記事>

   病気になって少しだけ分かった俺 が一番初めに書いた『俺とは』です。

#1『俺』とは

#2『俺とは』(その2)

#3『俺とは』(その3)

#4『俺とは』(その4)

#5『俺とは』(その5)

#6『俺とは』(その6)

#7『俺とは』(その7) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』

#8 『俺とは』(その8) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 久々に腹抱えて笑ったw

#9『俺とは』(その9) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを応援する理由

#10『俺とは』(その10) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 ネットで他人とやりとりして         る理由

#11『俺とは』(その11)俺の中の俺を乗り越える。

#12
『俺とは』(その12) 俺は『引きこもり中年キモオタおやじ』 歌い手さんを紹介している理由。


#13
『俺とは』(その13)俺自身、妻、子供、師匠、歌い手さんを、一区切りの記事として書きます。

#14
『俺とは』(その13)に対する、妻からの文

#15
独りじゃ何も出来ない『俺』

 

<今の俺自身のスタンス的なもの?かな>

『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。




この記事(
今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


『生きる』ということ。

2010-12-04 17:06:49 | 俺とは(終)

 

前に記事で『昼夜逆転』を書きました。
この中で、
『クズにはクズなりの生き方がある。』と書きました。
その考えは、
今でも、変わっていない。

8年前、発症したとき、初めて行った心療内科の先生から、3ヶ月で治ります。と言われ
苦しかったけど、たかをくくっていた。

いま、気づいてみれば、もう8年である。

この間、
俺自身を家族、主治医、臨床心理などの協力を得て、スクラップできて、
今は、ビルト中である。
どんな俺になれるのかは、分からない。

妻からは
『いるだけで、子供達にとっては、価値があるんだよ。』と言われている。
素直に、
「そうだな。」って言いたいけれども、
そうなのかなって思ってしまう。
結局、
子供達が、家族を持ったとき、分かることかもしれない。と思っている。

妻によく言うことがあります。
「俺は65歳でヒマラヤの誰にも見つからないクレパスで、死にたい。」と言ってます。
それは、
① 生きるためだけに、生きたくはない。
② 役割を終えても、生きながらえたくない。
これは、
俺の根底に、
子供達や子供達の子供が、俺の変な種を持っていないことを俺自身の目で確認できたら、
死んで、本望だと思っている。
『負の連鎖』を断ち切りたい、その一心である。
そのために、
今、ただ、生き続けている俺である。

『負の連鎖』については、
ゆっくりと、記事にして書きたいと考えている。

 

以前、書いた関連記事
○  『自分のために生きてみよう』

○ 『自分のために生きてみよう』②

 

 

 

『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。


この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


独りじゃ何も出来ない『俺』

2010-11-25 11:27:41 | 俺とは(終)



独りじゃ何も出来ない『俺』
ポジティブな思考で書きます。

助けがなければ出来ない『俺』

何か物事をやるとき、独りじゃ出来ないことがある。
そんな時は、
妻や子供達に手伝って欲しいと頼みます。

助けを求めるのは、悪い事じゃないと今、感じています。

しょっちゅう助けを求めるのは、別として、
これは今の俺じゃ難しいと感じるときは、いいと思っています。

以前の俺は、
独りで何でもやろうとした。
独りでやろうとしたから、空回りもした。
周囲を振り回したこともある。

それを考えると、
手伝って欲しいと言えるのは、妻や子供達から見れば、
手伝ってもいいかあ。と思えたら手伝うだろうし、
今、やることがあるからと思えば、断るだろうし。
それで、いいんだと思います。
そこでは、
引きこもりオヤジは、今、手伝って欲しいんだな。と感じられるからです。

手伝ってもらいながら、何かをやり遂げる。
この考えが、前の俺には無かったもの。
ようやく、
そんな考えにたどり着いた。と言ったとこでしょうか。

手伝ってもらうにしても、何かをやり遂げるのに、必要なのは、
粘り強さ

諦めないこと
ではないだろうか。

今の俺は、
○ウィルくん。 に助けられ、外に出してもらえる。
○畑作り・雪かき に助けられ、外で作業をさせてもらえる。
○介護(福祉)の学習 に助けられ、俺自身を成長させてもらえる。
○ブログやニコ生など に助けられ、他人と交流させてもらえながら息抜きさせてもらえる。







『今の俺が、現在、正面から向き合っている』こと。で書いた
逃げずに、5つの正面から向き合うのを、日々、忘れないために
書きます。

① 自分自身の中のAcな自分
② 俺の事を最も分かっている妻
③ 子供
④ 師匠(ウィルくん。)
⑤ 職場のこと。← これが最大のトラウマです。




この記事(今更ですが、当ブログを図形化してみました。)で書いたものですが、
当ブログのナビとして、見てもらえれば、分かり易いかなと思い、載せました。


『昼夜逆転』

2010-11-14 03:22:03 | 俺とは(終)

 

季節、日、時間によって、調子のいいときと悪いときがある。
今回、調子が悪くなる季節である。
毎年、ほとんど、同じである。

予想通り、
『昼夜逆転』になった。

『昼夜逆転』を元に戻すのに、時間と労力を使う。

また少しづつって感じ。


『昼夜逆転』して、こんな感じの状態で書いてます。

 

なんとも、薄気味悪い感じだと思います。
でも、これが現実。
これが、今の俺の状態であり、現実です。

 

このブログを書くとき、
息子の修学旅行で、海外に行ったときの写真があった。

息子も大きくなった。
この間まで、幼稚園くらいかと思っていたら、高2か。
はやいもんです。
そして、
娘も大学生。

少し回復して、外を見たら。もう秋
季節も早い。

変わらないのは、俺だけか。
相変わらずの、「クズ」的な生活。
また、これも現実。

「クズ」には、「クズ」なりの生活、生き方があるんじゃないか。
そう今は、思っています。