平成23年4月30日(土)は、妻と一緒に通院に行きました。
晴れてて、気持ちがいい感じでした。
妻が横に乗ってます。
天気が良いです。
ここからは、妻に撮影してもらいました。
天気が良くて、気持ちがいい。
ゴールデンウィークだったんで、車が多い感じでした。
子供連れもいました。
遠くの山には、雪が残ってました。
平成23年4月30日(土)は、妻と一緒に通院に行きました。
晴れてて、気持ちがいい感じでした。
妻が横に乗ってます。
天気が良いです。
ここからは、妻に撮影してもらいました。
天気が良くて、気持ちがいい。
ゴールデンウィークだったんで、車が多い感じでした。
子供連れもいました。
遠くの山には、雪が残ってました。
今日の空を見ていると、世の中が何もないかのような錯覚にとらわれてしまいます。
でも
空を見ていると、そんな錯覚も良いのかななんて、思うときもあります。
『生きる』こだわり?としたのは、
俺の病気は、「死にたい」と思う反面「死にたくない」病気でもあるからです。
具合が悪くなって薬を飲んで、ダウンすると起こることがあります。
それは、
身体が硬直し身動きができなくなり、呼吸できなくなって苦しんでいる状態を、
幽体離脱って訳じゃないけど、もう一人の俺が見ているのです。
苦しいんで、そんなとき、いつも念仏のように唱えている言葉があります。
○ いつ死んでもいい。
○ 妻の名前、娘の名前、息子の名前を呼んで、いつも、ありがとう。
そして、子供たちの名前を呼んで、俺のような病気にだけはならないでほしい。
この
ことを、そんな時、念仏のように唱えてます。
この状態になるのは、
病気自体がそうさせているのか。
薬の副作用か。
俺自身か。
なんか、そんなこと、どうでもいいと感じています。
それは、
俺自身が苦しいだけだと理解しているからです。
誰のせいでもなく、俺の問題だと感じています。
以前の記事でも書きましたが、
「自殺未遂」を二度しました。
この病気になって、まもなくの頃です。
この「自殺未遂」は酒の勢いにも似たような感じの病気の勢いであったと思います。
なぜ、そう言えるのか。というと、
今、苦しくても、上述した気持ちになり念仏のように唱えられるからと、
妻と話したとき、
「あんたは自殺なんてできるような人間じゃない。ノミの心臓を持った人間だ。」
と言われるように、
そんな人間だと俺自身も思うからです。
ノミの心臓の俺なので、もし、「死ぬ」ということがあれば、
○ 誰かに殺される
○ なんらかの病気によって死ぬ
○ 65歳になって、チョモランマのクレパスに落ちて死ぬ(これは妻との約束でもあります。)
「65歳になってチョモランマのクレパスに落ちて死ぬ。」というのは、
俺なりの理由があって、
もしかしたら、
もしも俺ができるとしたら、
という意味で、
『生きる』ためだけ、『生きる』ことだけを目標として、『生きたい』と思わないし、
『生きる』ためには、何らかの「役割」があって『生きて』いると考えている俺は、
今、この廃人のようにして『生きて』いるのは、
○ どんな姿であろうとも、少なからずとも、父親としての役割を果たしたい。
○ 子供たちが俺のような病気にならないことを見届けたい。
○ 負の連鎖を俺の人生をかけて、終わりにしたい。(これは、かなり長くなりますので、後で記事にする予定です。)
このような記事を書いているのも、
子供たちが、妻が、あとで読み返してもらいたいために書いています。
何かの参考になれればいいな。という気持ちで書いてます。
これらの「役割」を終えるのは、
子供たちの年齢から考慮すると、65歳であると考えています。
妻にこのことを話したら、「見届けてあげる。」と言われ、感謝しています。
「役割」を終えた俺は、妻を完全に自由にしたいという気持ちからでもあります。
生きたい 生きたい 生きたい というこだわりが、今の俺には、無い。
この生きたいという、こだわりは、得てして、他人を殺しても「生きる」というようなことに
すり替わってしまう危険を孕んでいるように俺には、感じてなりません。
ですから、
そういった意味での『生きる』こだわり?は無いのです。
しつこいですが、
人間が『生きる』のは、何らかの「役割」があるから生きられるんだと思います。
『生きる』こだわり?から
今の俺は、自由になったと思っています。
ここで、ちょっと、いっぷく。。。(休憩)
この歌は、ニコ生の歌い手さんである、もじょ子さんが(←クリックするとコミュに飛びます。)歌っているのを聴いて、
いい詩だあと感じましたので、ここで取り上げさせて頂きました。
『生きる』ための意味深い詩だなと感じます。
「If」歌ってみた【柿チョコ】
*連絡手段がないので、この歌主さんの許可は取ってません。許可とってないですが、宣伝させてもらいました。(ぺこり)
『生きる』ということについて、
目を世の中に向けて見ると、
「元気」になろうというのが良く目に付きます。
「元気」になろう。
聴き心地のよい言葉である。
「元気」になるって、どういうことだろうか?と考えたら
○ 寄付すること?
○ 被災地に行ってボランティア活動すること?
○ 俺は今、北海道に住んでいるけど、店では節電で照明を消しているところが多いけど、
そういうことなの?
○ 被災地の住民を思い、税金を今以上に納めること?
こう考えると、
姿勢はいいし、目に見えるものであることは確かなようである。
でも、
何かが違うと俺は感じる。
それは、
「元気」になるというのは、俺の感じているのは、
TVとかでも、報道されているけど、
「生まれ育ったところに帰りたい。」と被災地の方は言っています。
俺の母も被災した一人であるが、こちらに来てと俺が言っても、
「生まれ育ったところを捨てられるか」と一蹴されてしまった。
なんで一蹴されてしまったかを考えたら、
生まれ育ったとこには、
『生きる』ための環境と「役割」があるからだと感じました。
被災した母に、俺ができることは何か?と考えたら、
妻や子供たちが、今まで通りの生活をすることであり、ときおり、被災するとは、どういうことなのかを
考えること。
そして、
俺は、上述した「役割」のため『生きる』ことだと感じます。
これは、
他人や世の中の人たちには、しっかり見えないものかもしれないけど、
目に見えるものより、目には見えないもので
「元気」になろうと。俺は感じます。
一言で言えば、
被災してない人は、普段通りの生活が大切だと感じます。
その上で、
金銭的に余裕がある人は寄付してもいいし、
時間的体力的に余裕がある人は、ボランティア活動に行ってもいいし、
家庭経済的に余裕がある人は、税金を多く払ってもいいと思っています。
「元気」になろうという基盤は、
被災していない人は、普段通りの生活をすることだと感じていますし、
普段通りの生活というのが、
寄付することより、ボランティア活動することより、税金を多く納めることより
簡単なことのように感じるけど、難しいものであると俺は思っています。
この『生きる』ということは、
俺は、もう人生のほとんどを終わってて、俺自身はいいけど、
子供たちのことを考えると、
『生きる』ことが難しいなあと感じます。
俺の時代は、グレーな部分が世の中にはあって、少し悪さしても、気をつけろと言って
頭を殴られただけで、終わってたが、
今は、法などによって規制され、グレーな部分がなくなってしまい『生きずづらい』なあと
俺は感じています。
また
子供たちは、そんなグレーがない世の中で『生きる』ことが可哀想だとも感じます。
こんな俺でも
子供たちが『生きやすく』するためには、どうしたらいいのかを考え続け、
たまに、子供と、そういった話しをすることがあります。
今後、子供たちのために、今の世の中で、どうしたら『生きやすく』なるのかを考え、
子供たちと話しながら記事にしていきたいと思っています。
長くなりましたが、
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
感謝致します。