メンタルヘルスケアって何かな?
メンタルヘルスとは?調べてみたら
メンタルヘルスとは、心の健康のこと。
とりわけ企業では、複雑な人間関係や長時間労働などのストレスにより、メンタルヘルスに不調をきたす人が増えてきています。
と書かれている。
良く分からん・・
こんだけギスギスした隙間の無い世の中なのに
メンタルヘルスケアを調べてもこんだけ?
引き続き調べて、書いていきたいと思います。
今日の一曲
メンタルヘルスケアって何かな?
メンタルヘルスとは?調べてみたら
メンタルヘルスとは、心の健康のこと。
とりわけ企業では、複雑な人間関係や長時間労働などのストレスにより、メンタルヘルスに不調をきたす人が増えてきています。
と書かれている。
良く分からん・・
こんだけギスギスした隙間の無い世の中なのに
メンタルヘルスケアを調べてもこんだけ?
引き続き調べて、書いていきたいと思います。
今日の一曲
つい最近、読んだ本の紹介です。 自分を生きるための思想入門 竹田 青嗣さんについて 独学で哲学、現代思想を学び、特にエドムント・フッサールの現象学に影響を受け、現象学を〈思考の原理〉であると定義して独自の現象学を探求し、俗に竹田現象学とも呼ばれている。竹田現象学は正統な現象学の理解ではないという批判もあるが、一方で構造構成主義を体系化する方法に用いられるなど有効性が検証されている。 哲学についての著述はフッサールに関係したものが多いが、一般的に難解に陥りがちなこうした哲学を噛み砕き、分かり易く読者に提供することに長けている。そのため哲学的著述も専門的なものではなく、読者を限定せず、幅広い読者層を対象とした入門書的なものが多い。 ニーチェ思想の「反=ロゴス中心主義」「反=理性主義」を現代思想のルーツとして捉え、ニーチェを高く評価している 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
これからも竹田 青嗣さんの本を読んで紹介していきます。
今日の一曲
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こちらの今年の夏の天気は、おかしい~
夏らしい。夏来ない。。。
曇りか雨
もれなく体調不良です。
毎日、鬱々気分が抜けないし、
毎日の生活サイクルも崩れっぱなし。。トホホ
体調不良のときは、寝込んでいたのですが、
この頃は、寝込まないように気を付けてます。
寝込んでも、寝込まなくても
薬を飲んでいれば、
時間か天候、又は日によって自然に回復する事が分かったからです。
回復するまでの辛さ・苦しみは十分経験してるし、
自分なりに、他の人から苦しいと言われれば
分かっているつもりです。
寝込んでも、寝込まなくても
どちらにしろ辛く・苦しい・・・
辛く・苦しいんだったら、
どちらを選ぶか?
自分自身しか選べないのであるから
選べるまでは、寝込んでいる。
それも一つであろうと思う。
選べないのであれば選べるまで、待てばいいと思う。
そこで、焦ればド壺にはまる。
焦らず待てばいい。
選べたら、腹をくくる必要性がある。
覚悟である。
覚悟を決めたら、ジタバタせずに
過ごせたらいいなと自分自身にも言い聞かせてます。
今日の一曲は
我が家に来たチョコラブ
子供たちが名前を付けました。
ウィル(WILL)です。
辞書で調べると
などの様にある。
子供たちは、私に対して
意志力又は決意をして社会復帰してくれるだろう
との願いが感じられる。
ウィルが人間社会に社会化出来るのと同様
私も社会復帰出来る様に面倒を見ていきたい。
2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。 |
チョコラブが今日、我が家に来ます。
今までいたカフェ(♂1歳)は、私の母の犬になり実家に連れて行かれて
しまいました。
今度カフェが実家から来るのは、いつ頃になるのか
分かりません。母が子供のようにかわいがっていますから・・・
生後2ヵ月で飼い、私が躾をしお手、お座り、便所、待てなどを
し、母に持っていかれるのは辛かったが、母の生きがいを
無理矢理、引き離す事も出来ませんでした。
チョコラブの来る準備
準備はOKです。
後は、迎えにいくだけ
前の記事でカミタミカさんの『まっすぐに』を貼りました。
中々、示唆に富んだ歌詞だと思います。
歌詞の中で私が好きな部分をあえて貼りたいと思います。
果てなき海に咲いて 儚い夢に泣いて
流した涙の雨で 今を生きよう
夢追う気持ちあれば 夜明けが見えなくても
流れる季節を数えて 強く生きよう
下線は
「今を」「強く」生きる
本当に言い言葉ですね。
何度かこの歌を聴くうちに
「今を」「強く」生きたいという気持ちになりました。
歌には、人を勇気づける力があると感じます。
曖昧さ
いわゆる、グレー、ファジーなどと言われる事が多いと思う。
人間関係においてもグレーやファジーな事が多いと今は、思います。
健康なとき、そんな事も分からなかったのかと言われそうですが、
気づかなかったのです。
病気から教えられた事は多いと思っています。
私にも、決められない事は、いっぱいあります。
健康なときは、決めるのが当たり前だと考えていて、
決めて失敗したときには、悔やんだものです。
今は、決められないことを無理に決めなくてもいいんじゃないかと
考えるようになりました。
それは、決めて、失敗して、後で悔やんだり不安になることよりも、
今の私には、決めて、成功する成功体験の方が大切だと感じるからです。
成功体験の積み上げで、自信を少しづつ取り戻し、不安を軽減しようと
考えているからです。
自信を取り戻すのは、一挙にできることではないと考えています。
コツコツとです。1日1日だと思います。
それと
曖昧さがあってもいいんじゃないかと思っています。
これが、今の私には課題です。
克服しているとは言えない未熟者です。
曖昧さは、はっきりしてないから不安になるのだと思います。
不安にならないために、はっきりさせたいと思うのが、この病気の
特質の一つだと思います。
人間関係、社会の中にも、いっぱい曖昧さがあると思います。
この曖昧さ、グレーやファジーなことを許容できる人間になれるよう
1日1日、焦らず、騒がず、急がずに過ごしていきたいと思います。
今日の1曲
遠回りでも、足踏みしても、いい。
曲がった方向よりも、まっすぐにという気持ちです。
病気であろうが、なかろうが
バランス感覚がある方がいいなぁと感じる。
私にはバランス感覚が欠けているので、切実に思うのかもしれない。
例えば、
目標を設定すると、周りが見えずに突き進む
これが周囲との軋轢を生み、目標到達までに疲弊しているのである。
目標設定すること自体はいいのだが、
日常生活の中で、
息を抜いたり
集中したり
頑張ってみたり
また、息を抜いてみたり
何かに楽しんでみたり
喜んでみたりして
徐々に目標に到達していくのがいいと考えられるようになった。
元々、これと言った趣味がなかったし、
楽しみもなかった。
人生一度きり
楽しみながら生活を送るよう努力していきたい。
今回の一曲は
花(すべての人の心に花を)-夏川りみ
復活=社会復帰するためには、
目には見えないけれども様々な壁があると感じる。
その壁は、少し時間が経つと段々分かってくるようです。
大まかに書くと
○病気が発症して何でこんな風になったんだろうと答えがでない事に
答えを出そうと必死にもがいた時期
○薬物療法までいったとき、身体がだるくて無気力、その中で、なんで
生きているのだろうと、ずーと考えていた時期
○薬が身体に慣れてきて、動けるようになったとき、外に出て健康だった
ときのように軽快に動けなくなっている自分自身に情けなく感じた時期
○それでも発作がきて、こんな苦しい思いをしてまで生きていなければ
いけないのかと怒りがおさまらない時期
○ここまでの時期で、広場恐怖を克服しなきゃダメだよと医師や家族から
何度も説得され、入院して克服しようと決断した時期
○広場恐怖が、ある程度克服出来たとき、病気の根本原因について調べ
悶々としていた時期
○根本原因の中に、職場の人間関係、自らの性格、成長過程、生育環境、
思考など山ほど解決することが見えて、気持ちが萎えた時期
○家族や周りの人たちに支えられて、一つ一つ解決していこうと思った時期
大まかに書くとこういう感じだと思います。
この他にも、見えない壁はありました。
この頃、考えるのは、この病気は自分自身を試されているし、
自分自身を変えろと言われているのではないかと思えてしまう。
自分自身を変えると一口に言っても
性格を変えることは難しいかもしれないけれど、
思考を変えることは出来るのではないかと思っています。
それは、一挙に変えることは出来ないけれど、
日常生活の中で、「今を」考えて過ごしていれば、
病気と共存できるのかもしれないと考えています。
諦めることなく
急がず
騒がず
焦らず
生きていこうと思います。
私がお邪魔している
さぷ★ショコ☆雄ちゃん
そこで貼ってあったYOUTUBE動画を掲載します
(ご本人から許可は頂いていません。すみませんこの場をお借りしてお詫びします)
病気になって気づいたこと
他人と比べないこと
健康なときは、無意識でも他人と比べていたと思う。
病気になり、他人と比べることの無意味さを知った。
比べて何が得られるのか?
また
この様な病気になる人は
優しい人が多いんじゃないかと(書いてて恥ずかしい・・)
そう思います。
社会でロボットに成りきれなかった人とも言えるかも知れない。
それゆえ、
人間らしいと思う。
あまり知られてないグループだけど、
好きな歌なんで聞いてみて下さい。
KAT-TUN
かっこイイネ~
いくつになっても、かっこ良さを求めるのが男だと思う。
息子は高校生だが、今のところ外見のかっこ良さ重視ってとこかな
私の場合、年が年なんで外見というよりは、内面重視したいのだが、
内面も今イチといったところ。
死ぬまでに、ぼちぼち磨いていきます。
焦らず
急がず
騒がず
ぼちぼちいきます。
これが私なのですから
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『セックスボランティア』の本を読んだ。1日で読破できた俺は、すごい!と
自分を褒める。
取材をし本を執筆された河合香織さん。色んなところへの取材、ご苦労さま
でした。オランダやアメリカのその時の事情が知れて良かったです。
内容は、読み進めていくうちに、『ん~~』と思いながら読み進めました。
この『ん~~』の意味は、過去にわが国が行った障害者を隔離する事に
繋がるのではないかという懸念である。
しかし、終章とあとがきでホッとした感がある。
この本は、障害を持つ人に対して、そして障害者自身のSEXについて、
特筆して取り上げている内容である。
障害者のSEXについての私の考えを述べる。
まず
①マズローから考えると、第1段階の生理的欲求と第3段階の所属と愛の欲求に
ついて書かれている。要するに、今日食べることが出来る人と生活が比較的
送れている障害を持つ人が対象になっていると考える。
②障害を持つ人たちの価値観・倫理観・生活態度などを各種の取材を通して、
書かれているのは敬意を払います。しかしながら、障害を持つ人全てに、
共通するのは、それぞれの成長段階があり人生があると言うことである。
それは、誰一人として同じはないという事である。
要するに、『障害者だから』としてしまうと、どうしても現在の社会では哀れみを
もたれ、それによって壁が出来てしまう事になるのではないかと危惧する。
③障害を持っている持っていないに関わらず、思春期においては異性が気になり
SEXをしたいという感情を持つのが普通である。その感情をうまくコントロール
出来るスキルを持つのも大人になる成長段階の一つであろうと考える。
④障害を持っている人が『何も出来ない人、いわゆるSEXも出来ない人』と規定
すると帰ってそれが偏見に繋がるように感ずる。障害として先天的又は後天的
は問わずに、障害を持つ人にも何か出来ることはないかと見出す事の方が大
切に想われる。
⑤終章及びあとがきには、上記4つのことの様な感じが書かれていたので、
ホッとした感じであった。
障害を持つ人に対する、ある一場面を取り上げて特筆されている本が書店に
並んでいる。そういう本を読むたびに思うのであるが、一括りにされている様な
感じを受ける。そうではなく、大見出しで、『これは、障害を持つ人の一部分であり
全てが、そうではありません。』という言葉を入れて貰いたいと思います。
いずれにしても、この様なことを気を付けて読んでいけば、社会の中で忘れられて
いる障害を持つ人を理解する一部になるかなという気持ちも同時にある。
もう少し、障害というものに目を向けて貰える社会であればいいなという想いは、
同じである。
最後に、決して非難をするものではない事を付け加えます。
だいぶ前に読んだ本の中に『求めない』がある。
内容は、大まかに書くと
『求めない』(加島祥造)より、
求めない―― と自分に言うと、とたんに 求めずにはいられない自分に 気づく。
それでいいんだ その気づきからすべては始まるんだ
その気づきがあって 初めて 求めない――の意味が 分かりはじめるんだ
求めないでいられるとき、ひとは いちばん自由なんだ。
着るものも 食べるものも 住むところも充分にあったら、それ以上は 求めないでいるとき とても自由なんだ。
以上『求めない』(加島祥造)から
私も季節や日ごとに体調が、今でも大きく変わります。
気分が落ちたり、やる気が出ずに寝ていたいときもある。
自律神経症状が出て妻に助けを求めたいときもある。
でも、どんな症状が出ても「死なない」んだと症状が出たとき
思う様にしてます。
また、自然体が一番いいです。なるようにしかならないと
考えると楽になります。
欠かさずやっているのは、運動です。
散歩したりジョギングしたり
太陽を浴びて脳内ギャバを高めると調子は良い感じになります。
今は、焦らず・騒がずに自然の流れに任せていきたいと思っています。
カフェ(♂) 我が家の愛犬もこんなに大きくなりました。
XJAPANのTEARS
好きな1曲です。