東洋経済からの記事です。
これまで私が経験したケースをいくつか紹介しましたが、ひとくちに「うつ病」といっても症状は人によってさまざまです。巷に氾濫する「うつ」情報は、あくまでも目安であることを認識し、うつ病かどうかの判断は専門医にまかせましょう。「おかしいな」と思ったら、まずは産業医や精神科クリニックの臨床医に相談することが肝要です。 そして、産業医と連携を取りながら、うつ病になった社員のケアはもちろん、職場のメンタルヘルス対策を構築することが重要です。最近、増えてきた「燃え尽き型」のうつ病は、会社の労働環境や人間関係が原因で起こっているからです。 うつ病になった社員を休職させても、職場環境が変わらないままでは、復帰後にまた同じことが起こってしまいます。予防に力を入れないかぎり、うつ病になる社員を減らすことはできないのです。 いまでこそ、私は精神科産業医として忙しく飛び回る日々を送っていますが、もともとは思春期精神医学が専門の精神科医でした。大学からの要請で産業精神医学の講師を引き受けたのがきっかけで、企業の精神科産業医となり、社員のメンタルヘルス管理をすることになったのです。実をいえば、それまでは精神科産業医の役割すら知らなかったのです。 「なぁんだ、そうだったのか」と言われそうですが、大学の人事が私の精神科医としての新たなスタートラインとなったのは間違いありません。まさに企業のメンタルヘルスの実態は、「目からうろこ」ともいうべき発見の連続だったからです。 まず、企業にメンタルヘルス管理の自覚がない。「うつ病になるのは本人の責任」といってはばからない雰囲気がありました。うつ病への偏見もあり、なかなか治療に結びつかない。それで症状が悪化して、結局、治癒するまでに時間がかかるという悪循環に陥っていました。 その一方で、うつ病の社員はどんどん増えていく。そのため、企業も重い腰を上げざるを得なくなり、メンタルヘルスに目を向けるようになったというのが実状でしょう。 しかし、精神科産業医を社内に置けば、それで事足りると思っている企業が多いのも事実です。それでは何の解決にもなりません。うつ病に罹ってからの治療はもちろん大切ですが、それ以上に重要なのは予防対策です。うつ病予防には、管理職はもちろん、一般社員のメンタルヘルスへの関心を高めることが必要です。 うつ病を特別視するのではなく、「最近、ストレスがたまって調子悪いんだよね」と普通に口にできる雰囲気が、症状の悪化を防ぐことになるのです。職場にメンタルヘルス疾患への理解があれば、早めに休養を取ることもでき、メンタルヘルス不全を改善することができるからです。 そこで、私は精神科産業医として社員の面談や管理職の相談にのるだけでなく、メンタルヘルス対策のレクチャーにも力を入れています。ただし、「うつ病とはなんぞや」という話ではなく、心の不調を発見するための実践的な話をします。そうすると、社員や管理職から「なるほど、そうだったのか」という声が聞こえてきます。つまり、職場に必要なのは、メンタルヘルス不全に対応するためのリテラシー教育なのです。 そのことに気づいたのは、私が実際に企業の精神科産業医として管理職や社員に接していたからです。診療室で患者を診ているだけでは、職場のリテラシー教育の必要性に気づくことはできなかったでしょう。 また、臨床精神医学とは治療のエンドポイントはいっしょでも、その受け持ち範囲が違うことも、私にとっては大きな発見でした。うつ病になった社員にとって「治る」ということは、症状がなくなることではなく、職場に復帰して元通りに仕事ができるようになることなのです。臨床の精神科医が薬の服用で症状を改善させても、職場復帰できなければ意味がないのです。最後まで手を引いてハッピーエンドにする。それが精神科産業医の仕事だと気づいたのです。 実際に、うつ病になった社員が無事に職場復帰して以前と同じように仕事をしている姿を見るのは、とてもうれしいものです。完全復職できた社員もハッピーだし、私も最後まで付き合えたことにワクワクするような喜びを感じています。 精神科産業医になったのは偶然の産物ともいえますが、私にとっては天の采配といってもいいかもしれません。うつ病の社会的認知度は高まっても、企業のメンタルヘルス対策はまだまだ遅れているからです。いまだに残っている心の病に対する偏見を払拭し、働き過ぎでうつ病になる社員を減らすことが、私の使命だと思っています。 |
前回紹介した回避性・自己愛性人格障害者の場合は、困難なことに出会うと、それから逃れるためにうつ病になります。ところが、同じ自己愛性人格障害者でも、能力が高く、仕事ができるタイプの人は、本人ではなく部下をうつ病にしてしまう困った存在になります。 子ども時代に親から十分な愛情を受けずに育ち、自己肯定感が低いと、自己愛性人格障害に陥りやすくなると言われています。なぜなら、自己肯定感が低いと、自分に自信が持てない分、他人からの評価に敏感で、上昇志向が高くなるからです。そして、他者からの評価を得るために必死になって昇進をめざしますが、人間的に未成熟でコミュニケーション能力が低いため、部下を育てることができないどころか、部下をつぶしてしまうクラッシャーになってしまうのです。 私が産業医をしていた会社で、同じ部署から何人もの社員がうつ病になったことがあります。最初は気づかなかったのですが、どうも同じ課長の下で働いている社員が次々とうつ病になっているのです。 不信に思った私は、うつ病になった社員に聞き取り調査を行いました。すると、その課長は仕事はかなりのやり手ですが、独断的で部下の話を一切聞かず、気に入らないことがあると怒鳴り散らす人物だとわかりました。部下のミスを発見すると、鬼の首をとったように叱りつけ、30分以上もネチネチと文句を言う。かといって、部下が業績を上げるような仕事をしても、ほめることはない。社内でも「あの課長の下に行ったら地獄だな」と陰口をたたかれるくらいです。 しかし、仕事ができ、社内でもトップクラスの業績を上げているため、彼に文句を言う人がいません。会社の上層部も「性格は悪いが、仕事はできる」と大目にみているのです。そして、そのとばっちりを彼の部下たちが受けているのです。 あるとき、うつ病で休職中の社員が自殺未遂を図りました。発見が早く、大事には至らなかったのですが、「あの課長が部下を追いつめたのだ」と思うと、私も怒りがわいてきました。こんな人間を管理職にしておく会社の人事もどうかと思いますが、一介の産業医にすぎない私にはどうすることもできません。 その事件の後、しばらくして当の課長が私の相談室にやって来ました。 「部下が自殺なんか図って、困っちゃうんですよね。私なりに面倒をみていたつもりなんですがねぇ」 私は開いた口がふさがらなかった。部下を思いやる言葉は一切なく、自己弁護に終始するだけです。おそらく私にこう言ってほしかったのでしょう。「あなたに責任はないですよ」と。しかし、私はあえて「あなたは部下に対して厳しい人だと聞いています。もう少し、指導の方法を考えたらいかがでしょう」と言ったのです。すると、みるみる顔が真っ赤になり、「あなたはビジネスのことがわかっていない!」と怒鳴り、イスを蹴って出ていってしまいました。 後日、このやりとりを彼の部下たちに話したら、「本当ですか! よくぞ言ってくれました」と大いに喜ばれました。部外者の私だから言えたのであって、部下や同僚が同じようなことを言ったら、烈火のごとく怒り狂ったに違いありません。 もし、上司がこういうクラッシャーだったら、どうすればいいのでしょうか。まず、同じ部署のみんなで上司に対する共通認識を持つことです。自己愛性人格障害タイプの人間には、自己肯定感が低いというコンプレックスがあります。威張っているようでも、実は臆病だったり、根は小心者だったりするのです。だから、たまに部下を引き連れて飲みに行き、大盤振る舞いをしたりする。 そういう上司の性格を認識できれば、怒鳴られても「この人は他人を認められない気の毒な人なのだ」と受容でき、腹も立たないでしょう。愚痴や怒りは、みんなで飲みに出かけたときに吐き出せばいい。根本解決とはいきませんが、このような上司のせいでうつ病になる必要は絶対にありません。 |
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最近では、うつ病が社会的に認知され、多くの人が気軽に精神科クリニックを訪れるようになりました。精神科医としては、早期発見・早期治療に結びつくことであり、大いに喜ばしいことです。ところが、ひとつ困った状況をも生み出しているのです。それは、現代型うつ病とも言える、回避性・自己愛性人格障害型のうつ病です。 この現代型うつ病の特徴は、本人がうつ病だと自分で診断し、自ら精神科クリニックを訪れることです。そして、精神科医にこう尋ねるのです。「これって、うつ病ですよね? だったら、診断書を書いてください」 たしかに症状だけみると、うつ状態であると言えるのです。しかし、従来型のうつ病とは微妙に違います。社会性が育っていないために、組織になじめず、仕事がこなせない。その結果、うつ病に逃げ込んでいるのです。 私が相談を受けた20代前半の男性も、そんな1人でした。高校を卒業後、工場で働き始めた彼には、幼なじみの妻との間に子どもが2人います。20歳になったとき、「工場の仕事にも慣れただろう」と上司に推され、班長になった。すると、しばらくして会社を休むようになりました。通勤で電車に乗っていると吐き気がして途中下車してしまうことが何度かあり、そのうち電車が怖くて乗れなくなってしまったのです。 症状は明らかにうつ状態を示していたので、精神科クリニックを紹介し、1カ月の休職扱いになりました。うつ病は早期に治療すれば、1カ月ほどで回復します。彼の場合も抗うつ剤と安定剤の投薬で症状がよくなりました。上司から「そろそろ復帰させてもいいだろうか」と相談を受けた私は、彼と面接しました。 「ずいぶん顔色もいいようだけれど、仕事に戻れそうかな?」「あんまり自信がないんだけど……」と言うので、「少しずつリハビリしながら職場復帰してみてはどうか」と提案しました。すると、「そうですね」と気乗りのない返事をしながらも、私の提案を受け入れてくれました。 職場復帰プログラムは、8週間を基本とします。最初の2週間は10時から15時まで月・水・金の週3日だけの勤務、次の2週間も同じ時間帯で週5日勤務、次の2週間は10時から定時までの週5日勤務、最後の2週間は通常時間帯の勤務で残業なし。仕事内容も最初は資料整理や新聞の切り抜きなど、対人関係のない仕事から始めます。徐々に心と体をならして職場復帰してもらうのです。 ところが、彼の場合、2週間目でストップしてしまいました。うつ病の症状がまた出てきたのです。 「どうも再発したようだ」と上司から報告を受けた私は、「彼にはまだ無理だったのだろうか」と半信半疑ながら、さっそく彼と面談することにしました。 「夜眠れないし、朝も起きられない」と訴える彼に、「何時に寝ているの?」と尋ねると「12時から1時頃」との答を返す。「それでは遅すぎるよ。もっと早く寝られないの?」と聞くと、「寝る前にネットをしたり、ゲームをしないと眠れないんです」と言う。 うつ病は睡眠障害とも言われる病気です。医者の言う通りにきちんと睡眠をとってもらわなければ、治るものも治らない。そこで「職場復帰したいんでしょう? だったら、ちゃんと10時頃にはベッドに入るようにしないと……」と言っても、「でも、ゲームしないとストレスがたまっちゃうんですよね」と言うばかり。とても真剣に職場復帰を願っているとは思えませんでした。 いろいろ話を聞いてみると、休職中にディズニーランドに妻子と遊びに行ったり、カラオケに行ったりと、とても病気療養中とは思えない行動をとっていました。しかも、「気分転換ですよ」とニコニコしながら話すのです。 「でも、このまま休職しているわけにはいかないでしょ? 子どももいることだし、前向きに考えないと……」 「まあ、何とかなるでしょ。親も近くに住んでいることだし」 話をしていても、のれんに腕押しです。精神科医という立場上、説教することはできませんが、私が親なら「いい加減にしろ!」と言いたいところです。 従来型のうつ病患者に、こういうタイプの人はいません。みな休職することに引け目を感じ、早く職場復帰したいと願っています。責任感が強く、まじめな人が多いからです。リハビリを兼ねて外出したりすることはあっても、喜々としてディズニーランドに行ったりなどしません。 彼の場合、明らかに回避性・自己愛性人格障害と言えるでしょう。人格が未熟で、大人になり切れていない。子ども時代に身につけるべき社会性が育っていないのです。そのために、困難なことにぶつかると、うまく対処できずに問題を回避しようとして、うつ病に逃げ込んでしまう。工場で班長に任命されたものの、リーダーになれるような指導力や責任感はなく、部下から指示を仰がれることが重荷だったのでしょう。 症状自体はうつ病ですが、休職して問題から回避できると自然に症状が消えます。だから、休職中に遊びに行ったり、好きなことに没頭したりするなど、従来型のうつ病とは明らかに違う傾向を見せます。しかし、本人に悪気はなく、職場に行こうとすると気分が悪くなるため、自分はうつ病だと信じている。そこが厄介なところなのです。 こういうタイプのうつ病は、原因が人格の未熟さにあるため、投薬だけでは根本治療はできません。精神療法的なカウンセリングや行動療法的な指導で、社会性を身につけさせる必要があり、治療は長期にわたるでしょう。結局、この青年にリハビリ的な職場復帰は難しいと判断し、行動療法を行っている精神科医を紹介することになりました。 残念ながら、今後、こうした回避性・自己愛性人格障害型のうつ病はもっと増えるでしょう。人間関係が希薄で、争い事を避ける風潮の中で育った子どもたちは、その予備軍です。今のところ、精神科クリニックでは、こうした患者をうつ病として治療していますが、多くの精神科医が「従来型のうつ病とは違う」と感じているのではないでしょうか。しかし、そのように思っていても、症状がうつ的であれば、診断はうつ病になってしまうのです。 何らかの手を打たなければ、うつ病と休職を繰り返す、永遠のピーターパン社員が増えていくばかりです。産業医として職場のメンタルヘルス管理を指導する私にとっても、悩ましい問題です。 |
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彼の机の上は、いつでも整理整頓されています。まちがっても、書類が山のように積み重なることはありません。子どもの頃からの性格なのでしょう。書類をクリップで留めるときも、紙がそろっていないと気がすまない。書類に社印を押すときも、細心の注意を払って曲がらないようにする。誰かが彼の机にある文房具を使えば、「誰だ? 僕の机の上をさわったのは!」と、すぐにばれてしまう。 そういう性格のおかげかもしれませんが、彼は経理という仕事が好きでした。彼に任せれば、数字のまちがいはしないし、決算書などの書類も見やすく作成される。 彼は職場で「完璧くん」と呼ばれていましたが、気にはならないどころか、そのニックネームを気に入っていました。彼にとって完璧なことはいいことだからです。上司からも評価され、自分のやり方でずっと仕事をこなしていました。 ところが、そんな状況が変わることが起こりました。一緒に仕事をしていた女性の同僚が、結婚を機に退職。彼女がやっていた仕事を彼がやることになったのです。とはいっても、彼女の仕事は日々の帳簿付けや領収書の整理などで、それほど難しいことではありませんでした。 上司から「少し仕事が増えるが、人を雇う余裕はないから、よろしく」と言われたときも、「はい、わかりました」と即答しました。彼にすれば、彼女のやっていた仕事など、たいしたことではありません。むしろ「彼女は雑すぎる。僕がやった方が見た目もきれいなる」と思ったくらいでした。 しかし、次第に彼の残業が増え、毎月の決算書も遅れがちになりました。彼自身、自分に何が起こっているのかわからない。いつもと同じようにやっているのに、期日に間に合わない。気持ちだけが焦り、時間をかけても終わらない。頭の中にもやがかかっているようで、考えがまとまらなくなっていたのです。 そんな彼の様子を心配した上司が、私のところに相談に来ました。話を聞くと「最近、簡単なミスが多く、残業をしているわりに仕事がはかどっていない。朝、頭痛がひどいと言って、遅刻することもある。そんなに仕事量が増えたわけではないんだが……」と言う。明らかにうつ病の症状だった。 さっそく彼とも会って、精神科クリニックを受診するよう勧めた。「まさか、僕がそんな病気になるなんて、ありえない」と否定したが、「単純ミスが多くなっているのは、うつ状態で集中力がなくなっているせいです」と説明し、納得してもらった。 彼の場合、残業などの過労によるうつ病だが、それは表面的な原因にすぎないのです。正確には「メランコリー親和型」のうつ病でしょう。この病は、彼のような執着気質的な人に多いうつ病で、几帳面さがアダとなって発症します。なんでもきっちりやらないと気がすまず、ひとつの作業をやるのに人の何倍もの時間がかかってしまう。自分で自分の仕事量を増やしてしまい、それが過重労働となってしまうのです。 彼のうつ症状は投薬と休養で治すことができますが、執着気質という性格にまでメスを入れなければ、結局、同じことが起こってしまいます。几帳面さは決して悪いことではないのですが、度を超すと健康を害することにもなるのです。このことを彼に自覚してもらう必要がありました。 そこで、彼には認知療法を受けてもらうことにしました。この療法は、自分の思考の癖を認知し、完璧すぎる思考パターンに変化を与えるものです。つまり、いままで100%の完成度を求めていた仕事に対して、80%でも十分通用することを認知してもらうということです。これが身につけば、彼も肩の力を抜いて仕事をすることができることでしょう。 心の病には、それぞれの患者へのきめの細かい治療指針を打ち出すことが不可欠です。そのためには、患者の仕事を理解した上での指導ができる産業医が必要で、社外の精神科や心療内科に通院していただけでは、会社の中で病んだ心を完全に治すことは難しいでしょう。 |
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私がある企業で産業医として働き始めた頃は、今ほどうつ病が社会的に認知されていませんでした。「精神がたるんでいるからだ」とか「気合いが足りない」など、根性論が当たり前のように語られていました。また、当の本人も自分がうつ病ということを認めたがらないことが多々ありました。 そんな時代に、私が経験したあるビジネスマンのお話を紹介しましょう。彼は30代後半のビジネスマン。大学時代はラグビーをしていたというだけあって、仕事のやり方も体育会系。「やればできる」の精神で仕事をこなしていました。そんな彼に栄転の話が舞い込みました。大阪支社から東京本社への異動と同時に、課長に昇進するというものです。妻と幼稚園に通う娘の3人で東京に引っ越し、新たな生活が始まりました。 本社に勤務して半年もした頃でしょうか。彼の様子がおかしくなったのです。朝なかなか起きられず、新聞も読まなくなった。土日もベッドにもぐり込んだまま起きようとしない。娘とも遊ばない。食欲もなくなり、どんどんやせていく。 心配した彼の妻が、無理矢理、病院に連れて行くと、「身体には異常がありません。精神的なものかもしれませんね」と医師に言われ、精神科を紹介されました。さらに嫌がる夫を連れて精神科クリニックに行くと、即座に「うつ病ですね」と診断されました。 彼にとっては、思いもよらぬ診断でしたが、思い当たる節はあったのです。体がだるく、夜も眠れない。仕事をするのも苦痛なくらい。転勤早々に仕事でミスをして以来、上司も部下も自分を見下しているような気がしてならない。「早く業績を上げなければ」という焦りばかりが募ってしまう。 医師の勧めで、彼は1カ月の休職をとることになりました。「うつ病? 転勤してきたばかりなのに困ったね」上司は、しぶしぶ診断書を受け取りました。 休職中は死んだように眠り続けました。そして、少し調子がよくなってきました。すると、1カ月も経たないうちに職場に戻ってしまったのです。休んだ分も取り戻そうと、彼は復帰初日からハードなスケジュールをこなしました。ところが、そんな彼の思いとは裏腹に、2カ月後にうつの症状がぶり返してしまったのです。 そして、2度目の休職となり、このとき初めて、産業医である私に報告があったのです。それまで彼の上司が報告しなかったのです。その理由を尋ねると、「うつ病って、怠け病じゃないんですか?」と真顔で答えたのす。もう少しで「何のために私がいるんですか!」と怒鳴るところでした。 「今度、彼が職場復帰するときは私に相談するように」と、上司にくぎを刺しました。たとえ精神科クリニックの主治医が「治った」と判断したとしても、それは症状の改善でしかなく、元通りに仕事ができる状態とは限らないのです。職場に戻るにしても、時間をかけて少しずつ仕事量を増やすなどの配慮が必要です。それなしに職場復帰すると、再発してしまうのです。 しかし、私の出番はありませんでした。彼の症状が少しよくなった頃、「散歩に行ってくる」と出かけたまま、帰らぬ人となってしまったのです。飛び込み自殺でした。 弔問に訪れたお通夜の席で、彼の遺影を前に自分の無力さに腹が立ってしかたがありませんでした。近くにいたのに、彼を救うことができなかった。「もっと早く彼と面談して、胸の内を聞いていれば」と無念でなりませんでした。彼の上司は「残念でしたね」と、通り一遍の言葉を遺族にかけただけで、そそくさと帰っていきました。 いくら会社が私のような産業医を雇っても、社員にメンタルヘルスの知識や理解がなければ、何の意味もありません。特に中間管理職の意識改革は不可欠です。うつ病になった部下を「本人の問題だ」と突き放すような上司がいる限り、メンタルヘルス不全を訴える社員は増えこそすれ、減ることはないでしょう。 |
NIKKEI BUSINESSからの記事です。
「癒やし」という言葉はすっかり定着しました。しかし、むやみに「癒やし」を求めることも、メンテナンス術ではお勧めできません。 仕事も大変、家庭も大変、人間関係というものはなにかと疲れるものですから、癒やされたい気持ちもよく分かります。しかし、「癒やされる」ことに夢中になっていると、何に疲れたか、何が大変なのかが分からなくなってしまうのです。 本当に疲れた時には、癒やされるだけでなく、逃げたり休んだりすることも、大事なのです。 癒やされたい時は、マイナスな状況をプラスに転化したいと思っています。一見よいことのようですが、実際には、疲れて弱っているのになお「プラスに戻さなければならない!」というパワーを使わなければいけないわけです。 癒やされるというのは、気力と体力が充実していないとできないことです。また、日常が充実していれば、癒やされた後に「明日から頑張ろう」と思えますが、日常で逃げたいことがあるのにもかかわらず癒やされに行くと、そのまま日常に戻るのがいやになってしまいます。 リゾートで3日間癒やされるよりも、3日間家でぼーっとしていた方がいいこともあるのです。ですから、弱った時、本当に疲れてしまった時は、弱ったままでいましょう。逃げたい時には、逃げてしまいましょう。例えば仕事で、「今日部長に会ったら、平静ではいられないかもしれない」と思ったら、その日は風邪をひいたことにすればよいのです。 返事できないメールは、しばらく放っておく 例えば、仕事やプライベートで、「返答に窮するメール」をもらうことはよくありますよね。そんな時は、「早く返事しなくては」と思わずに、しばらく返事をしないでおくのです。 もちろん仕事のメールには、ずっと返事しないわけにもいきません。そんな時は、期限ぎりぎりまで放っておく。返事が遅れた理由についても、正直に説明する必要はありません。「ちょっとサーバーの調子が悪くて、受け取るのが遅れてしまって…」とウソをついてもいいのです。 特に女性や男子世代は、ウソをつくのは悪いことと思いがちです。一方で上の世代は、人間関係の中でウソをうまく使っています。「嘘も方便」というのは確かに真理です。自分を疲れさせてまで、常に誠実でいる必要は全然ありません。 もちろん、ずっと逃げ続けることはできません。だから自分の中で「年に3回くらいは逃げてもいい」とか「月に1回くらいウソをついていい」とか目安をつくってみるのです。 自分が周囲からどのくらい信頼されているのか? 逃げたりウソをついたりすることで、どの程度迷惑がかかるのか? など、自分の置かれている状況から、この基準を考えてみましょう。もっと言えば、本当に弱った時にウソをついたり、休んだりするために、普段から仕事などをきちんとやっておいて、「貯金」しておいてもよいのです。 「疲れた~、癒やされに行こう!」というポジティブパワーを使うのではなく、「今日は、いろんなことから逃げちゃおう」とネガティブな方向に心を向けることも、時には必要です。 |
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仕事における最大のストレスは、人間関係だという方は多いでしょう。仕事上の人間関係のメンテナンスについても考えていきますが、まずはその前に、自分自身の「仕事への考え方」を見直してみましょう。 仕事について、「ありがちな考え方」に縛られてしまって、自分で自分をつらい気持ちに追い込んでしまっていることもよくあります。その考え方にこだわらなくなるだけで、ずいぶん楽になるものです。 今回は、仕事についてよく言われている「3つの考え方」を疑うことから始めたいと思います。3つの考え方とは、以下のものです。 (1)「仕事をしている時の自分は、本当の自分じゃない」 (2)「仕事を、もっと楽しもう」 (3)「Win-Win」 まず(1)の、「仕事をしている時の自分は、本当の自分じゃない」という考え方について。仕事で不本意なことをしてしまった時やうまくいかない時、「こんな自分は、本当の自分ではない」「自分は、仕事をすることで変わってしまった」「仕事をしてからであった人には、本当の自分を見せていない。本当の友だちは、学生時代の友だちだけ」などと思いがちです。 この考え方の根底には「仕事をしている私」とは別の「本当の私」がいて、それはもっと「よいもの」なのだ、という思いがあるのです。 しかし、仕事をしていくことで得た性格も「本当の私」ですし、仕事をしていない時の性格も「本当の私」です。 人は、それぞれに置かれた状況やその時の相手によって、その時々で必要とされる「本当の私」の姿で生きているだけです。それが変わっていくことも、当然です。 仕事をしながら、「こんなことを言う私は本当の私ではない」「仕事だからこんなことを言っているけれど、本当の私は言わない」とつい思ってしまうものですが、「仕事だから仕方なかったのだ」という言い訳で、自分の言動をごまかしても疲れるだけです。 たとえ不本意なことであったとしても、「仕事に必要なことをやったのだ」と割り切り、深く考えすぎないことも、自分をすり減らさないためには大事なことなのです。 どんな時も、自分は自分でしかありません。「本当の私」について考えすぎることは、かえって自分を疲れさせるだけなのです。 仕事は、楽しまないといけないのか? そして(2)の「仕事を、もっと楽しもう」という考え方。これのどこがいけないのだ、という方も多いでしょう。 最近では、スポーツ選手が海外遠征に出かけるときに、「楽しんできます!」と言うことが増えました。同じように、「仕事も楽しもう」という考え方が広がってきたように思います。 確かに、「楽しい仕事」というのはあるのかもしれません。しかし、「楽しくない仕事」というものも確実にあります。それを無理矢理楽しもうとしても、無理があるというものです。 「仕事はつらいものだ」と思い続けるのも疲れますが、「仕事を楽しまなきゃ!」と思いすぎるのも、かえって疲れてしまうものです。 仕事は必ずしも楽しまなくてもいい。やるべきことを淡々とこなしていけば、たまにはうれしいことや楽しいこともあるかもしれない。もちろん、つらいことや耐えられないこともたくさんあります。 それも含めて仕事なのだと受け入れていくことが、長く働き続けていくためには必要だと思うのです。 |