世の中を良く見てみると
男性と女性では
梶原由紀さんもそうですが
女性の方が活躍している様な気がする。
しかも
心打たれる様な活躍が目立つ
男性は独りじゃ生きていけないけど
女性は独りでも生きていける。
そう考えると
女性は子どもを産むという力も偉大であるが
強いと感じる
参りました
私を含め
世の中の男性諸氏は、もっと頑張れねばと思いました。
今の私を癒してくれる音楽BESTは、これらです。
BEST
1位
2曲目のPIANOも良いです!
You Tubeでは↓
http://jp.youtube.com/watch?v=-djTRsN0fBM&mode=related&search=
2位
2曲目のmomentと4曲目のRiverが癒されるなぁ~・・・
3位
焔の扉は良いですねぇ~。
4位
コブクロBESTです。
5位
夜、聞いて癒されています。
6位
この中に入っている
学生時代のキラとアスランが向き合っている音楽で
癒されています。
7位
TVで放送している『女帝』の主題歌
ナナムジカの彼方です。
あ!
今日、女帝がTVでやる日だ~・・・
You Tubeでは↓
http://jp.youtube.com/watch?v=yshl2x59njI
8位
この曲を聴くと嫌なことが忘れます。本当に。
暁の車や焔の扉は
See-Sawでも活躍している
梶浦由記さん(私はこの方は天才だと思います)が創った曲です。
また
NHK総合にて8/19.26,27、3夜に渡って放映予定の
NHKスペシャル 「世界里山紀行」のBGMを担当し
良い曲を創っている方です。
静と動が上手く組み合わさっていると感じます。
お若いのに本当に才能がある方だと感心して聴いています。
8月30日の記事
『病院へ。。。行かなかった・・・』は
当日、
妻からの心に刺さる言葉や口調によって
私自身が分らなかった復職に当たって
私の弱いところを気付かせられたのです。
私が行く予定だった病院は職場の病院です。
妻からの心に刺さる言葉や口調の内容は、
復職とは全く関係の無い事でした。
心に刺さる言葉や口調で
私自身、この言葉や口調でダメージを受けるのに
復職できるのか?
自分自身に問うたとき、混乱しました。
その混乱は
職場は普通の職場とは違い、こんなのは日常茶飯事
その職場で私自身が
『虎穴に入らずんば虎児を得ず』の記事で書いた通り
私の使命(役割)がこんな事で果たせるのか。
私の中で悩みました。
また
そんな職場だからこそ怖いという感情に支配されました。
職場に入ったら、誰の目にも入りはしない。
私自身が25年勤務してきて良く分っている。
でも、行かなきゃ
使命は果たせない。
夫婦喧嘩は今始まった事じゃなく
職場の対応で意見が食い違い、度々してましたし
病気が発症してから、職場対応で家族崩壊の危機に
何度も遭いました。
だから、今回の夫婦喧嘩は、それに比べたら小さなものです。
それよりも
私を悩ましたのは
使命は果たしたいけど、職場に入ったあとが怖い。
そんな感情です。
今の
私の心の中には
以前の記事『乗り越えるという事』でも書いた通り
逃げるか避けるか。
それとも
立ち向かうのか。
心でぶつかっています。
いづれにしても
自分自身で結論を出さなきゃと思っています。
「双六」というのを思い出しました。
双六とは?
エジプトまたはインドに起こり、中国から奈良時代以前
に伝わった室内遊戯。盤上に白黒一五個ずつの駒(こま)
を置き、筒から振り出した二つの采(さい)の目の数によっ
て駒を進め、早く敵陣にはいった方を勝ちとする。
中古以来、賭博(とばく)として行われることが多かった。
とある。
子どもの頃
人生ゲームなんてのをやっていた。
これも、双六だろう。
ゲームの途中で振り出しに戻るになると
ガッカリしたものだ。
今回のは
ゲームじゃなく
実生活で振り出しに戻るのような気がする。
遊びじゃなく実生活で。。。
ここまで来るのに
長い時間と労力を注いだのに
もし、これで幕切れだとしたら
笑うしかないでしょう・・・
どう考えても
ハッァァァァァァァァ~~(涙)
妻よ!
何度言っても何故分らないのか!
普通の身体じゃないのに何とか
復職しようと耐えているのに
その心に刺さる言葉と口調をどうして治さないのか。
復職すれば
普通の身体じゃないのに職場で鞭を打って働き
職場から家庭に仕事が終わり帰って来て
その言葉と口調で話されたんじゃ
身体が持たない
心に刺さる言葉と口調を病気が発症してから
治せと言っていたが治っていない。
それならば
復職して自分の使命を果たせないどころか
職場で周囲の人に迷惑を掛けるのならば
復職しない方が良い
これ以上、
周りに迷惑を掛けてまで
復職しようとは思わない。
夫婦喧嘩は犬も食わぬ!
今日はです。
日中は暑かった。
やっぱり、例年よりも暑く
北海道は異常気象だなと感じます。
地球自体が異常気象だし連日、新聞では人殺しの記事が載り
社会自体も異常である気がする。
その社会に住む人間も、おかしくなっているのかなぁと感じます。
昨夜、私の家で
職場から私が復職にあたる話合いがありました。
復職にあたり
○ 精神疾患が復職するのに画一的に試験出勤が義務的になっているが、
精神疾患を持った人に応じて、すぐに復職する場合と試験出勤する場合
など柔軟性を持たせて欲しい。
○ 精神疾患を持った人が復職する場合、医師の診断書に基づき
本人が勤務するのに良い環境に異動出来るよう最大限考慮する。
○ 勤務時間は原則8時間であるが、具合が悪くなった場合、少しの時間
勤務時間であっても、職場内で休める場所の確保と時間を配慮する。
○ 復職前後、職場のケアチームにより本人及び家族のケアに努める。
○ 上記事項は全国にある職場に適用すること。
以上の事項を話し合いました。
今まで、病気になって私が職場で精神疾患の人が
どのような対応をされているか観たり、私が体験したのは、
○ 精神疾患の種類に問わず休職になった場合、職場の病院に入院して治る
まで帰って来るなと言われた事や自宅療養で、そのままにされていたこと。
○ 職場で仕事をする場合でも、お前は「病気だから」というだけで、一方的に
仕事を決められ、家庭を持っている人の場合、生活のため耐えて言う事を聞き
ストレスによって入退院を繰り返していること。
○ 職場の中には、精神疾患の病気の知識が無くても良いと目の前で言う人間が
いた事。
○ 職場の中に「障がい者」「病人」などと平気で本人の前で言う人間がいた事。
○ 職場は仕事の場でありメンタルケアをやる場では無いと、言っている人間が
いた事。
○ 元々、職場にメンタルケアの土壌ななかった事。
細かい事は、まだありますが
以上が大まかな事です。
誤解して欲しくないのは、この記事をUPしたのは、
私が、ここまでやったと言う事を自慢したいのではありません。
私の心(気持ち)は
病気を発症してから
家族
近所の方達
職場にいた心ある人達
そして
大なり小なり支援して頂いた方達
この方達に
復職
メンタルケアを成し遂げる事が恩返しだと思っているからです。
そして
今、職場で苦しんでいる人達や、これからこの様な病気になって
しまった人達のために、声無き声を上げ行動したのです。
また、
精神疾患者(精神病者)=怖い人
職場と言う世界は、多くの人から
精神疾患者(精神病者)=怖い人
というイメージを持たれる(レッテルを貼られると)と、
それは、その職場にいる限り、避けては通れなくなると感じます。
この声を上げるに際して
家族(妻や子)と約束しました。
約束した時期は、復職が出来ないと言われていた時
○一度は「復職」する。復職後は自分に、その後の道は任せて欲しい。
○「復職」後、職場にいる精神疾患の方と話をし、希望を失って自殺する
事無く、希望をもって生きて欲しい。
これらを、家族にも了解して貰い声を上げました。
決して
私が行った行動を正当化もしませんし
同じ行動をして欲しいとも思っていません。
それは
この私の行動によって妻や子ら家族を不幸にしたからです。
少なくとも、不幸にしたバカオヤジなのです。
ここまで読んで頂いた方に
健康な方であれば
精神疾患の方たちを色めがねで見ることなく
病気を抱えた一人の人間として欲しいと思いますし
現在、精神疾患を抱えている方は
決して、自ら命を絶つことはしないで欲しいと思いますし
生きる希望を失わないで欲しいと願っています。
私にとって復職は
「虎穴に入らずんば虎児を得ず」で
何としてもメンタルケアの目途を付けたいからです。
身体も、今一つですが、苦しくとも、やるしかないと思っています。
私は、このメンタルケアを職場で成し遂げる事が出来たとしたら
その後は
現在の職場でなくても
自分の為に
家族の為に
生きたいと思っています。
追伸:
明日、午前中
復職の件を含め病院に行って来ます。(妻も一緒です)
職場の人も来ると言うので一緒に行きます。
今日はです。
この時期に北海道が暑いのは
異常気象かな?と思います。
今回は『振り回されない』という事について
私自身の体験を振り返りながら書いてみました。
『振り回されない』と聞くと色々な事を連想すると思います。
私は
○他人に振り回されない
○病気に振り回されない
○自分自身に振り回されない
○仕事に振り回されない
○社会(流行)に振り回されない
と連想します。
この中でも特に私自身が気を付けているのは
下線を引いた
○病気に振り回されない
○自分自身に振り回されない
の2点です。
これらを知ったのは、
私自身の体験である自殺未遂からです。
三途の川を渡ろうとした私
でも、生きていました。
この時、私の心の友から
死ぬことよりも生きることの方が大変なんだ。
生きて生きて生き抜け!
と言われ何故か涙が止まりませんでした。
この後
私は何故、生きているんだろうか?
存在する意味は何か?
と自分自身に問わずにはいられませんでした。
同時に、本当は生きていたいんだと思えました。
これを問うてから苦悶の日々でした。
死ぬにも本当は生きていたい自分がいる。
だから
死ぬにも死ねない。
じゃあ。
自分が存在している意味は何だ?
そんな繰り返しの日々
妻から一冊の本を渡され読んで見てと言われました。
何で本なんか!
と思っていました。
自分自身の中で、
死ぬにも死ねない。
じゃあ。
自分が存在している意味は何だ?
と。
繰り返しの日々に疲れていた頃
本を読んで見ようと思いました。
その本の内容は今でもハッキリ憶えています。
「こんな夜更けにバナナかよ」です。
北海道に住む鹿野靖明さん。40歳
進行性筋ジストロフィーでありながら自由を貫いた人と
生きる手応えを求めて介助に通う主婦や学生ボランティア
を描いた実話である。
鹿野靖明さんは逝去されますが
本の中で
「なんで、オレは生きているのかってのが、ずーっとあるんですよ。
なんでオレは生きているの?っていうのに、何か意味が欲しい」
と鹿野の友人は語り、鹿野の葬儀は、まさにその解答を示して
くれたかのようだった。
と言うのがある。
確かに、私自身もこの本を読んで
鹿野靖明さんの生き方は見事だと思いました。
言い尽くせない気持ちが込み上げて来ました。
それから
私の頭の中に
「障がい者」
「福祉」
「ボランティア」
これらの言葉が浮かび上がって来ました。
浮かび上がって来たのも
自分自身の当時の現状と重なる部分が多かったのだと思います。
病気を発症してから、これらの言葉を浮かべれるまで約3年強、掛かりました。
自分自身の当時の現状に則していたとは言え
同じ様な病気を抱え苦しんでいる人がいるんではないか?
と考えられるようになり「福祉」に目が向きました。
その中で、色々な人を見て私自身が肌で感じて来ました。
それからの事は省略しますが
自分自身が
生きる意味や存在している意味を自分自身で感じるようになったのは
今年に入ってからです。
やはり、長い時間が掛かったと思います。
しかし、それだけで十分だとも言えません。
これからも時間は掛かると思います。
生きる意味や存在している意味=「希望」
だと私は思っています。
「希望」は誰かに押しつけられたり教えられたりして見つけられるものでは
無いと思っています。
自分自身で苦しく辛いけれど、見つけるものだと思います。
苦しく辛い中で見つけられるから「希望」だと思っています。
私もそうでしたが
独りでは「希望」を見つけるのは無理かも知れませんが
家族や理解してくれる人たちが、少しだけ手助けしてくれたから
見つけだせたのだと思います。
自分自身の中に「希望」という二文字があれば
○病気に振り回されること
や
○自分自身に振り回されること
は、少なくなったと感じています。
私が今、好んで何度も繰り返し読んでいる本があります。
イバン・イリイチと言う哲学者です。
2002年12月2日に、ドイツのブレーメンで死去されました。
このイバン・イリイチと言う方の本は難しいので何度も繰り返し
読まないと私には理解出来ない事が多いのですが、人の本質
を研究されているなぁと感じます。
その本の中で
「人びとに闇の中を生きろと勧めているのか、と問いかける場面で、
イリイチは、私が勧めているのは、自分自身が闇の中のろうそくの灯
であると知ること、それによって他の人びとの人生を照らす灯になる
ことだと。」
「けっして諦めてはいけない。人が生きている限り、灰の下のどこかに
僅かな残り火が隠れている」と言うカマラの言葉を引用している。
難しいので、良くは分らないと思いますが
イリイチが言いたかったのは
「未来」は自分自身を含めて誰にも分らないけれども
「希望」は誰にも分らなくても、自分自身には分る。
と言うことが言いたかったのでは無いかと私は思っています。
おそらく
人間は死ぬまで修行なんでしょう。
末期に始めて、良い人生だったと感謝と謙虚な気持ちで死ぬことが出来たら
私は幸せだと今は、感じます。
そのために
今を。
この時を。
この瞬間を。
一生懸命に生きるのだと思っています。
今回は長文になってしまいました。
ここまで、読んで頂きありがとうございます。
泣かないで下さい。
自分まで哀しくなってしまう。
色々な過去を背負って生きているんだなぁ
と
感じました。
苦しい事
や
辛い事が
良い想い出になれればと願っています。
大した事は言えませんが
生きていく中で、山もあれば谷もあるんじゃないかと思います。
哀しいだけで人生が終わってしまうのであれば
本当に不幸で哀しい事だと思います。
『希望』の二文字を信じましょう。
『希望』という二文字を信じて
死ぬときには、
あぁ~!
良い人生だったと思えるようにしたいものです。
そうなるように
「今。ここで。この瞬間」を生きましょう。
ある程度
良いことでも
悪いことでも
激励でも
苦言でも
何でも
話せるようになれれば良いなぁと思っています。
もう。
泣かないで。。。欲しい。
今日はです。
暑いッス!
通院から帰って来ました。()
行きは約30km位、行ったところで
頭に地震が起き具合が悪くなってしまい
妻に運転を代ってもらい
私は車の助手席で病院に着くまでダウンしてました。
妻は薬疹で痒いと言いながらも
何とか運転してくれました。
帰りは、私が運転して帰って来ました。
途中、ハスカップのアイスクリーム屋さん
と
農家によりトウキビを買いました。
先生とは、約30分の診察(まぁ~。いつも通り)
予想していた以上に厳しかったと感じました。
と。同時に褒めてもくれました。
先生の厳しさは、
私が信頼しているんで
毎度のことだから気にはしていません。
苦しくとも行動すれば
褒めてくれるし
苦しさに負け(自分自身に負け)たら
厳しいです。
復職の話もして来ました。
先生は私の事を熟知しているんで
その助言も受けました。
また
臨床心理士の先生から言われた
自分の為(周りの事を考える)
わがまま(周りの事を考えない)についても
先生は同じ考えでした。
今、周りの事を考える
同じ様な病気の人の為=自分の為
が、少しずつ身体で、分ってきたような感じがします。()
あとは
実践です。
職場に行き、私自身がどれだけ出来るのかが
問われていると思います。
今回の先生との診察で
人が存在するのは
やはり何か意味があると一層感じます。
私の場合
病気を通じ、職場で苦しんでいる人に手を差し伸べる事だと
本当に思っています
今、門を一つくぐり抜けようとしているのかと思っています
一歩ずつ