第二の人生を満喫!+愛犬ウィル(享年14歳)

還暦で娘・息子は結婚し孫がいます
様々な障害を抱え妻に支えられながら前向きに暮らしてます。

『精神障害』な俺

2010-01-31 15:51:45 | 俺とは(終)

 

この病気、いわゆる、精神障害になって俺なりに考えた事を書きます。

『ゆっくりでいいじゃない』を念頭に置いて、

まずは、
目標を設定する事について、
目標設定は、精神障害な俺には、向かない。
目標設定をすると、手枷足枷になり、返ってストレスになって、ダメになってしまうのが、多かった。
目標を設定して、クリアしても嬉しいとは、それほど感じない。
それよりも、
俺には、この病気をもった生き方をする考えの方が嬉しいと感じる。

たぶん、
目標を自分に与えてやるというやり方は、機械的で合理的ではあるけど、機械的、合理的な社会で発病してしまい、その様な形態には馴染めないのかもしれない。
そう言って、しまうと、もう社会に出れないように思ってしまうが、そうではない機械的、合理的な働き方ではなく、自分の生き方を思索しながら働ける事が必要だと感じる。

そんな場所が、この社会の中にあるのかと言われそうであるが、地域にある作業所などが、その役割を負っていると思うし、その人にあった働き方があっていいと思う。

俺は、まだまだ未熟、これからも成長していきたい。


昨日の散歩(2010年1月30日)

2010-01-31 11:18:10 | ウィルくん(師匠)終

2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

昨日は、夕方(夜に近かった)散歩に行き、疲れて、そのまま寝てしまいました。


リードを外して、思いっ切り遊ぶ、ウィルくん。

 


遊んでいるときも、時々、俺の方を見る、ウィルくん。

 


暗くなって来たから、帰ろうぜ。と言っても、遊びたい、ウィルくん。

 

 


今日の夜散歩(2010年1月29日)

2010-01-29 22:35:59 | ウィルくん(師匠)終


2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)


今日の散歩は夜。
ウィルは元気ーー!

上手く撮れてないけど、UPします。


夜の運動場



リードを外して思いっ切り遊んでる、ウィルくん。



黒いのが、ウィルくんです



黒いのが、ウィルくん。



黒いのが、ウィルくん。

 

今日は・・・・疲れました。
おやすみなさい。バタン・・・


勝間和代さん。

2010-01-29 10:19:28 | 社会福祉

 

いつの番組だったか、忘れてしまったが、『仕事のチーム力』という題で話していたのを思い出しながら、書いてみます。

『仕事のチーム力』
○苦手なものは、人に押しつけない、得意なものは引き受ける。
○ノウハウの共有
○無駄な競争はしない。
○相手の得意なところと、自分の得意なところを見極める。
○部下の能力が伸びない限り、自分は楽にならない。
○オーバーワークは身体を壊す。
○愚痴らない、怒らない、妬まない(三毒追放)
○三毒は、問題の先延ばし。
○中間管理職においては、上司の無理な仕事は引き受けない。
○落ち葉拾いは、マネージャーの仕事
○認め合うバランス感覚
○素直になるのが重要

と、思い出しながら書いてみました。

勝間さんならではの考えだと感じた。
俺には、無理だなあ。。。

 


今日の散歩(2010年1月28日)

2010-01-28 17:31:59 | ウィルくん(師匠)終

2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

今日の散歩は、ちょっとハードでした。
いつもの散歩コースを行き、広いグランドで人がいないのを確認して、リード(紐)を外して、思いっ切り追いかけっこ、や追いかけられっこをしました。

今日は、もうダウンです。


追いかけっこをして余裕の、ウィルくん。

 


追いかけられっこをして、まだまだ余裕の、ウィルくん。
ちなみに、俺はダウン。。。


考え過ぎる俺

2010-01-28 13:41:53 | 俺とは(終)

 

「今、何が大切か、見失っていないか?」などと、考え過ぎる俺

でも、今、やるべき事はあるよな・・・と思うが、
何かを怖がっている俺

俺は、家族の協力を得て、助けてもらってでも、再生したい。
その再生の仕方であるけど、
以前、健康なときのようには、ならない。(それは俺も理解している。)
と、考えていると・・・・深みにはまってしまう俺

再生するとしても、どのような再生になっているのか。俺自身にも分からないし、たぶん、誰も分からないんだと思う。

それでも、どんな形であれ、生きているのは現実だし、それは認められる。

社会の中で、俺自身が俺スタイルで生きていけるところが、あるんだと思う。
今は、それを知らないけど、あると思う。

そんな事を考えている俺でした。

まとまりのない文ですみません。

 


今日の散歩(2010年1月27日)

2010-01-27 20:27:16 | ウィルくん(師匠)終

2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

ウィルくんと、今日も散歩しました。
曇りでしたが、ウィルは外に出れるのが喜んでます。


外に出る気満々の、ウィルくん


1日の中で、昼間の散歩、夜の散歩の両方を出来ればいいのですが、その日の身体(心)の状態で、両方出来る日もあれば、どちらか片方しか出来ない日もあります。全く、散歩をしない日は、とりあえず、今のところ無いです。

そういう事で、ウィルには、何だか、すまないなあと感じてます。

少しづつ、出来るようになり、夏には、ウィルと一緒に5Km~6Km走れるようになりたいと思ってます。(無理かなあ。。。。)


病気になって『ニコ生』に、のめり込んでいた時、感じた事。

2010-01-26 20:28:07 | 俺とは(終)

 

  病気になって、約1年~2年くらい、ニコ生に、のめり込んだ事がある。所謂、ストリーミング配信の双方向の個人放送である。

 パソコンに電源を入れ、OSが起動してブラウザを立ち上げ、ネット検索していると、「ニコ生」というのがあった。「ニコ生」に登録して見ると、個人が放送していた。そこには、今まで経験した事のない世界であった。

 年甲斐もなく、病気で苦しい事から逃げたかった俺にとり、好奇心による、ドキドキ・ワクワク感があった。

 放送を俺なりに分類してみた。
① 顔を出しての放送
② 顔+スカイプ+電話の放送
③ 顔は出さず、姿を出し声の放送
④ 顔も姿も出さずに声のみの放送
⑤ 文字のみの放送

 現在は、「ニコ生」を見ることは無く、このブログを書くときか、何か検索するときくらいしか、PCは使用していない。
 
 「ニコ生」に限らず、ストリーミング配信から卒業したのは、
① 病気の苦しさから逃げてはいけないという事に気づいたため。
② 寂しさや孤独をストリーミング配信では解消できなかったため。
そして、
望むものを期待しても、得られない事に気づいた事である。

 これは、俺が感じた事であり、全ての人間が同じく感じるとは、限らないし、ストリーミング配信で充実している人もいるであろう。また、ストリーミング配信を批判しているものでは、ありません。俺個人の感想です。

 今は、自分自身を、ウィルと共に見つめなおす生活をしてます。自分の背丈にあった生活であると思うし、高望みをしない、質素な生活ですが、何だか、俺自身、今のままでいいんだと。思えます。
 少しずつ、社会復帰に向け、前に進みたいと思います。

 


留守番ウィルくん他

2010-01-26 12:53:24 | ウィルくん(師匠)終

2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

まず、更新について言い訳から、
身体(心)が安定してないとき、ウィルくんの世話で、いっぱい、いっぱいで更新できません。。。読んでもらってる方には、すみません。
今後も、そういった事で更新できないときもありますが、ご了承下さい。

で!
1月23(土)は、俺の病院の通院日でした。
いつも、妻と二人で行き、子供たちは、それぞれ予定とかあるんで、俺が通院の日には、ウィルくん留守番になります。
ウィルくん、一人残される事が分かっているようで、行く前には、「クゥ~ン」と鳴きます。それを振り切り、病院に行きました。午後3時に行って、帰ってきたのが午後8時まあ、病院では約2時間位、いつも待つので、そのくらいです。
帰って来てから、ウィルくん、嬉しそうでした。
きちんと、留守番が出来た、ウィルくん。えらい!と褒めました。


俺が通院にいくのを、見送る、ウィルくん。寂びそう


「クゥ~ン」と鳴いてた、ウィルくん。



話は変わり、
ウィルくんは、家の中で暮らしているのだけど、
今の時期は、寒い。
で!
ウィルくんに、毛布を掛けました。


毛布を掛け、まんざらでもない様子


こんな感じです。

 

 ここんとこ、ウィルくん。を思いっ切り、遊ばせようと、夜中、人がいない公園で、紐を外して、約1時間くらい散歩も兼ねて、やってます。
ウィルくん。自由になれると嬉しそうです。その後、散歩するんですが、「ウィル~」と呼ぶと、俺んとこに来ます。かわいいやつ。

 

 まあ~
 今は、定時に出来なくて、身体(心)の状態によって、外に出る時間がマチマチになって、ウィルくん。ごめん。
 キチンと定時に出来るように、少しづつ努力するから、それまで、待ってくれ。
 ウィル!


ようやく。。。

2010-01-22 23:32:30 | ウィルくん(師匠)終

2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

 

あ~~ やっと更新。。。
言い訳ですが・・・ センター試験を子供が受けるため、ドタバタ
と言っても、病人の俺は、何をするともなく、家族に迷惑を掛けるだけの空回り状態だったかも。。。汗

そんで、更新しない日の事と今日の事について書きます。

1月16日(土)は、
ウィルと並んで歩けるように、「ジェントルリーダー」を買い、その日の夜にウィルに付けて、行きました。
が・・・
ウィルが嫌がり、散歩の途中ですっぽり抜けてしまいました。
あ!と思ったら、ウィルは逃走!
付近を、ウィルと呼びながら探しましたが、見つからず・・・
仕方なく、家に戻り、玄関のとこまで来たら、
ウィルがいる!
お前って奴は・・・・涙、家の中に入れ、1時間ほど、ウィルと話をしました。

買ってきた「ジェントルリーダー」


「ジェントルリーダー」がすっぽり抜けて、逃走・・・
ウィルが嫌がっての逃走だったので、これは封印
二度と、これを使わないと決めた。
ウィルが嫌がるのは、俺も嫌だから。

 

1月17日(日)
「ジェントルリーダー」から、ウィルに優しそうなのを買いました。
ウィルも、まあまあ気に入ってくれたようです。

「ジェントルリーダー」から違うのに変え、まあまあな感じ。

 


若干、ウィルと歩数も合ってきたような・・・感じ


俺が座ると、ウィルくんも座りまったり。。。



座ってまったり。。。。。

 

1月18日(月)から21日(木)
ウィルくんと一緒に、散歩しましたが、カメラで撮ってないです。

 

1月22日(金)夜
ウィルくんと、さきほど、夜10時からフリスビー・ボール遊びを、まったく人気の無い公園でしてから、散歩しました。
ウィルくん。
少し喜んでたように思います。


この記事をUPしてから、今日カメラで撮ったのを忘れてて、
急いで、UPしました。


目が・・・・光ってる。当たり前か・・・

 

この頃、ウィルと付き合ってから、ウィルが俺の分身のように感じます。
そして、
ウィルくんとの信頼関係(無理強いするのではなく、自然に)を大切にします。

 

ウィル!
一緒に成長しような!

 


『変わらないもの』と『変わってはいけないもの』があるように思う。

2010-01-15 16:30:16 | 社会福祉

 

 年、月、日の単位で、急速に変化している社会。
その社会の中で、『変わっては、いけないもの』があるんじゃないか?と思う。

 移ろいやすい世の中にあり、変化、変化と変わる事に、こだわっているようにも
見える。目先の事に、とらわれる世の中のように感じる。

 『変わらないもの』
それは、人間が生きているということ。生身の人間である。
そして、
 『変わってはいけないもの』
それは、自分自身に対する思いやりとともに、他に対する思いやりであると思う。
他とは、他人であり、動物であり、自然でありたい。


雪かき+今日の散歩(2010年1月14日)

2010-01-14 15:28:10 | ウィルくん(師匠)終

 今日は、ウィルくんとの散歩の前に、昨夜から降った雪かきでした。
雪かきしてる最中、ウィルくんは外に繋いでました。雪かきしてる時、
遊べ~と言ってた、ウィルくん。
除雪道具にも興味があるらしく、除雪道具にアタックしてきます。
そんなこんなで、取りあえず、約1時間の雪かきが終わりました。


雪かきのとき、外に繋いでおりました。
ロープの長さが18mあり、除雪道具にアタックして来ました。

 

 雪かきが終わってから、訓練の一環の散歩でした。
雪かきで、疲れて・・・・写真取り損ねました。
訓練の一環の散歩は、ここ(←クリックすると記事にJUMPします。)の記事に書いてます。

 


自分自身の『個』の確立に向けた、自分自身の可能性

2010-01-14 11:56:06 | 社会福祉

 

 俺自身も含め、お金を必要以上に得たいと考えている人が増えているんじゃないか?それは、他人よりもお金を優先している考えではないか?

 病気になってから、俺自身が何か分からなくなっている現実。
それは、病気でいっぱい、いっぱいで他人の事を考える事が出来なく、自分は自分、他人は他人という考えになっている。

 総じて、病気だから、という理由で自分自身に対する理解が、月日とともに、薄くなっているような感じがする。

 ここで、いったん立ち止まって考えてみると、
お金を必要以上に得るよりも、『今の現実を見る眼』が必要なんじゃないかと思う。
それは、自分自身の価値観が病気によって、ダメだと教えられ崩壊した状態。
そして、
病気になってから、同じ様な病気の人間を救いたいという思いが出てくるが、人を救うというより、まず、自らが自らを救えるのか。ということだと思う。

 今、俺にとって大切なのか?
目の前の現実の中で、隠されているものを、どうすれば良いのかを導き出せること。それは、自分自身の『個』の確立に向けた、自分自身の可能性なのかもしれない。

 


今日の散歩(2010年1月13日)+ウィル8ヵ月目

2010-01-13 17:44:28 | ウィルくん(師匠)終


2009年6月13日(土)生まれ。チョコラブの男の子。お父さんが黒 お母さんがチョコレートだと言うことだそうです。

我が家に来た日:2009年7月23日(生後約1ヵ月)
散歩に連れて行った初日:2009年11月1日(生後5ヵ月)

 

ウィルの散歩をする前に、図書館に行き本を借りてきました。
借りて来た本は、
① 社団法人日本動物病院福祉協会 編『犬の気持ちを考えたしつけ方』
   ジャパンタイムズ.1995年
② 森 喜夫 監修『犬の気持ちがわかる愛犬のしつけとトレーニング』大泉書店.
   1999年
③ 佐藤愛子 著『犬たちへの詫び状』PHP研究所.2001年
④ 石黒謙吾 著『盲導犬クイールの一生』文藝春秋.2002年
⑤ 佐藤美津子 著『かみぐせの直し方』誠文堂新光社.2000年
⑥ 井上こみち 著『動物訓練士になるには』ぺりかん社.1998年
⑦ スージー・ベッカー 著『愛犬と暮らす365日のしあわせ』飛鳥新社.1995年
⑧ 長谷川彰 著『ラブラドール・リトリーバー』誠文堂新光社.1998年
⑨ スーザン・ブランダ 著『災害救助犬トレーニングマニュアル』ペットライフ社.
   1998年
⑩ 愛犬の友編集部 編『ラブラドール・リトリーバー』誠文堂新光社.1999年
⑪ ブルース・フォーグル 著『決定版 ドッグトレーニング マニュアル』
   誠文堂新光社.1995年

 11冊借りて来ました。コツコツと徐々に少しづつ読んでいきたいと思います。

 

今日のウィルくんの散歩ですが、
今日は、息子が冬休みで家にいて、フリスビーを手伝ってもらいました。
ウィルの運動より、説明する時間が多いような気が・・・・
ま。それでも手伝ってもらい良かったです。


人通りを見ている、ウィルくん


他の人が気になるようです。


見ていたら、ジィーと見てます。


そのままの状態で見ていると、お座りから伏せて見てる、ウィルくん

 

ウィルは人間と共存できるようになるために。
俺は社会復帰に少しでも近づくため、今はウィルに背中を
押されながら外に出してもらえる。
ウィル!一緒に成長しような!


 


「共生」ー理想と言われればそうだけど、諦めたくないなあ。

2010-01-13 11:25:02 | 社会福祉

 

 こんな病気の俺が、こんな事を言うのも、どうかと思ったが、
自らの考えであるので、まあいいかという感じで書きました。

 現在の世の中、社会をみていると、日本だけでなく、世界の価値観が、
「経済的豊かさ」に走り、機械的な労働が一層求められているんじゃないか?
と感じる。

 労働と仕事は違うものだと思うけど、今では、同一のようである。
同一のものとして考えたら「労働=喜び」ではなく、「労働=キツイもの」となっているんじゃないか?
こんな風にも感じる。

 この「キツイもの」中からは、経済的文化は生み出されても、人間としての文化は生まれないんじゃないか?
かえって、『心の病』を大量生産しているようにも見えてしまう。

 経済的文化に批判的になれば「経済的豊かさ」を享受出来る人の権利を奪うのかと反論が来そうであるが、少なくとも、「経済的豊かさ」を追い求めた結果、経済格差が生まれ、富めるものと貧しいものの格差は拡がり、「貧困者層」が大量に出てしまったのは現実であると思う。
そして、こういう分け方は、したくはないけど、精神的に病んでいる人と病んでない人、その潜在的な予備軍がいるのであろう。

 「経済的豊かさ」の欲望は、際限なく続くと思われる。どこかの時点で、豊かさという頭上のものから、貧困という足下に目を向け、向き合い、生きるという事を問いなおす時期がきているんじゃないか。と思える。
 
 動的な「生きる」ではない静的に「生きている」、要するに、人間の生きている本質に迫る問い直しが必要ではないかと思う。

 こんな事を書いてると、お前は世の中に逆らうのかと言われそうだが、 世の中の流れに逆らうつもりは毛頭ないです。単純に、障害を抱えながら生きている人と健康と言われている人、社会の共生が実現できないか?
図で言うと、こんな感じになる。


 言葉や形だけではない、「共生」、理想で実現不可能かも知れないけど、
初めから、諦めるよりもいいかなと思ってます。半歩でも進む事が出来るようになればいいと思うし、1個人では、その思いをブログで書くことしか出来ないかもしれないですね。