本家ヤースケ伝

年取ってから困ること、考えること、興味を惹かれること・・の総集編だろうか。

民族排外主義他。

2010-10-30 19:06:21 | 世界
民族主義つまりは民族排外主義でアホな『一般大衆』を煽り立てる程幼稚で容易なアジテイションはないことは我々の歴史が証明するところである。勝谷あたりの安っぽい煽動にひょいひょい乗せられてしまう我が『世論』などは中国の一部『暴徒』たちの内実と何ら相違は認められない言わば「同じ穴の狢」でしかないのである。互いが互いを面罵して相手の国旗を焼き、挙句は「許せない」「戦争だ」と喚き散らした結果嘘から出た誠で現実に「戦争」という相互の武力行使=殺し合いにまで至った「史実」を遺憾ながら我々は幾らでも例示出来るのである。先程タカジンの番組にゲストで出ていた桜井良子などは根っからの右派論客であるが、彼女の方がレギュラー陣より遥かに冷静な分析をしていた。どうも「世界は今総体として《右傾化》の一途を辿っている」と見た方が多分正確で良さそうである。そもそも政治とは何かと言えば「奴は敵だ。敵は殺せ」こそが政治の究極の論理であると喝破したのが埴谷雄高である。日頃「自分(ら)が食う」ことを第一命題としてあくせく生活している我々にとっては他人の胃袋や取り分の心配をすることなど二の次の問題であり、それはどんな篤志家・人道家にも共通した習性であって、これを一歩でも踏み越えた稀有な人間は普通「聖人」と呼ばれるのである。仮に隣人が餓えていると知ったからと言って、彼(ら)に食物の分配を按配することなどは自分と自分の家族が(満腹とは言わないまでも充分)食ってから後の思案となるのである。まして「ガイコク」に住まう見も知らぬ「ガイコクジン」のことなど誰が心配するだろうか。いつも言うように、我々にはそこまでの思慮も分別も備わっていないのである。係る無分別で愚かな存在たる我々が互いに「お前なんか嫌いだ」と言い出したらいったいこの世界はどうなるのか!?・・と言ったところで、所詮この地球など「銀河系の片隅の小さな水滴」に過ぎないということなのだろうか。w . . . 本文を読む