奈良)生駒ケーブル100年 戦争など苦難経て光明
2018年9月9日03時00分
生駒市内を走る「生駒ケーブル」が、開業から100周年を迎えた。生駒山腹にある宝山寺への参拝客を運ぶために造られた国内最古の旅客用ケーブルカーだ。戦時中の苦難を経て、生駒山上遊園地や地元の通勤・通学の便として、多くの乗客に愛されてきた。
第1次世界大戦中の1918(大正7)年8月29日、現在の宝山寺線(0・9キロ)が開業した。ケーブルを運行する近畿日本鉄道の社史によると、戦争で資材調達が難航し、着工から2年10カ月かかった。
国内では前例のない事業だった。設計した大戸武之氏は、著書にこう記した。
「香港におけるケーブルカーに倣いて建設を企て」「先進国独逸(ドイツ)のあらゆる文献をあさり大勉強して設計、建設に手を染め(完成させた)」。乗客は翌19年度、144万人を数えた。
29(昭和4)年に山上に遊園地が完成し、ケーブルも宝山寺駅と結ぶ山上線(1・1キロ)が開業した。しかし、第2次世界大戦中の44年に軍専用になり、一般営業を休止。複線のレールの1線分が金属回収で撤去された。45年8月、残った1線で営業を再開した。
昭和以降で記録に残る最も古い乗降客数は、75年度の152万人。その後は減り続け、2016年度は39万人だった。マイカーの普及、宝山寺と遊園地の客の減少が大きな理由だ。
ピーク時に年間70万人が訪れた遊園地はレジャーの多様化で04年度に17万人まで減った。狙いを「家族」に切り替えたところ、23万人に回復。ケーブルの乗客数にも影響し、17年度は前年より7千人増えた。
大きな試みは00年に登場した3代目の車両「ブル」と「ミケ」だった。遊園地を意識したデザインに、当時本社で車両導入に携わった黒川高行さん(52)は「ファンシーすぎないか、と不安もあったが、いま思えば大成功です」。
黒川さんは現在、信貴生駒鋼索線区長を務め、ケーブル歴は通算22年になる。「ここ数年、山上からの景色を見に乗車する訪日外国人の姿もある。今後も多くの方の笑顔を運べたら」
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近鉄は記念イベントを実施している。主なものは今月末までで、歴史資料の展示(宝山寺駅)や「リアル謎解きゲーム」など。29日には撮影会が開かれる。問い合わせは近鉄上本町駅営業所(06・6773・2100)へ。(筒井次郎)
運行支える38人
生駒ケーブルの運行に携わるのは38人の近鉄社員だ。その一人、井倉光伸さん(54)=奈良市=はケーブル歴が通算32年。検査班の班長だが、乗務員や改札係など仕事は多岐にわたる。中でも安全運行の要となるのが機械の整備だ。
ケーブルカーは2台が1本のワイヤロープでつながり、片方が上に進むと、もう片方が下がる。そのワイヤを巻き上げる大きな機械が宝山寺駅のホーム下にある。機械に触れ、モーター音を聞き、異常がないかを確認する。
「決まったことは必ずするを信念にやってきた。僕の中ではかけがえのない職場です」
同じく検査班の久保秀行さん(56)=三重県名張市=は、趣味の工作を生かした「おもてなし」に取り組んできた。
玄関口の鳥居前駅に車両のブルとミケをかたどった手作りパネルを設置し、記念写真を撮れるようにした。100周年記念に着ぐるみも作った。車内には、沿線にちなんだ自作のパズルを貼ったこともある。
「遊園地があるので、遊び心を持って仕事をしています。お客さんに喜んでもらえることに、これからも挑戦していきたい」
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