むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「19」 ②

2024年11月22日 09時22分08秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・その夜、
中宮は私をお側に呼ばれて、

「わたくしはあの時、
世を捨てるつもりでいたけれど、
わたくしが世捨て人になると、
この一族はばらばらになってしまう、
まして、
これから生まれていらっしゃる、
若宮がお可哀そうと思ったの、
こんな執着があっては、
仏の道など修められそうもないし、
仏罰をこうむることになるでしょう
もう二度と内裏へ戻ることは、
ないかもしれないけれど、
主上のおゆるしも受けず、
世を捨てることも、
ためらわれてしまって・・・」

というしみじみとしたお話

貴子の上はご病気だし、
伊周(これちか)の君たちは、
配流の最中、
お妹君たちは同じように、
宮中から退ってこのお邸に、
身を寄せていられる

主とたのまれるのは、
中宮お一方だけなのだった

内裏より主上のおつかいは、
右近が折々来るようで、
そのおねんごろな主上のご愛情と、
十二月に迫ったご出産が、
このお邸の唯一の希望だった

貴子の上のご病気は、
重いらしい

ご一族の清照阿闍梨が、
つききりで加持していられるが、
もう食事ものどを通らず、

「伊周に会いたい、
ひと目、会いたい」

とうわごとを仰せられるだけ、
という

伊周の君の流された、
播磨は近いが、
呼び返しまいらせるわけには、
いかない

弟君、隆家の君の配流先の、
但馬からも播磨からも、
使者は繁く来るが、
貴子の上は日一日と、
重くなられるばかりである

十月に入って危篤になられた

播磨と但馬へ、
早馬の使者が立つ

但馬の隆家の君からは、

「飛んでも参りたいが、
いま京へ戻っては、
恥の上塗りになる
ひたすら神仏にお祈りし、
すがるのみ
これ以上、世を騒がし、
人に嗤われたくない」

というきっぱりしたお返事が、
あったそうである

播磨からの返事はなく、
その代り、ある夜、
邸内はひそかなざわめきに、
包まれた

あり得べからざること、
伊周の君は、
夜の闇にまぎれて、
播磨の国から駆け戻られた

公の咎めで、
終生、すたり者になるかもしれぬ、
懸念は覚悟の上、
身はどうなろうとも、
親の死に目にあったことで、
断罪され神仏に憎まれるのなら、

「それはそれで運命だと、
思いまして」

と涙ながらに、
母君の手をとられたという

「これで、
心おきなく死ねます」

と貴子の上は喜ばれたそうである

二日一夜、
邸はひたすら沈黙を守り、
帥殿(伊周の君)の帰京を、
ひたかくしにかくし続けていた

邸の中の小者雑人にいたるまで、
ぴったり口を閉ざして、
秘密を洩らさなかった

・・・はずなのに、
密告者があった

小二条邸を検非違使がとり囲み、

「前代未聞だ
流人が勝手に帰京するとは、
朝廷の権威をないがしろにする
公の温情で播磨にとどめたのが、
裏目に出た」

伊周の君は、
たちまち有無をいわさず、
車に押し込まれなすった

以前と違って、
格段の手荒さであったという

私が見たわけではなく、
邸の中にいたけれど、
検非違使たちがひしと取り囲み、
お姿を見ることさえ、
かなわなかった

中宮のおわす寝殿は、
ぴたりと格子も蔀もおろされて、
外の様子をうかがうことも、
許されない

まるきり罪人扱いで、
このたびは即日、
判決通り筑紫へ送られることに、
なったのだった

都じゅうは、
この噂でもちきりだという

隆家の君を、

「性根の坐った方だ」

とほめる者もあり、

「いやいや、
伊周の君は孝行な方じゃないか
ひと目会って死にたいと嘆かれる、
母君のお心を察して、
わが身はどうなっても、
と帰られたそのお心がなつかしい」

と同情する声もある

そういえば、
噂の一つに、
さきの越前守・親信(ちかのぶ)
の話がある

密告者は親信の子で、
孝義という青年だそうな

彼は伊周の君が、
入京し小二条邸へ入られた、
という情報を手に入れ、
すぐさま朝廷へ売ったという

そのため、
ひと月ばかりして、
加階褒章された

孝義は得々として、
その喜びを言いに父を訪れたが、
親信は声をふるわせ、
息子を叱ったという

「何しに来たのだ?
ここをどこだと思うのだ?
わしはお前如きの薄情者、
人でなしを子に持たん
密告などという、
卑しむべきことは、
町のひさぎ女などのすることだ
あさましい
情けない
そんなことをして、
人々の心を傷つけ、
胸を焼き焦がし、
嘆きを身に負うのが、
いいことだとお前は、
思っているのか」

足蹴にせんばかり、
怒り狂い、ののしったので、
息子は閉口して、
ほうほうのていで逃げたそうである

私は親信という爺さんに、
好意を持った

それこそ人間らしさ、
教養というものではないか、
と思った

やがて貴子の上は、
亡くなられた

伊周の君は、
筑紫で母君の死を聞かれた

その国の大弐は、
何ということであろう、
有国であった

伊周の君の父君、
故道隆の大臣に憎まれ、
位を剥奪された有国は、
道長の君の代になって、
勢力を復し太宰大弐となって、
意気揚々と下っていったが、
そこへまわりまわって、
子息の伊周の君が、
流人として落ちて来られたのだった

有国はおどろき、
しかしねんごろに仕えているという

「世の中は、
めぐりにめぐるもので、
ございますな
有国のご主君は、
亡き兼家公でございました
兼家公のご子孫の君に、
仕えるべく有国はこうして、
ここへ参ったのでございましょう
ご不自由はおかけいたしません」

そういったという話が、
京まで伝えられた

二条のお邸は、
鈍色の裳服に埋められた

そして、
十二月十六日、
喪服を召された中宮は、
若宮をご出産なすった






          




(次回へ)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする