・筑紫へ、出雲へ、
と出立した罪びとのもとから、
中宮へしきりにお便りが寄せられる
詩人才人のご一家なので、
こうした時にさえ、
そのお歌や消息は、
世間に洩れ散って、
人々の同情と共感をあつめる
母・貴子の上が、
内大臣どのにとりすがり、
そのまま出発されたこと、
内大臣どのが、
宣命が下りているのに、
あきらめきれずに逡巡して、
いさぎよく罪に伏されないこと、
などを、
「未練がましい、
身勝手な進退」
と非難する人もあるが、
しかしそれ以上に、
「ご尤もなこと
母・貴子の上のお心は、
さもあろうと、
帥どのも妹宮と母上を見捨てては、
いさぎよく出立できかねたであろう、
なんという人間らしい、
お心持ちであられることか、
目のあたりにその嘆きを見た、
検非違使たちもさすが人の子、
心動かされて、
よう手を下して、
強行出来なかったのであろう、
その場にいたら、
どんな人も共感するはず
朝廷のご命令は、
情け容赦もないものであったが、
あれは実際に愁嘆場を見なんだゆえ、
ああも気強く出られるのであろう」
という同情の声が多い
憎まれて孤立していると、
思われた関白家であったが、
それも、ここまで追いつめられると、
にわかに同情に変じたようである
「それに、
宮はただいまご懐妊中、
果たして第一皇子でも、
ご誕生になったら、
たちまち形勢は逆転します
世間はそのへんのところも、
にらみ合せております」
私にそういうのは、
棟世だった
棟世は、
こんどは山城守になっている
九州の商人がもたらしたばかりの、
珍しい唐綾の反物を土産に、
邸へ久しぶりに顔を見せた
棟世はいつも、
夜に入ったころに来る
「夜の方が、
見苦しさもかくれて、
いいかと思いましてな
色めいた心でおたずねするのでは、
ありませんよ」
棟世はおっとりというが、
夜の乏しい灯りのもとで、
逢う人は容貌よりも、
気配りのいい人が好もしい
もののいいぶり、
身じろぎ、
しぐさ・・・
それらがかえって昼間より、
はっきりとわかり、
夜というのは面白い
美しい男や女は、
昼間のもの
美貌だけが自慢で、
気配りの劣る男女は、
夜には逢えないものである
「あなたのことなら、
何でも耳に入っております
しかし、草子はまだ、
拝見しておりません
いちどお貸しください」
「もう長いこと、
打ち捨てています
まして今日このごろの、
宮さまのおん有様ですもの
おいたわしくて、
考えるだけで胸ふさがって、
食事もとれない気持ちです」
と私がいったものだから、
棟世は、
「世間の同情は、
いま、にわかに、
伊周(これちか)の君のご一家に、
集っている、
まして宮がご懐妊中であるのを、
誰も無視できないでいる」
と慰めてくれた
「それじゃ、
帥どのは許されて、
お帰りになるかしら?」
「すぐに、
ということは無理でしょうが、
左大臣・道長公も、
天下の人心をじっくりと、
見通して事を運ばなければ、
なりますまい」
棟世にそういわれると、
私も心がやや落ち着く
中宮が世を捨てられた、
という衝撃で私はここ何日か、
何も手につかず、
いら立つばかりで、
そういう混乱が、
棟世のおかげで少し、
立ち直る気がする
則光などは、
内大臣ご一家が罪状決定した日に、
殿上人たちが、
「いい気味だ、天罰だ」
といっていた、
などということを聞かせ、
私を腐らせた
しかし棟世は、
「人々がこっそり同情している、
その人心を左大臣どのも、
無視なさることは出来ない」
と慰めてくれる
また更に、
「主上がとうてい、
宮さまをお手放しには、
なりますまい
とてもおむつまじい仲とか、
下々にまで聞こえています」
といって、
嬉しがらせてくれる
棟世はしかし、
いつも短い時間で帰ってしまう
棟世のいっていた同情論が、
かたちをあらわしたように、
内大臣どのも中納言どのも、
配流先がずっと近くに変更された
内大臣どのは、
山崎の関で発病なさったので、
播磨の国に落ち着き先が変り、
中納言どのは但馬に、
とどめおかれることになった
母・貴子の上は、
それに安堵して、
やっと山崎から帰られたという
中宮は悲しい中にも、
ほっと安心して、
嬉しく思われたのだった
播磨でも但馬でも、
国守たちは配流の貴公子に、
同情しねんごろにお仕えして、
いるという
私も心から嬉しかった
中宮がお心丈夫に、
思われることだろうと、
自分も心はずむのだった
やっと、という感じで、
世の中が落ち着いたので、
私は二条北宮へ参上した
少なくとも、
お邸の内の様子は、
三月に来たときより、
ずっと平静と秩序を、
取り戻していた
男あるじのいない邸であるが、
中宮のご存在を柱にして、
どことなく活気が、
よみがえっていた
(よかった・・・)
私は局に向かうまでに、
中納言の君に挨拶にいった
中納言の君は、
どことなくよそよそしかった
そういえば、
そのほかの若い人たちも、
年配の人たちも、
私を見る目がどことなく変である
女房たちが集まっている所へ、
私が顔を出すと、
「・・・」
人々は話をやめてしまう
「左大臣家(道長公)と、
つながりのある人の前では、
用心して口を利かないと・・・」
などとうなずきあう
私のことか
(了)