・右衛門の君と、
話しているうち夜が明けて、
邸内はひそかな人声、
馬のいななきのうちに、
目覚めてゆく
武者が庭のあちこちにたむろして、
その眺めは異様だった
むくつけき男たちが、
殺気をはらんで邸内に満ちている
賀茂祭が近づいても、
今年は浮き立つ心にならない
今年の初夏ほど、
憂鬱な心たれこめる季節は、
知らない
青空もほととぎすも、
私の心をかえって閉ざす
二条北宮に笑い声の、
洩れるときはない
格子も蔀もしっかり閉められ、
刻一刻と待ち受ける不吉な、
緊張が感じられる
祭の日はさすがに、
邸内の武者たちも散って、
装束を付けた人々が出入りし、
やっと和やかな雰囲気が戻った
中宮はここ数日、
臥せっていられたが、
私たちに、
「祭の見物に行ってらっしゃい」
とのお言葉がある
迎えの牛車に乗る人、
祭の時だけ実家へ里下りする人、
などなどで、
邸は昔のように花やかになった
内大臣どのつきの女房たちも、
久しぶりに格子を開けて、
顔を見せていたりする
私は三条の自邸へ、
しばらくぶりで帰った
この祭のあと、
どんなことが待ち上がるか、
それは誰にも予想はつかない
もし長いこと、
この邸に帰れない、
ようなことになれば、
整理しなければいけない
私は少女の小雪を相手に、
長い留守をしてもいいように、
片づけはじめた
経房の君には、
この邸を教えてあるので、
何かことづけでもあるかと、
留守番の爺さんに聞いたが、
何もなかった
男たちはいま、
釘で打ち付けられたように、
動けないらしい
内大臣・伊周(これちか)一家の、
処遇を固唾を飲んで見守り、
それによって動き出そう、
というところらしい
ただ爺さんの話では、
「兵部の君」という人から、
お使いが来ました、という
珍しい
「兵部の君」は、
土御門どの、つまり、
道長の君の北の方・倫子の上に、
お仕えする女房で古い馴染みである
何か用があってのことだろうか
「二条北宮においでになります、
と申しあげましたが、
行かれませなんだか」
その使いは来なかった
ここの邸へは来るが、
二条北宮ときいて、
あえて来なかったとみえる
用向きの内容は、
何かそこに関係があることかも、
しれない
私は二条北宮へ戻った
いや、戻ろうとした
ところが都大路は、
一夜のあいだに武者ばらでいっぱい
二条北宮へ近づくにつれ、
その数は増した
門前にも近寄れない
検非違使庁の下部たちが、
手を振って追い払う
内大臣どのの罪状が、
決まったのだろうか
「お仕えする女房でございます
どうか道をお開けください」
と私は従者の男たちに言わせたが、
侍たちは耳にも入れず、
「邸へ入るも出るも、
みな罪人一味となるぞ
悪いことはいわない
かかわりあいになるまい、
と思うならさっさと立ち去れ」
という
二条のお邸はすき間なく包囲され、
邸内の様子はうかがいしれない
一方、武士たちは、
宮中にも詰めているという
近衛府のつわものたちが、
宮中の殿舎を守り、
馬は集められ、
諸門は逆徒が攻め込まぬよう、
しっかと閉じられているという
そうして、
二条邸にこもる高貴な罪人たちを、
召し捕ろうとして、
門内には検非違使の手の者たちが、
ひしめいている
中宮は、
どうなさっているであろうか
右衛門の君は、
首尾よく邸内に戻ったであろうか、
内大臣どのは、
からめ捕られなさったのか、
私は胸とどろき、
車から下りて走り込みたいほど
「お止しなさいませ
ここにいては、
どんなめにあうかわかりません
お車を戻しましょう」
供の者たちが泣き声を立て、
車の向きを変えてしまう
「待ちなさい!
しばらく様子をみてから」
と私は声もかれるばかりに、
いうのであるが、
そういう間も、
大路に武者たちの数は増えてゆく
馬がいななき、
男たちの怒罵がとびかう
内裏とこの二条邸を包囲する、
検非違使庁の武者ばらの間に、
ひっきりなしに伝令が行き交うらしい
日は中天に昇り、
初夏の熱い日ざしのもと、
大路は殺気立って、
人と馬でごった返している
追っても追っても、
物見高い群衆は集まってくる
内大臣どのの護送を、
ひとめ見ようとする人たちだ
その人波がどよめきと共に、
さっと二つに分かれるのは、
馬が走りこんできたときである
「内大臣を召し捕れという、
朝廷のご命令だそうだ」
「いや、まさか、
やはり高位のお方を、
どうすることもできぬであろう
何しろ中宮さまのお袖の下に、
かくれていられるのだから」
「すれば、
おゆるしが出るのかな」
「そんなことがあろうか
いったん朝廷のご宣命が、
下された以上、
ひっこめられることはあるまい」
と野次馬たちがしゃべりあって、
いるのが車の中の私にも聞こえる
私は手を握りしめ、
(今こそ、
おそばについていて、
お力になりたかった)
と切に思う
私が、
「待って
待ちなさいというのに」
と叫んでも、
車はどんどんお邸から、
離れようとする
「物騒なところでございます
ひとまず逃げましょう」
車のそばを、
歩いてついてくる小雪も、
恐怖に青ざめている
「御方さまに、
万一のことでも起きましたら、
ご主人さまに顔向けできません」
などと供の男はいう
彼らがご主人さまと呼ぶのは、
則光のことで、
私の邸の召使いたちからすれば、
私は今でも則光の妻、
という意識であるらしかった
夜に入って、
二条邸の前の通りは封鎖され、
通行止めになっているという
辻々にかがり火が焚かれ、
夜空が赤く染まっているのが、
自邸から見える
何ごとが二条邸で、
行われているのか、
私には知りようもなかった
夜っぴて、
町の者が逃げまどう物音がして、
かしましい
町の者たちは、
戦いでも起きるかのように、
逃げてゆく
夜明けに近いころ、
則光が馬で来た
(次回へ)