「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

4,姥嵐 ④

2025年02月11日 09時25分38秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・私は日本を離れるときのほうが、
しんからくつろげて、
ほっとする人間である

国際線に乗り、
シートベルトをしめ、
これから六、七時間、
ゆっくりしようと思う時の心弾み、
次男の嫁のように、
「淋しいでしょ」
なんて気持ちはどこを押しても、
出てこない

家具屋はああいったけれど、
成田で集まった二百人ばかりの、
団体は中年老年が多く、
中に若い人が色どりに、
混じっているだけ、
そうして安く値切った、
パック旅行なのであろう、
添乗員はついていかず、
送り込むだけで、
現地に着くとべつの世話係が、
待ち受けているというものである

尤も、JALだから、
日本の娘さんが機内では愛想よく、
面倒を見てくれる

私はヒコーキの中でも、
退屈しない

窓際から二番目だったので、
外の景色も見えるし、
眠くなるとぐっすり眠れる

うしろの老女は、
トイレから帰ってきて、

「ああ、せまいせまい、
あんなトコで用が足せまへんわ」

とわめいていたが、
私はヒコーキのトイレの、
コンパクトな感じが好きなので、
用も足せれば、
上手に顔を洗ってお化粧もする

そうして後ろの席の老女のように、

「お父さん、
この残ったん、
紙に包んでおいときまひょか、
あとでお腹が空いたときに」

などということはしないのである

旅は一期一会、
人間や町だけではなく、
食べ物についてもそうである

ハンドバックに、
食べ残しのものを入れたりしてると、
それがいつまでも心のしこりになり、
気になったりする

気にならぬ時は、
忘れているのだから、
どっちみち同じ、
捨てたほうがよい

旅のあいだは、
一つのことでも、
気になることはせぬほうがいい

そうして晴れ晴れと、
旅を楽しむのがコツである

「お父さん、足、足
このスリッパはいていきなはれ
一人で行けますか、
ついていきまひょか」

後ろの席では、
しきりに亭主の世話をやいている

ああいうのは、
旅に来たのか、
亭主の世話に来たのか、
あわれなものである

それにしても、
日本の男はつねに女に世話され、
面倒をみてもらうのを、
保証されているのはなぜか

なんで女が男に、
世話され面倒をみてもらえないのか
考えると腹が立ってくる

「お父さん、
飴玉一つどないです
寒いことおませんか
え?暑い?
ほなそれ脱ぎなはれ」

うるさい婆あだ

夫のほうは、
「むむ」とか「ああ」とか、
横柄に返事ともつかぬ返事をして、
妻に対する態度はまるで、
下女を見るごとくである

何の根拠があって、
ああも威張り散らすのだ

私はわが亭主、
亡夫慶太郎の無能凡庸に懲り、
息子らの不出来をあきらめているから、
どうしても男が女よりえらいと、
認めたくないのだ

そんなことより、
人による

かの忠実なる元番頭、
前沢なんかを一生に一度、
ハワイ旅行に連れてきてやれば、
よかった

かげ日向なく、
誠実に働き通した、
ああいう男なら、
やさしくねぎらって、
やりたい気がする

隣の窓際に、
老紳士がステッキを抱いて、
坐っていたが、

「うらやましいこっちゃ、なあ・・・」

と窓を向いたまま、
つぶやいた

私にいわれたのかと思い、

「は?」

といったら、
紳士は私に気づいて狼狽し、

「あ、いや、
後ろのご夫婦がおむつまじく、
旅行に加わっていられますので、
うらやましいて」

「失礼ですが、
お一人旅ですか?」

私は軽く相手になる

誰とでもしゃべる、
ウマを合わせる、
これが一人旅のコツであって、
梅干や塩混布より大切である

団体旅行だと、
どんな人間と組まされて、
同室になるかわからない、
融通が利かないと、
特に年寄りの一人旅はできない

「はい、
とうとう家内を、
外国旅行に連れていって、
やれずじまいでした
墓石を背負ってくるわけにもいかず
ハッハッハッ」

人ざわりのよい、
品のいい老紳士である

七十くらいであろうか

この人ざわりのよさは、
とても公務員や学者、
警察畠、医者などではあるまい

あたまを下げたことのない、
人生を送ってる人は、
トシとって臭みが出やすいもの、
この紳士は練れているから、
商売人そだちであろう

私も商売人あがりだから、
好もしいわけ

「まあ、
私もヤモメでございますが、
連れ合いはもうっとくに、
亡くなりましたので、
こうして私一人、
気ままな旅ができると、
感謝しております」

「なるほど、
オナゴの方は、
そういうこともあるかも、
しれませんな
しかし我々男は一人旅しても、
なんやら手持ち無沙汰で、
うしろの席のご夫婦が、
うらやましいですな
そこが男とオナゴはんの、
違うところですな」

紳士はそれを、
流ちょうにしゃべるのではなく、
ぼつぼつとしゃべるが、
決して野暮ったくなく、
都会風である

都会風だが、
よそよそしいところはない

つまり要するに、
商売人のあたたかみと、
朴訥さがあるのだ

そうして私は、
ウチの息子たちに対して、
不足な点がわかった

彼らはサラリーマン風に、
なってしまっているのだ

サラリーマンだって、
営業、渉外係りをやってる人間は、
あたまがやわらかいが、
ウチの長男なんか、
社長風になってしまって、
そこが私には気に入らなかったのだ

私は浪花女だから、
練れた商売人風を、
いちばんできのいい人間、
と思うクセがある

「あちらは暑いでしょうな」

と紳士は話を変え、

「波乗りもさかんらしいですな」

「冬に泳げるなんて、
夢みたいですわね」

「温泉の大浴場で、
泳いだことありますが・・・
楽しみです」

と老紳士は機嫌よく笑い、
ほどよくおしゃべりがつづく

私は今度の敬老旅行に、
ほのかな楽しみが持てる

こういう紳士がグループの中に、
いてくれると楽しいのである






          


(次回へ)

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