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・侍女の進言で、
気晴らしに石山の観音さまへお参りしようと出かけました。
朝の四時ごろ出て着いたのは夕方五時。
途中、若狭守の威勢よい車列に出会いました。
都ではぺこぺこしている者たちですが、
地方では大威張りです。
蜻蛉たちは身分からいえば比べ物にならない顕官の夫人ですが、
今はしのびの旅ゆえ、その一行に「どけ、どけ!」と言われても、
黙って従うほかはなく、プライドに傷がついたと書いています。
しかし、そのプライドも夫あってのもの、
そのくせそういう仕打ちをされると怒りを感じる彼女は、
苦しむ能力に長けた人。
石山詣でから帰ると突然兼家がやって来まして、
昇進したことを告げます。
夫は出世街道まっしぐらで、
その後、しげしげと蜻蛉のもとを訪れています。
そしてこの時に息子の道綱を元服させることになります。
円融天皇の大嘗会がありまして、
上皇(冷泉院)にお願いして道綱を元服させようとしました。
道綱はもう十六才。
元服とは一人前の社会人にするという感じです。
この後は頼もしい父親を持つ娘と結婚させて任せてしまえば、
自分は安心して尼になれるなんてことを、
蜻蛉は考えています。
婿は身ぐるみ妻の里が引き受けてくれます。
元服の儀式が終わったあとも、
兼家は道綱を連れてあちこちお礼参りに行って、
蜻蛉は大変うれしい。
またそういううれしさは例によって、
ほんの一行、二行しか書いていません。
「ことども例のごとし」と素っ気ないのです。
蜻蛉は何を考えるかといいますと、
(ああ、この子が一人前になってしまったら、
いよいよこれで兼家と最後になるんだわ)
実際、元服の儀式が済むと兼家は来なくなります。
そうして十一月が暮れて十二月の七日の昼間、
兼家がちょっと寄って来ます。
「もうこのごろは忙しくてね」
蜻蛉はぷんとして物も言いません。
それを見て兼家はそそくさと帰って行きます。
~~~
・年が明けて作者は三十六才。
兼家、四十三才。
これまで元旦には必ず来ていたので、
来ると思っていましたら、午後門の前を素通りし、
二、三日来ません。
一月四日の午後も兼家の行列は素通りしてしまいます。
蜻蛉は誇りも自尊心も粉々になってしまいます。
これがすぐに気を取りなおせる女、
少しちゃらんぽらんの復元力の強い女でしたらよいのですが、
すべて真面目に受け止める彼女にとって、
取り返しのつかない打撃であったでしょう。
車の音がする度、胸がつぶれそうです。
さすがの兼家も度々の素通りに気がとがめて手紙を寄こしました。
「私の横着のせいで小まめに行けず悪いと思っているよ。
忙しくてねえ。今夜にでも寄ろうと思うがどうだろう。ああ、怖、怖」
兼家は返事もしないのに平気な顔でやって来ます。
あっけらかんとして冗談ばかり言います。
蜻蛉はこらえていたうっぷんをぶちまけますが、
兼家は寝たふりをし、翌朝は物も言わず帰って行きました。
その後、そんなことも忘れたように、
また仕立物を持って来ます。
蜻蛉はそれも突っ返します。
そのくせ連絡が途絶えると「涙の浮かぬ時なし」
などと書いています。
~~~
・去年の暮れに友達に「呉竹が欲しい」と言いましたら、
「差し上げましょう」という約束で今日、持って来ました。
「どこへ植えましょう?」と聞かれて、
「どうせ私は長くないんだから、そんなもの植えなくたっていいわ」
友人が、
「まあ、そうおっしゃいますな」と言って植えさせました。
蜻蛉は何を考えたかといいますと、
(この呉竹が伸びたら、人々がこの竹を見て、
私のようにはかない運命の者がここに住んでいた跡だなあ、
と見てくれるでしょう)
などと涙を流します。
この自己憐憫というのは大変甘いもので、
女の人は大好きです。
蜻蛉もこの年まではまだ兼家に期待する心があって、
その裏返しで自己憐憫の涙を流します。
もっと進んで期待しなくなったら甘さは無くなるはずです。
この時はまだ冷静に自分自身の運命に直面していません。
まだもっと先がありそうな、
ひょっとして兼家が思い直して自分を愛してくれるかもしれない、
という気持ちがあります。
三十六才のあやふやな気持ちです。
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(5 了)