「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、早蕨 ②

2024年05月23日 08時18分49秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・宇治では、
京へ移転する準備で、
湧き立っていた。

美しい女房や女童を、
新しく召し抱えて、
みんないそいそしている。

中の君自身は、
物思わしい日々を送っていた。

この山荘を捨てて、
荒れるに任せるのも心細い。

父君、姉君の思い出の残る邸を、
去りたくはない、
といって強情を張って、
ここに籠るのも、
かたくななようだし、
中の君は思いあぐむ。

匂宮が、

「そんな不便な所にいては、
私たちの縁の糸も切れてしまう。
ぜひこちらへ」

と説得されるのも尤もと思われる。

移転の予定は二月はじめ。

その日が近づくにつれ、
山里の春の気配も著くなり、
中の君は、
山の霞を見捨てて去るのも、
心残りであった。

そのうちにも日は経って、
喪も明けた。

姉妹の喪は三ヶ月なので、
はや喪服を脱がねばならない。

薫からは移転のための車、
前駆の人々などがさし向けられた。

薫の配慮は細やかで、
美しい衣装も贈られてきた。

老女房たちは、
薫の実質的な気配りを、
ありがたく思い、
若い女房たちは、
もうこれからは薫を気安く、
見られなくなるのを、
淋しく思う。

その薫は、
移転予定の日の前日、
朝早いうちに来た。

中の君は、
気分がふさいでいるので、
薫に挨拶するのが心が重かったが、
女房たちに進められて、
薫に会った。

しばらくぶりに見る薫は、
目を見張るような美青年に見える。

中の君は、
姉君のことを思い出し、
しみじみと薫を見る。

薫は、

「お越しになる所の近くに、
私も近いうち移ることに、
なっています。
ごく近所ですから、
お気兼ねなくお声をかけて下さい」

とやさしく言う。

「でもただいまのわたくしは、
この家を去ることが悲しいばかりで、
京の家のことなど、
考えられもしないのです。
ご近所などとおっしゃると、
わたくしも思い乱れてしまって、
お返事も申し上げられません」

とぎれとぎれに言う、
物悲しそうな中の君が、
大君によく似ているのも、
薫の心を騒がせる。

移転の実際的な支度は、
薫が指図をする。

山荘の留守番としては、
かの髭の多い宿直人の男が、
残ることになっているので、
薫は近くの自分の荘園の者たちに、
いいつけて、
暮らし向きのことまで、
取り計らってやる。

老女房の弁は、

「こんな年寄りが、
京へお供しますのも」

と尼姿にかたちを変え、
宇治に残るという。

薫は弁に言う。

「私はこれからもここへは、
時々来るつもりだ。
誰もいなくては心細いが、
弁がいてくれると嬉しい」

大君とのあれこれを、
弁が心砕いてくれたことなど、
思い出して涙が出る。

年はとっているが、
尼そぎにした髪も、
昔はさぞ美しかったろうと、
思われる名残りもあり、
さすがに品がよかった。

大君に後れるよりは、
宇治川に身を投げて死にたかった、
と泣く弁を慰めて、
薫はわが悲しみもいつ果てるのか、
と呆然とした。

その夜は山荘に泊りたかったが、
もはや中の君が女あるじとなった邸に、
泊まるのは遠慮すべきであった。

薫は日の暮れた道を、
京へ帰った。






          


(次回へ)

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