「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

7、早蕨 ③

2024年05月24日 07時55分03秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・いよいよ出立の日。

邸内の掃除も済ませ、
車が縁に寄せられる。

匂宮ご自身で、
お迎えにいらっしゃりたい、
ところだがそれでは、
事が大げさになってしまう。

世間体の手前、
内密にということで、
ご自身は京にとどまられて、
待っていられるところ。

中の君は、
この身はどこへ運ばれるのか、
と心もそぞろに車に乗った。

しかし女房たちは、
はしゃいでいる。

ひたすら姉君の死を悲しみ、
尼姿になり宇治にとどまる、
弁のおもとがなつかしい。

中の君は邸を去る前、
弁のおもとに、

「もしかしたら、
わたくしはまたここへ、
帰ってくるかもしれない。
ここに一人残る弁が気がかり・・・
時々は京へも出て、
お顔を見せて」

というと、
弁は泣いて中の君の、
膝にとりすがるのであった。

そんなことを思いつつ、
車に揺られる中の君は、
京へ向かうというのに、
一向気が晴れない。

京への道は、
遙けくも険しかった。

宮はこんな山路を、
通って来て下さったのだ、
おいでの日が途絶えると、
薄情なお方とお恨みしていたが、
なるほどこの山路では、
と世間知らずの中の君も、
少しは理解できる。

車の窓から七日の月が見える。

この身はどうなるのか、
中の君は不安をもてあます。

やがて宵過ぎるころ、
車は二條院に着く。

見たこともないような、
まばゆい御殿。

幾重にも棟が重なり、
きらきらしい建物の中へ、
車は引き入れられた。

匂宮は待ちかねて、
縁まで出ていられた。

車が寄せられるや、
宮はご自身で中の君を、
抱き上げておおろしになる。

あたりは明るい灯、
贅をこらした調度の数々、
何よりも美しいのは宮だった。

薫はほど近い三條の、
建てつつある新居にいて、
宇治へやった前駆の者たちが、
帰って報告するのを聞いた。

一行は無事邸に着き、
宮が大切に中の君を迎えられた、
さまなども聞いた。

(よかった)

と嬉しく思いつつ、
妖しいざわめきが心に湧き、
われながら未練がましいと思う。

大君を失い、
いままた中の君も、
手の届かぬところへ去った。

薫はむなしい淋しさが、
胸にひろがる。

「なに?
匂宮が愛人を二條院に、
迎え取ったというのか」

夕霧右大臣は、
不快な衝撃を隠せない。

(怪しからぬなされよう。
こちらの六の君との婚儀を、
すすめている最中だというのに)

婚儀前の姫君の裳着の式を、
すすめられていた。

それを延期することは、
出来なかった。

六の君の裳着式は、
二月二十日過ぎ。

宮はどうやら、
六の君との結婚を、
避けていられるらしいと、
夕霧右大臣は思い、

(それならいっそ、
薫と結婚させようか。
親戚同士でぱっとしないが、
薫はすぐれた青年だから、
よその家の婿に取られるのも、
面白くない。
尤も薫は、
思いをかけた女に死なれて、
気を落としていると聞くが・・・)

そんな思惑で、
人を介して薫の意向を、
探らせてきると、
いまはそんな気になれない、
というそっけない返事。

(なんだ、薫まで、
私の申し出る縁談に、
気のりせずとは怪しからぬ)

夕霧は腹が立つが、
薫には一目おいているので、
高圧的に、
説得することもできない。





          


(次回へ)

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