「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、浮舟 ②

2024年06月28日 08時06分54秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・年が明けた

正月を過ぎたころ、
匂宮が二條院にお渡りになる

二つになられた若宮のお相手を、
なさって、
可愛がっていられる昼過ぎ、
女童が手紙を携えて走ってきて、
中の君に捧げる

「どこからだね」

宮は仰せられる

「宇治から大輔のおとどに、
と持ってきましたけれど、
どなたにお渡しすればいいのか、
困って、いつものように、
御方さまがご覧になると思って、
受け取りました」

女童がせかせかいう

「それじゃ私も見よう」

宮が取り寄せられる

中の君ははらはらした

宇治からの便りとあれば、
浮舟のかもしれないと思い、

「手紙は大輔に来たのでしょう?
大輔のところへ持っておゆき」

宮は、
もしやこれは、
薫がよこした手紙ではなかろうか、
宇治からというのも、
それらしいと気を廻されて、
手紙を取り上げられる

「見てもいいか?」

「いやです、そんな、
女同士でやり取りする、
内輪の手紙なんか、
ご覧のなりたいの?」

中の君は動じない

「女同士の手紙って、
どんなのだろう」

宮は開けて見られる

手紙の端に、

「この卯槌も、
若宮にさしあげて下さいませ
不出来なものですが」

とある

筆跡は宮のお目覚えのないもの

(誰だろう?)

もう一通の手紙を見られると、

「あけましておめでとうございます
慶び多い新年をお迎えなされた、
ことと存じます
私どもはまことに結構なお住居で、
感謝申し上げておりますが、
それでもふさわしいお扱いとは、
申せませぬ
いつも物思いに、
ふけっていらっしゃるよりは、
時々はそちらへお伺いなすって、
お気晴らしなさいませ、
とおすすめするのですが、
心に沁みて怖ろしいことと、
思い込んでいられることが、
ありまして参上するのも、
気の進まぬようでございます
若宮に卯槌をさしあげます
宮さまのおいでにならぬ時に、
お目にかけて下さいませ」

とある

正月の挨拶というのに、
物思いふける、だの、
心に沁みて怖ろしい、だの、
縁起の悪い言葉が書かれてある

宮はくり返し読まれて、

(誰からだろう?)

と思われるがわからない

ついに中の君に、

「早く言いなさい、
これは誰からの手紙なのか」

「昔、宇治の山荘に、
仕えていました女房の娘が、
このごろ事情があって、
宇治にいると聞いています
それですわ」

中の君は答えたが、
宮は信じていられない

殊に宮が、
ご関心をお持ちになったのは、
心に沁みて怖ろしいことがあった、
というくだり

こういう時の宮の勘はお鋭い

(そうか
なるほど・・・
あの時の女だな)

卯槌は風流に作られていて、
いかにも手間暇かけて、
仕上げた細工に見えた

別に、
松の二股の枝に、
藪柑子の造り物がつけてあり、
それに添えた歌があった

<まだふりぬものにはあれど
君がためふかき心に
まつと知らなむ>

(まだ年古りぬ松ですが、
若君のため千代のお栄えを、
お待ちするわたくしの、
深い心をお汲み取り下さいまし)

宮がずっと思いをかけていらした、
ひとの歌だと思われるせいか、
お目が止るのであった

「お返事してやりなさい
お隠しになるような手紙でも、
なさそうなのに、
なぜそうご機嫌が悪い?
退散するほかなさそうだ」

とお立ちになった

中の君は女房の少将相手に、

「気の毒なことになってしまった
あの子の手紙を宮に、
見られるなんて
小さい子が受け取ったのを、
女房たちはどうして、
気付かなかったの?」

「存じておりましたら、
なんでこちらへ参上させますものか
だいたい、あの子は考えのない、
出しゃばりなんでございます」

その女童というのは、
ある人が奉公にさしあげた子で、
顔立ちが愛くるしいので、
宮も目にかけていらっしゃる

宮は自分のお部屋に戻られて、
いろいろ考えられる

(どうも変だ
この数年、
薫が宇治へ通っている、
というのは聞いた
いくら恋しい大君ゆかりの地、
だといっても、
よくそんな所で独り寝するものだ、
と思っていたがなるほど、
女を隠し据えていたのか)

宮は思い当たられて、
大内記をお召しになる

大内記は文筆にたずさわる、
役所の役人であるところから、
宮は学問や漢詩文の、
相談役としていられる

この男は、
薫に縁故のある者だった

薫が親しく使う家司の、
娘婿なのを思い出された






          


(次回へ)

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