「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、東屋 ⑦

2024年06月18日 07時37分32秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・浮舟の母君、北の方は、
年はとっているけれど、
たしなみあるさまで、
綺麗に身を飾っている。

ひどく太っているところが、
いかにも「常陸殿」と呼ばれそうな、
田舎受領の夫人という感じ。

「亡き八の宮さまが、
娘を無情にお見捨てなさいましたので、
娘は人並みに扱っていただけず、
世間に軽んじられるのだと、
思っておりましたが、
今日、お目にかかり、
お話できましたので、
昔の辛さも忘れる心地で、
ございます」

北の方は長年の、
身の上話をした。

陸奥や常陸での苦労、
語りあう人もなかった、
田舎暮らしのあれこれ・・・

「自宅には子供たちが、
出来の悪いお粗末な子供たちで、
ございます。
やはり心配で落ち着きませんので、
帰ります。
この娘のことは、
あなたさまのお力で、
よき縁を結んでやって下さいまし」

北の方は頼み込む。

北の方のいう通り、
いい結婚をしてほしい、
中の君は思い、
浮舟をながめた。

娘は顔立ちも気だても憎めない、
可愛い感じである。

何かものを言う時、
亡き大君に、
不思議なほど似ている。

折も折、
薫の来訪を告げる声があった。

北の方は、
好機に胸をはずませた。

かしましいばかりの、
先払いの声がひびく。

人々が待っているところへ、
貴公子が歩み入ってくる。

(まあ、なんてすばらしい!)

北の方は見とれる。

御簾のうちから、
のぞき見しているのだから、
こちらの姿は見えはしまいけれど、
何となく気恥ずかしくなる。

(この方のご様子、
匂宮さまより優る、
といってもいいんじゃないかしら)

薫は内裏から直接、
二條院へ来たらしく、
前駆の者も大勢いる様子。

「昨夜、
后の宮(明石中宮)のお具合が、
悪いよし承って参内しましたら、
宮がお側にいられません。
お淋しかろうと、
宮のお代わりになって、
今まで侍っておりました」

薫は宮が内裏に泊られたのを、
見届けて、
中の君を訪ねて来たのである。

中の君は浮舟のことを、
薫にほのめかした。

「例の、亡き人によく似たひと、
実は内々でこちらに来ております」

薫は逢ってみたいと思ったが、
急にその気になれない。

薫は例のように、
物思わし気な口ぶりで、
中の君に訴える。

そうこうするうち、
日暮れてくるのも中の君は、
わずらわしく、
北の方もどう思うだろうと、

「今宵は早くお帰りなさいまし」

となだめて、
薫を帰らせた。

「それではそのお客に、
おっしゃって下さい。
私の願いは長年のこと、
突然の思いつきだと、
軽くあしらわないで欲しい、と」

薫はそう頼んで帰っていった。

(まあ、なんとご立派な)

かいま見ていた北の方は、
以前に乳母がどうか、
薫と結婚させてはどうかと、
いっていたことを自分は、
とんでもないとしりぞけてきたけれど。

「いかが?
思い切ってそうなされば」

中の君は北の方に、
薫の意向を告げた。

「薫さまは、
いったん思いこまれたら、
軽々しく変えたりなさらぬ方、
あの方もいまは内親王さまが、
ご降嫁になったばかりという、
ご境遇。
何かと煩わしいお気持ちにも、
おなりでしょうけれど、
薫さまに賭けて、
ご運を試されたらどうでしょう」

「そうでございますね」

北の方は深くうなずいた。






          


(次回へ)

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