「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、東屋 ⑥

2024年06月17日 08時23分02秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・北の方は二、三日ばかり滞在し、
心のどかに邸内の暮らしぶりを見た。

匂宮が西の対においでになる。

北の方は拝見したくて、
物のすき間からのぞいてみると、
宮はまことに美しい男でいられた。

おそばには四位五位の連中が控えて、
北の方は彼らと夫を、
比較せずにはいられない。

自分が頼もしいと思う夫、
常陸介よりも容貌人品、
ずっとすぐれている。

また自分にとっては継子の、
先妻腹の息子は、
式部の丞で蔵人も兼ねているが、
息子は匂宮のお側にも近寄れない。

北の方は宮から、
視線が離せないでいる。

宮は若君を抱いてあやしていられる。

中の君と匂宮、
お二人は美しさといい、
気品といい、
お似合いのご夫婦だった。

それにしても、
亡き八の宮がひっそりと、
お暮しであったことを思い出すと、
同じ宮様と申し上げても、
大変な違い、
と北の方は匂宮の権勢を、
思わずにはいられない。

あたりのもの、
雰囲気すべてが気高くゆかしい。

北の方は、
わが家の財力を誇り、
驕った暮らしぶりをしている、
つもりであったけれど、
やはり身分低い、
ただびとのすることは、
限界があると思い知らされた。

(やっぱり血筋や品は、
争えない。
浮舟もそれでいえば、
こんな高貴な方のお側に置いても、
負けは取らないだろう。
父親が違う妹娘たちは、
同じわが腹を痛めた子ながら、
浮舟とはまるで品が違う)

北の方は一晩中、
これらのことを考え続けた。

宮は日が高くなってから、
お起きになる。

「后の宮(母宮、明石中宮)が、
お具合がよろしくないので、
参内しなくては」

とご装束をお着けになる。

今朝から参上して、
侍所で休んでいた人々が、
西の対へ参る。

その中に、
小ぎれいに身じまいしているが、
どうということない平凡な、
顔の男がいる。

宮の御前では目立たぬ存在である。

中の君付きの女房たちは、
御簾のうちから彼を見て、

「あれよ、あの人」

「あの人がどうかして?」

「あれが常陸介の婿の少将よ。
はじめは浮舟の君と、
婚約していたのに、
介の実の娘と結婚して、
大事にしてもらいたいといって、
まだ年端もいかぬ小娘のほうを、
もらったんですって」

「ほんと?
でも浮舟さまの方は、
そんなことちっとも言わない」

「あの少将の方から、
噂が流れてくるようです」

などと北の方が聞くとも知らず、
話している。

北の方は胸がどきどきして、
少将をよき婿がねと考えた、
自分の心も悔しく、
やっぱりたいした人ではなかった、
といよいよ少将を軽んずる、
気持ちになった。

匂宮は出ていかれた。

北の方は、
宮のお姿が消えると、
淋しさにぼ~っとしてしまった。

中の君の前へ出て、
言葉を尽くして宮を讃美する。

北の方はしみじみといった。

「お母さまが亡くなられたときは、
あなたさまはほんのお小さいころ、
お仕えする人々も故宮も、
お嘆きになったのですが、
こんなすばらしいご幸運に、
恵まれていらしたのですねえ。
母君と早くお別れになったこと、
宇治の山里で淋しくお育ちに、
なったこと、
そんなご不幸は、
みんなこのご幸運に、
めぐり合われるための、
ものだったのでございましょう。
それにつけても、
大君さまがお亡くなりになった、
ことは飽かぬ口惜しさでしょう・・・」

思わず涙をこぼした。

中の君も涙ぐんだ。

「薫の君さまは、
亡くなられた大君のお身代わりに、
私どもの娘を引き取って、
世話したいと、
弁の尼君におっしゃったそうで、
ございます。
それではと、
すぐお言葉に従えることでも、
ございませんけれど・・・
こんなこと、
私が申し上げるのは、
恐れ多いことですけれど」

北の方は、
浮舟の身のふり方に、
悩んでいることなど語るのであった。

それにこちらの女房たちも、
知っていることだしと、
少将のこともそれとなく、
打ち明けた。

少将が浮舟を軽んじて、
破談にしたことなど話した。






          



(次回へ)

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