・ミドちゃんがあわただしく飛んできて、
うわずった声で、
<おかあさまが、お炬燵(こた)の中に蛙が飛んでるって、
おっしゃってますわ。いやですう、あたくし、
蛙、苦手なんですう・・・>
うちの庭はごく狭いけれど、
小鳥も来、虫もいる。
以前は家の中に蛇が入ったこともある。
べつに無頼の蛇ではなく、近所のよしみで、
表敬訪問して下さったらしいが、
厚意、謝するに余りあれど、
こちとらとしては恐縮し、
鄭重に、庭へまたお帰りい頂いた。
しかし蛙も困るなあ。
千客万来は嬉しいけれども、
蛙のおもてなしというマニュアルはわが家にはない。
老母は炬燵に膝を入れ、憮然としていた。
炬燵はテーブル代わりなので、
年中据えてある。
私はおっかなびっくりで、
ふとんを持ち上げのぞきながら、
<どこにいるの、蛙って>
<蛙がとんでる、いうのにわからへんの?>
<だからどこに>
<お炬燵暖う(ぬくう)なってないことを、
“蛙がとんでる”いうの。
エエ年してそんなことも知らんの?>
知らなんだ。
確かにその日は梅雨寒で、
炬燵が恋しいのはわかるけど。
調べるとコードのソケットが外れていたのだった。
大阪で蛙のシャレといえば、“冬の蛙”
即答を求められた時なぞに、
<ま、冬の蛙いうとこでんなあ>
と笑っていなす。
冬の蛙、寒蛙。
つまり“考えときまっさ”という、
滑脱な逃げ口上のシャレだが、
しかし、“蛙がとんでる”というのは・・・
<すごい表現でございますわ>
感心するミドちゃん。
そもそも老母の口から何が飛び出すやら知れない。
先日は入浴介助の方が来られたとき、
母は昼寝を中断されて不満だったのか、
入りたくない、とごねだした。
<せっかく来て下さいましたのに>
とミド嬢は口を添え、私も、
<そうよ、待ってはるから、早よ、いきましょっ!>
とせかした。
これが悪かったらしい。
老母は憤然として、
<あたしゃ、召使いの都合に合わせる気は、ありませんよっ>
みな転倒(こけ)てしまった。
召使いなんて子供の頃読んだ『小公子』あたりには、
出てきたけどねえ。
結局は入浴したが。
機嫌のいい夕食どきを見計らい、
次の入浴予定日をメモに筆ペンで大書して、
老母に渡した。
老母は字を読むのが好きなので、
メモを提示すれば、口でいうより納得する。
しかしこのときは妙な顔をしている。
ミド嬢が叫んだ。
<おかあさま、紙が反対ですわ>
老母も笑いだし、
<日本も進歩したもんや、
世の中くらくら変わるから、
字もこう変わったんか、
ムカシ人間は読めんようになった、
と思てたら逆さまかいな>
賢いのか、アホなのか、わからぬ人だ。
(次回へ)