むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

41、蛙

2023年03月28日 08時51分49秒 | 「なにわの夕なぎ」










・ミドちゃんがあわただしく飛んできて、
うわずった声で、

<おかあさまが、お炬燵(こた)の中に蛙が飛んでるって、
おっしゃってますわ。いやですう、あたくし、
蛙、苦手なんですう・・・>

うちの庭はごく狭いけれど、
小鳥も来、虫もいる。
以前は家の中に蛇が入ったこともある。

べつに無頼の蛇ではなく、近所のよしみで、
表敬訪問して下さったらしいが、
厚意、謝するに余りあれど、
こちとらとしては恐縮し、
鄭重に、庭へまたお帰りい頂いた。

しかし蛙も困るなあ。
千客万来は嬉しいけれども、
蛙のおもてなしというマニュアルはわが家にはない。

老母は炬燵に膝を入れ、憮然としていた。
炬燵はテーブル代わりなので、
年中据えてある。

私はおっかなびっくりで、
ふとんを持ち上げのぞきながら、

<どこにいるの、蛙って>

<蛙がとんでる、いうのにわからへんの?>

<だからどこに>

<お炬燵暖う(ぬくう)なってないことを、
“蛙がとんでる”いうの。
エエ年してそんなことも知らんの?>

知らなんだ。

確かにその日は梅雨寒で、
炬燵が恋しいのはわかるけど。

調べるとコードのソケットが外れていたのだった。

大阪で蛙のシャレといえば、“冬の蛙”
即答を求められた時なぞに、

<ま、冬の蛙いうとこでんなあ>

と笑っていなす。

冬の蛙、寒蛙。

つまり“考えときまっさ”という、
滑脱な逃げ口上のシャレだが、
しかし、“蛙がとんでる”というのは・・・

<すごい表現でございますわ>

感心するミドちゃん。

そもそも老母の口から何が飛び出すやら知れない。

先日は入浴介助の方が来られたとき、
母は昼寝を中断されて不満だったのか、
入りたくない、とごねだした。

<せっかく来て下さいましたのに>

とミド嬢は口を添え、私も、

<そうよ、待ってはるから、早よ、いきましょっ!>

とせかした。
これが悪かったらしい。

老母は憤然として、

<あたしゃ、召使いの都合に合わせる気は、ありませんよっ>

みな転倒(こけ)てしまった。

召使いなんて子供の頃読んだ『小公子』あたりには、
出てきたけどねえ。

結局は入浴したが。

機嫌のいい夕食どきを見計らい、
次の入浴予定日をメモに筆ペンで大書して、
老母に渡した。

老母は字を読むのが好きなので、
メモを提示すれば、口でいうより納得する。

しかしこのときは妙な顔をしている。
ミド嬢が叫んだ。

<おかあさま、紙が反対ですわ>

老母も笑いだし、

<日本も進歩したもんや、
世の中くらくら変わるから、
字もこう変わったんか、
ムカシ人間は読めんようになった、
と思てたら逆さまかいな>

賢いのか、アホなのか、わからぬ人だ。






          


(次回へ)

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 40、さくら咲く国 | トップ | 42、夏休み »
最新の画像もっと見る

「なにわの夕なぎ」」カテゴリの最新記事