・昔の大人、というものはずいぶん、
理不尽だと、子供心に思った。
子供たちが何か粗相をしでかすと、
(茶碗を割るとか、墨を畳にこぼすとか)
たちまち目から火が出るほど叱られる。
もう生きてるセイがなくなるほど、
こっぴどく、どやされる。
それなのに、同じことを自分自身がやると、
<ほい、失敗(しも)た>と、
軽く言い捨てるのみ。
時には自分の失敗を自分で笑ったりしている。
不公平ではないかと子供は不満に堪えないが、
子供はボキャブラリイが少ない上に、
表現力が育っていないから、
憤懣を訴えるすべはない。
そうやって大人の理不尽に堪えるのも、
大切な社会勉強なのである。
大人はまた、前言をひるがえす名人であり、
白を黒といいくるめる奸智に長けている。
子供がその矛盾を衝くと、
<やかましい。
子供が生意気いうなっ。
オマエは大体がなまいきじゃっ。
ガキのくせに出しゃばるなっ>
全く見当はずれの怒りかた。
声のボリュームをあげることで、
論理的欠陥を埋め合わせしようとする。
女親とて同じ。
上のセリフが女言葉に置き換えられるだけ。
よって子供は、
世の不条理を責めるだけでは、
事態の解決にならないことを学ぶのである。
しかし昔の大人は無茶なだけではない。
子供が本当に悪いことをした、とする。
子供は自分でも悪かったと思う。
大人に大きい雷を落とされ、
ごめんなさいを泣きながらいう。
それでも大人は許してくれない。
<そんなことしてると、今にみい、
巡査はん、くくりに来はるぞ。
手ぇ後ろへ回るようになるんじゃっ>
子供は泣いて謝るのに、
親はまだ猛々しく言いつのる。
そこへ必ず、おばあちゃんか、
家に年よりのいないところは、
隣のおばちゃんが現れ、
<もうしまへん。
もうしまへんよって、かんにんしとくなはれ>
子供の言うべきセリフを代弁してくれるばかりか、
昔の女たちが着物に付けている前垂れに、
子供を抱きとってくれる。
おばあちゃん、おばちゃんの腰は暖かいのである。
子供が涙で顔を汚し、
ヒックヒックとしゃくりあげている背中を、
袖でかばってくれる。
<もうしまへん、
ボク賢いよって、もうしまへん、な?>
おばあちゃん、おばちゃんに言わせて、
子供は泣きながら、コックリうなずいていればいい。
こういう<時の氏神>が、
昔の家庭には必ず、いた。
それは女だけではなく、
おじいちゃん、隣のおじちゃんも、
買って出てくれた。
だから子供は叱られてもイキがつけた。
追いつめられない安堵とともに、
自分でも<もう、悪いことはするまいぞ>
と自分に誓う気になるのであった。
こういう思い出は、
私にあってはなぜか夏休みのことなのである。
(次回へ)