むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

42、夏休み

2023年03月29日 08時57分46秒 | 「なにわの夕なぎ」










・昔の大人、というものはずいぶん、
理不尽だと、子供心に思った。

子供たちが何か粗相をしでかすと、
(茶碗を割るとか、墨を畳にこぼすとか)
たちまち目から火が出るほど叱られる。

もう生きてるセイがなくなるほど、
こっぴどく、どやされる。

それなのに、同じことを自分自身がやると、
<ほい、失敗(しも)た>と、
軽く言い捨てるのみ。

時には自分の失敗を自分で笑ったりしている。

不公平ではないかと子供は不満に堪えないが、
子供はボキャブラリイが少ない上に、
表現力が育っていないから、
憤懣を訴えるすべはない。

そうやって大人の理不尽に堪えるのも、
大切な社会勉強なのである。

大人はまた、前言をひるがえす名人であり、
白を黒といいくるめる奸智に長けている。

子供がその矛盾を衝くと、

<やかましい。
子供が生意気いうなっ。
オマエは大体がなまいきじゃっ。
ガキのくせに出しゃばるなっ>

全く見当はずれの怒りかた。
声のボリュームをあげることで、
論理的欠陥を埋め合わせしようとする。

女親とて同じ。
上のセリフが女言葉に置き換えられるだけ。

よって子供は、
世の不条理を責めるだけでは、
事態の解決にならないことを学ぶのである。

しかし昔の大人は無茶なだけではない。
子供が本当に悪いことをした、とする。

子供は自分でも悪かったと思う。

大人に大きい雷を落とされ、
ごめんなさいを泣きながらいう。

それでも大人は許してくれない。

<そんなことしてると、今にみい、
巡査はん、くくりに来はるぞ。
手ぇ後ろへ回るようになるんじゃっ>

子供は泣いて謝るのに、
親はまだ猛々しく言いつのる。

そこへ必ず、おばあちゃんか、
家に年よりのいないところは、
隣のおばちゃんが現れ、

<もうしまへん。
もうしまへんよって、かんにんしとくなはれ>

子供の言うべきセリフを代弁してくれるばかりか、
昔の女たちが着物に付けている前垂れに、
子供を抱きとってくれる。

おばあちゃん、おばちゃんの腰は暖かいのである。

子供が涙で顔を汚し、
ヒックヒックとしゃくりあげている背中を、
袖でかばってくれる。

<もうしまへん、
ボク賢いよって、もうしまへん、な?>

おばあちゃん、おばちゃんに言わせて、
子供は泣きながら、コックリうなずいていればいい。

こういう<時の氏神>が、
昔の家庭には必ず、いた。

それは女だけではなく、
おじいちゃん、隣のおじちゃんも、
買って出てくれた。

だから子供は叱られてもイキがつけた。

追いつめられない安堵とともに、
自分でも<もう、悪いことはするまいぞ>
と自分に誓う気になるのであった。

こういう思い出は、
私にあってはなぜか夏休みのことなのである。






          


(次回へ)

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