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・私の前の席も、
老夫婦の二人連れである
夫のほうは暑くなったとみえ、
立ち上がってその席でズボンを脱ぎ、
ステテコでトイレへ行ったりし、
スチュワーデスに注意されている
全くもう、
私も老人じゃあるけれど、
老人なりに自分の置かれている位置に、
いつも注意を払い、
まわりに目をくばる準備はしている
そういうことの出来ない老人は、
家の外へ出るべきではないだろう
私の隣の老紳士は、
きちんとネクタイをしめ、
清潔な感じがあって、
その点からも私を、
不快がらせることはなく、
食事マナーも上出来
紳士は若いころ、
西洋教育を受けたのかもしれない
いよいよハワイに着いた
機内は騒然とする
老人のステテコどころではなく、
婆たちは冬のセーターを脱いで、
アッパッパに着替えだした
私はコートをたたんで、
手荷物にしまい、
サングラスを出せばおしまい
下には薄いカーディガンに、
木綿のシャツドレスといういでたち
「ハワイ旅行を楽しくするために」
という本を読んできたので、
そのへんのことをおもんばかって、
身じまいをした
座席でいまごろ、
シミーズ姿になって着替えている、
ぶざまな婆さんは、
旅行の手引書など、
のぞいたこともないのであろうか
老害に加え、
あれは無知害という、
公害の一種であろう
税関では長くかかった
何百人もの人が一度に押し寄せ、
私はここでかの好もしい老紳士と、
離れ離れになってしまう
税関の役人は女であるが幸い、
日本語がわかって、
英語で答えることは、
いらなかった
そうして外へ出れば、
真っ青な空と椰子の木、
といいたいが、
なんとハワイの空は、
どんよりと鉛色だったのである
日本の梅雨空のごとく、
雲が厚くたれこめ、
空には風がうなっており、
椰子の木は吹きたてられて、
裂けてちぎれんばかり
雨が降り始めたので、
観光バスの中でレイを渡してもらう
ホテルへ入るまでに先に観光して、
という手筈であったらしいが、
雨はますますひどくなってきた
グループごとのバスであるが、
見回すと例の紳士が、
ななめ後ろの席にいて、
なんだかほっとする
紳士は、
白いしぶきに包まれた、
窓の外を見て、
呆然と、
「おお、
これはまるで日本の台風やなあ
えらいとこへ来てしもうたねえ・・・」
とひとり言をいっていた
この紳士、
ひとり言のクセがあるらしい
しかしそのひとり言は、
誰かに話しかけるような口調に、
特徴がある
ムームーを着た女ガイドが、
「こんなひどいお天気、
私、生まれてはじめてです
ハワイでほんのときたま、
雨が降ることがありますが、
こんな嵐ははじめてです」
とびっくりしていた
そうして色の黒い、
大兵肥満の現地人運転手と、
口早の英語で何かいった
バスはどこがどうなっているのやら、
外も見えぬうちに、
やみくもに走った
いや、運転手とガイドとしては、
決められたコース通り走り、
説明しているのであろうけど、
何しろ、観光地点へ来ても、
今やどしゃ降りの雨の中、
いちいち下りるわけにもいかない
とうとう、
ガイドの日系女性はあきらめて、
バスをホテルにつけた
ワイキキに近い、
大きなリゾートホテルである
ここでグループごとに集められて、
三時間あまり噛んで含めるような、
説明がある
その部屋の窓からは、
ワイキキの浜がよく見えたが、
嵐の真っ最中のいま、
人っ子一人いず、
椰子の木は弓なりにしなって、
葉は逆髪のように、
吹きたてられていた
「せっかくのハワイ第一日めに、
とんだお天気になりましたが・・・」
と旅行社の駐在員は、
申し訳なさそうにいったが、
こればかりは旅行社の罪ではないから、
仕方ないだろう
私はただただ、
物珍しさで窓外の景色が、
面白くてたまらなかった
青い空や海、
白い砂浜に、
色とりどりの水着を着て、
たわむれる人々、
というのは絵でも写真でも、
見つくしている
しかし見よ、
鉛色の空、
灰色の海にまき返るすさまじい波、
人っ子一人いない砂浜に、
板だか空き缶だかが、
吹き飛ばされていくおそろしさ、
と思うと、
風はいつのまにか、
再び雨をともなって、
窓ガラスにしぶきを叩きつけてくる
こんなワイキキの浜の、
絵ハガキなんて、
見たこともない
絵に描いたような、
観光地の人工の小道具が、
取っ払われて、
大海の真っただ中に浮かぶ小さい島は、
いま自然の大きな力に、
ただ卑小にたよりなく、
翻弄されているのだ
海は渦巻いて、
さながら大きい波のたわしで、
この島をこすろうと、
するかのよう
私は説明も上の空で、
熱心にハワイの嵐に見入っていた
説明のあいだ、
パイナップル・ボートというのが、
昼食代わりに出される
半月形のパイナップルに、
果物を盛り合わせたもの、
例の老紳士は、
膝のあいだのステッキを撫でつつ、
「おお、
これはハワイらしゅうて、
珍しいもんやなあ、
うん?
話のタネに食べてみるか
なあ・・・」
とまた、
誰かにいうように、
ひとり言をごちつつ、
皿を引き寄せた
若い者がひとり言をいうと、
老いぼれたように見えるであろうが、
この人はかえって、
飄々とした感じが出る
私の同室の相手は、
五十七、八の中年婆さん、
中婆であった
髪をどうも染めているらしい
黒々として、
体つきのがっしりした中婆が、
私に開口いちばん、
「まあ、
なんて運の悪いことでしょうねえ
せっかくハワイへ来てまあ、
こんなお天気になるなんて、
これやったら、
ハワイへ来た値打ち、
あらへん」
とぼやきはじめた
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(次回へ)