「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

5,姥野球 ④

2025年02月17日 08時58分08秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・明治時代は「ベースボール」、
といったそうで、
それは叔母が人力車に乗って、
古代紫の袴で女学校へ通ったころの、
名称だそうで叔母は、
清水谷高女第一期生というのを、
誇りにしている

いまでもあたまはしっかりし、
記憶力も抜群で昔の話も、
よく覚えていて、

「ワタエは、
ベースボールとピンポンが好きやった
こいさんのピンポンは強い、
と評判でおましてん
優勝してブリキの筆箱もろたり、
はっさい(おてんば)やよってに、
自転車にも乗ったり、
お母はんがうるそうなかったら、
女の飛行機乗りにでも、
なってたかもしれまへん」

というような人である

この叔母の母、
つまり私の母方の祖母もはっさいな女で、
十四で嫁入りするとき、
駕籠から大阪城が焼け落ちるのが、
見えた

これが慶応四年の一月のこと、
大阪城にいた徳川慶喜将軍が、
伏見鳥羽で敗れて、
大阪城を退くとき、
放った火であったという

祖母は白無垢の花嫁衣装で、
駕籠にゆられていたが、
難波橋からこれを見て、

「うわ、
大っけなトンドや、トンドや」

と手を叩いてはしゃいで、

「ちょっと、
駕籠おろしとくなはれ、
よう見さしとくなはれ!」

と叫んだというので、

「何ちゅうはっさいな花嫁御寮やろ」

と呆れられたという話である

はっさいな血は、
私にも流れているのかもしれない

私はテレビを見るにしろ、
じめじめしたドラマよりは、
スポーツ番組が好きである

そういえば、
はっさいな気性とともに、
長生きも受けついだのかもしれない

私の母は七十で死んだが、
一門の女性に、

「えらい早死にして・・・」

と惜しまれたものである

母ははっさいな女ではなかった

してみると、
長生きとはっさいはセットになって、
いるのかもしれない

せいぜい長生きすべく、
これからもはっさいを心がけなくては

夜、
食卓をテレビの前に据えて、
ナイターを見始めると、
次男がやってきた

「ま、いっしょにテレビ見よか、
思てな」

「別にここへ来んでも、
ウチで子供らと見たらええのに」

「来たらあかんのかいな」

「来たもんはしょうがない
上がんなさい」

次男が来ると、
なぜかケンカ口調になってしまう

この次男は豊中に、
相応以上の立派な邸宅を、
親の遺産とローンで建てたくせに、
私のマンションをうらやましがっている

そうして、
自分のうちに広い居間があるのに、
ウチへ来ると満足げに見回し、

「ここは居心地ええなあ」

と物欲しそうにいうのである

次男は何でも人のものが、
よく見えるという厄介な性質がある

そういう性質では長生きできない

「今日なあ・・・
ウチの常務いうたらなあ・・・」

はじまった

いつまでもそういうことを、
ぐちるようでは長生きできない

次男は、
自分で冷蔵庫のビールを取り出し、
私の皿をつつきつつ、

「ほんま、いやらしい奴やで・・・」

試合が始まっている
次男のグチどころではないのだ

試合はゼロ行進、
小林もよく投げているが、
巨人の新浦も憎らしいくらい、
見事である

私はラインバックがごひいきなので、
四回裏で、

「マイク、がんばれ」

といったとたん、
はじめての安打が出た

でも一塁走者の掛布は、
左ひざが悪いということだから、
ダメかもしれない

そう思ったら、
ややっ!淡口がトンネルした

大エラー、
タナボタのような一点が、
阪神に入った

「うわ、やったあ!」

と思わず声が出てしまう
これだから野球はやめられない

何が、

「ウチの常務いうたらなあ」



何が、

「無意味ですわ」



何が、

「ルールに必然的根拠がなくて、
納得できな」



野球は理屈とちがう

何が起きるかわからないから、
そこが面白い

新浦が気のせいか、
がっくりきたような気がする

満員の甲子園球場が、
どよめいている

次男はテレビに視線を当てていたが、
ビールをがぶりと飲み、
テレビに怒鳴っている

「おい、そこでがんばれ、
何しとんねん、
中途半端すな」

「気の毒やけど、
今夜の巨人は冴えませんな」

と私はいってやる

巨人は再三チャンスを作っているのに、
どうしたのか攻めがまずい

ラインバックは六回表、
中畑の打球をジャンプして、
フェンスに激突しながらうまく捕った

「ようし、
ようやった、
ファインプレー」

と私は大喜びである

九回表で巨人はやっと一点、

「ようし見てろ、
阪神のアホを抑え込めえ!」

「お気の毒ね、
十安打しといてやっと一点とは」

「なにいうてんねん、
同点やないか
これからが勝負や」

「いままでに十安打しといて、
よう小林をノックアウトさせへんのやから、
あきませんな」

「何を、何を」 

と次男はカッカとしている

球場全体が熱くなって、
割れんばかりの大歓声でいっぱい

私は次男に憎まれ口を叩いたが、
阪神もあまりほめられない

この回までずっと音無しの構えで、
小林が力投しているのが、
かわいそうなくらい

これが普通なら、
どんどん巨人が点を入れているところ

だが今夜の巨人はモタモタして、
攻めがまずいので、
それで救われている

九回の裏、

「いやー、
もうよう見んわ、
私ゃ」

といいながら、
私はドキドキしてみている

巨人は角に代わって、
急に古賀が登板していて、
めまぐるしいのだ

どっちもあたまに血がのぼってる感じ、
選手も目が血走り、
ベンチも焦っているにちがいない

先頭の若菜が四球、
掛布がヒットして、
佐野が七球目、
三遊間を抜いて安打、
若菜が二塁から生還して、
この嬉しさはこたえられない






          


(次回へ)

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