「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

37、幻 ③

2024年04月05日 08時29分59秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・衣更えの季節となった。

今までは妻の仕事として、
夏の装束を紫の上が、
源氏に贈っていたが、
今年は花散里が、
衣装を新調する。

賀茂祭の日も、
源氏はつれづれである。

女房たちに、

「里下りして、
祭見物に行くがよい」

といった。

五月雨のころは、
ましてぼんやり沈んで過ごした。

十日あまりの月の明るい宵、
息子の夕霧がやってきた。

村雨が通って、
風に灯も消え、
空は暗い。

「お淋しいことでしょう」

と夕霧がいうのへ、

「一人住みというのは、
わびしいものだ。
しかし深山に入って、
仏道に入るときには、
こんな風に体を慣らしておくと、
心も澄み切っていいだろうと、
思う」

夕霧は父の傷心を、
痛々しく見守っている。

「昨日のように思われますが、
一周忌ももうすぐになりました。
法要はどのようにお考えに、
なっていられます?」

と夕霧は聞く。

「世間並みでよい。
あれがかねて発願して、
描かせておいた極楽曼荼羅など、
この折に供養することにしよう」

「お形見ともいうべき、
お子が一人もいらっしゃらないのは、
残念でございます」

「私はあれだけではない。
他の人々との間にも、
子供運は薄かった。
私の宿縁のつたなさだろう。
その分、
夕霧は子宝に恵まれたから、
家門を繁栄させてくれるだろう」

源氏はことさら、
昔ばなしはしない。

夕霧はその夜泊まった。

夏の盛り、
源氏は涼しい部屋で、
池の蓮を見ている。

露の玉は涙かと思われ、
そのままうつつなく、
日は暮れてゆく。

ひぐらしの声は華やかに、
庭の撫子の花を、
一人見たとて、
何としよう。

風の音も物淋しい秋になると、
法要の準備で、
やや気も紛れる。

(よくも今日まで、
長らえたことよ)

源氏は我ながら思う。

一周忌の命日には、
人々は精進して、
曼荼羅の供養をした。

十月の時雨は、
ひとしお気が滅入る。

紫の上よ、
夢にさえ見えぬ紫の上の魂よ。

世間は五節の舞いで、
華やかに浮きたっている。

夕霧が童殿上する、
若君二人連れて挨拶に来た。

かわいい少年たちである。

少年たちについて、
母方(雲井雁)の叔父にあたる、
青年たちも共に来た。

若々しいさわやかな青年たち。

世の中は、
悲嘆に沈む源氏を取り残して、
次の世代へと移りつつ、
あるようであった。

紫の上の死後一年、
源氏はやっとの思いで過ごし、

(いよいよ世を捨てる時が来た)

と決心した。

この世にあわれは尽きないが、
出家の準備をはじめた。

仕える者たちにも、
身分に応じて形見を分けた。

女房たちは、
それと察して年が暮れるのを、
心細く悲しく思う。

源氏は、
取りのけてあった、
昔の女人たちからの文を、
みな破らせた。

ふと紫の上の文字に視線が落ち、
思いは須磨と京に別れていた、
あのころのことに戻った。

(女々しい。
わが思いも共に煙になれ)

源氏は紫の上の手紙を、
みな焼かせた。

その煙を見つつ、
涙にくれ心はまどう。

雪が降り、
すっかり積もってしまった。

やがて心ぼそい、
大晦日がきた。

この日は、
鬼やらいの日である。

明石の中宮が、
源氏の慰めにと、
二條院に置いていかれた、
三の宮が元気に、

「鬼やらいだ。
鬼は外、福は内」

と走り回っていらっしゃる。

この愛らしいお姿を見ることも、
もうできなくなる。

この世の愛欲や煩悩から離脱し、
恩愛を断って、
あらたなる旅立ちへ向かうのだ。

旧い自分は死に、
荘厳な浄土を欣求して、
ひたすらいそしむ新しい自分が、
生まれるのだ。

紫の上との死別以来、
月日は物思いのうちに過ぎた。

わが世も今年も、
今日でいよいよ尽きる。

年が明ければ、
源氏は世を捨て、
出家する心組みである。

雪は降り積もる。

迷い多かりし源氏の生涯を、
浄めるかのごとく、
雪は降り積もる。

暗い空を舞う雪を眺める、
源氏の眼は澄んで、
おだやかに、
光があった。





(完了)


          


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