(満開だった桜が散って)
・源氏は、
つれづれなるままに、
女三の宮のもとへ出かけた。
若宮も、
女房に抱かれて共に、
六條院へおいでになる。
こちらの薫君(柏木の子)と、
一緒に走り回って、
遊んでいられる。
尼宮は経を読んでいられた。
お供えの花に、
夕日が映えて美しかったので、
源氏は、
「春の好きだった人が、
いなくなって今年は、
花を見る気もしなかったが、
花は仏の飾りのためのような、
気がします・・・
そういえば、
対の山吹は見事に咲いていますね。
花やかできれいです。
植えた人が亡くなったとも、
知らず例年より美しく、
咲いているのがあわれです」
としみじみという。
尼宮(女三の宮)は、
なにごころもないさまで、
「そうでございますか。
わたくしは日々、
勤行にいそしんで、
花が咲こうが散ろうが、
気にもとめませんで、
物思いもなく過ごしております」
と答えられる。
源氏は、
ほかにいいようもあろうに、
思いやりのないお言葉よ、
と興ざめ、味気ない思いをする。
思えば、
紫の上は、
こんなふうの、
ちょっとしたことでも、
人を傷つける言葉などは、
口にしなかった。
あの折、かの折、
時々につけて機転も利き、
才気あふれ、
それでいて温かくやさしかった心、
それからそれへと、
思い続けていると、
またしても涙があふれる。
夕暮のしっとりした時分なので、
源氏はそのまま、
明石の上の部屋を訪れた。
長らく顔出ししなくて、
不意だったから、
明石の上は驚いたが、
こころよく自然に迎え、
身のとりなしも上品である。
やっぱりすぐれた人だ、
と源氏は思うが、
心ない人を見れば、
亡き人が思いだされ、
すぐれた人を見れば、
また亡き人とくらべてしまう。
こちらでは、
源氏は昔がたりをする。
かくも悲しんでいる源氏が、
明石の上はいたわしかった。
明石の上の言葉は、
ゆきとどいて思慮深い。
まことに大人の手ごたえを、
感じさせる人である。
源氏は彼女を相手に、
話していると、
心が落ち着き違和感がない。
源氏は彼女には何を話しても、
理解してもらえそうな気がして、
昔からの死別の悲しみを、
打ち明けるのであった。
藤壺の宮、
紫の上・・・
「夫婦だったから、
あわれをおぼえるのではない。
幼いときから育て、
何十年と共に暮らし、
あまりにも共有した、
思い出が多すぎる・・・」
(このまま、
ここに泊まろうか)
と思いながら、
やはり自室へ帰った。
明石の上にも、
感慨はあったであろう。
源氏自身、
(こんなに心が寄り添っていながら、
もう夜を共に過ごす気になれないとは、
私も変ったものだ・・・)
とつくづく思った。
自室でいつものように、
念仏読経をした。
(次回へ)