むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

37、幻 ②

2024年04月04日 08時18分33秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳





(満開だった桜が散って)







・源氏は、
つれづれなるままに、
女三の宮のもとへ出かけた。

若宮も、
女房に抱かれて共に、
六條院へおいでになる。

こちらの薫君(柏木の子)と、
一緒に走り回って、
遊んでいられる。

尼宮は経を読んでいられた。

お供えの花に、
夕日が映えて美しかったので、
源氏は、

「春の好きだった人が、
いなくなって今年は、
花を見る気もしなかったが、
花は仏の飾りのためのような、
気がします・・・
そういえば、
対の山吹は見事に咲いていますね。
花やかできれいです。
植えた人が亡くなったとも、
知らず例年より美しく、
咲いているのがあわれです」

としみじみという。

尼宮(女三の宮)は、
なにごころもないさまで、

「そうでございますか。
わたくしは日々、
勤行にいそしんで、
花が咲こうが散ろうが、
気にもとめませんで、
物思いもなく過ごしております」

と答えられる。

源氏は、
ほかにいいようもあろうに、
思いやりのないお言葉よ、
と興ざめ、味気ない思いをする。

思えば、
紫の上は、
こんなふうの、
ちょっとしたことでも、
人を傷つける言葉などは、
口にしなかった。

あの折、かの折、
時々につけて機転も利き、
才気あふれ、
それでいて温かくやさしかった心、
それからそれへと、
思い続けていると、
またしても涙があふれる。

夕暮のしっとりした時分なので、
源氏はそのまま、
明石の上の部屋を訪れた。

長らく顔出ししなくて、
不意だったから、
明石の上は驚いたが、
こころよく自然に迎え、
身のとりなしも上品である。

やっぱりすぐれた人だ、
と源氏は思うが、
心ない人を見れば、
亡き人が思いだされ、
すぐれた人を見れば、
また亡き人とくらべてしまう。

こちらでは、
源氏は昔がたりをする。

かくも悲しんでいる源氏が、
明石の上はいたわしかった。

明石の上の言葉は、
ゆきとどいて思慮深い。

まことに大人の手ごたえを、
感じさせる人である。

源氏は彼女を相手に、
話していると、
心が落ち着き違和感がない。

源氏は彼女には何を話しても、
理解してもらえそうな気がして、
昔からの死別の悲しみを、
打ち明けるのであった。

藤壺の宮、
紫の上・・・

「夫婦だったから、
あわれをおぼえるのではない。
幼いときから育て、
何十年と共に暮らし、
あまりにも共有した、
思い出が多すぎる・・・」

(このまま、
ここに泊まろうか)

と思いながら、
やはり自室へ帰った。

明石の上にも、
感慨はあったであろう。

源氏自身、

(こんなに心が寄り添っていながら、
もう夜を共に過ごす気になれないとは、
私も変ったものだ・・・)

とつくづく思った。

自室でいつものように、
念仏読経をした。






          

(次回へ)






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