・このあいだ長崎へいくことがあり、
それはある取材のためだったのだが、
それはそれとして、
やはりこの地と広島を訪れたら、
何はともあれ、何度も見たことだけれど、
原爆の資料を展示している場所へ行かねばならぬ。
平和な現代と対照的に、
あまりにもなまなましい残酷な過去をつきつけられて、
辛い思いを味わわずにはいられない。
しかもその過去は風化するどころか、
現代(1989年刊)でももっとも尖鋭化した問題として、
私たちは解決を迫られている。
つまり、核兵器と原子力発電。
広島や長崎の犠牲が、
何の役にも立たなかった時代が来ようとしている。
私は暗澹として資料室を見て歩いた。
学生の修学旅行なのか、
女子中学生も多かったし、
男子高校生の一団もあった。
そして、
数年前に来たときはなかった千羽鶴の束が、
たくさんあちこちの壁にかけられてあるのを見た。
学生たちが見学した記念に、
犠牲者の慰霊にと持ち寄ったものらしかった。
男の子も女の子も熱心に資料の写真を見たり、
説明を読んだりしていた。
外国人旅行者の人々も見かけたが、
英文の説明が少ないのが、
私は気になった。
もっと豊富に英訳文を掲げておくのが、
外国人旅行者たちへの親切ではないか。
いや、それをいうなら、
英語、ドイツ語、フランス語、中国語、スペイン語、
できるだけたくさんの外国語に翻訳して、
会場に掲げるべきではないだろうか。
どんなに声を大にし、
どんなにくりかえしくりかえし原爆の悲惨を訴えても、
充分ということはないのだから。
私は、黒人の青年が、
被爆少女の詩の英訳に顔を近づけ、
熱心に読んでいるのを見たから、
いろんな国の言葉で説明を、
と痛感したのである。
もしかして、
私の目につかなかったところで、
そうした配慮はなされているかもしれないけれど。
私は現在、
緊急になされなければならないのは、
核兵器の廃止はもとよりだが、
原子力発電所の廃絶撤退ではないか、
と思う。
いまある原発の施設の毒だけでも、
たいへんなものなのに、
政府と原発関係者は、
更にまだ二十基以上の原発を、
あらたに建設しようと計画している。
しかし、世界の情勢ではあちこちの国で、
原発の計画は中止されつつある。
原発は代替エネルギーとしては、
あまりにも危険が大きすぎる、
と気づいたからなのだ。
それなのに、
なぜ日本では強気で原発を推進し続けているのであろうか。
この間、ある知人と話していて、
彼は私は知識人の一人として、
その識見をたかく買っていたのだが、
彼がこともなげに、
「将来のエネルギーは、
やはり原発にたよらなければいけないだろう」
といったのでショックを受けた。
かつ、信頼すべき識見ある人がいうのだから、
やはりその意見は尊重すべきで、
私の認識が不十分であったのか、
と反省もした。
私はスリーマイル島の不安な事故や、
日本の敦賀の原発事故を新聞で読み、
いま日本中が、いや世界中が、
死の灰に汚染されるのではないかと怖ろしくなって、
一刻も早く原発は廃棄すべきだ、
と信じているのであるが、
しかしそれは皮相な、
一方的な見方だったのかしら、
と思ったりした。
(次回へ)