むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

4、原発について ①

2022年06月27日 07時48分04秒 | 田辺聖子・エッセー集










・このあいだ長崎へいくことがあり、
それはある取材のためだったのだが、
それはそれとして、
やはりこの地と広島を訪れたら、
何はともあれ、何度も見たことだけれど、
原爆の資料を展示している場所へ行かねばならぬ。

平和な現代と対照的に、
あまりにもなまなましい残酷な過去をつきつけられて、
辛い思いを味わわずにはいられない。

しかもその過去は風化するどころか、
現代(1989年刊)でももっとも尖鋭化した問題として、
私たちは解決を迫られている。

つまり、核兵器と原子力発電。

広島や長崎の犠牲が、
何の役にも立たなかった時代が来ようとしている。

私は暗澹として資料室を見て歩いた。

学生の修学旅行なのか、
女子中学生も多かったし、
男子高校生の一団もあった。

そして、
数年前に来たときはなかった千羽鶴の束が、
たくさんあちこちの壁にかけられてあるのを見た。

学生たちが見学した記念に、
犠牲者の慰霊にと持ち寄ったものらしかった。

男の子も女の子も熱心に資料の写真を見たり、
説明を読んだりしていた。

外国人旅行者の人々も見かけたが、
英文の説明が少ないのが、
私は気になった。

もっと豊富に英訳文を掲げておくのが、
外国人旅行者たちへの親切ではないか。

いや、それをいうなら、
英語、ドイツ語、フランス語、中国語、スペイン語、
できるだけたくさんの外国語に翻訳して、
会場に掲げるべきではないだろうか。

どんなに声を大にし、
どんなにくりかえしくりかえし原爆の悲惨を訴えても、
充分ということはないのだから。

私は、黒人の青年が、
被爆少女の詩の英訳に顔を近づけ、
熱心に読んでいるのを見たから、
いろんな国の言葉で説明を、
と痛感したのである。

もしかして、
私の目につかなかったところで、
そうした配慮はなされているかもしれないけれど。

私は現在、
緊急になされなければならないのは、
核兵器の廃止はもとよりだが、
原子力発電所の廃絶撤退ではないか、
と思う。

いまある原発の施設の毒だけでも、
たいへんなものなのに、
政府と原発関係者は、
更にまだ二十基以上の原発を、
あらたに建設しようと計画している。

しかし、世界の情勢ではあちこちの国で、
原発の計画は中止されつつある。

原発は代替エネルギーとしては、
あまりにも危険が大きすぎる、
と気づいたからなのだ。

それなのに、
なぜ日本では強気で原発を推進し続けているのであろうか。

この間、ある知人と話していて、
彼は私は知識人の一人として、
その識見をたかく買っていたのだが、
彼がこともなげに、

「将来のエネルギーは、
やはり原発にたよらなければいけないだろう」

といったのでショックを受けた。

かつ、信頼すべき識見ある人がいうのだから、
やはりその意見は尊重すべきで、
私の認識が不十分であったのか、
と反省もした。

私はスリーマイル島の不安な事故や、
日本の敦賀の原発事故を新聞で読み、
いま日本中が、いや世界中が、
死の灰に汚染されるのではないかと怖ろしくなって、
一刻も早く原発は廃棄すべきだ、
と信じているのであるが、
しかしそれは皮相な、
一方的な見方だったのかしら、
と思ったりした。






          

(次回へ)

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