「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

2、ヴェニス ⑥

2022年09月11日 08時12分37秒 | 田辺聖子・エッセー集










・私たちはデザートを食べることにする。
いまは端境期で、デザートはオレンジしかない。

私たちの注文を聞くと、
バの字は気を取り直した風に、
そばのテーブルでオレンジの皮をむいてくれた。

これがまた名人芸。

左手のフォークでオレンジの底を刺してしっかり固定したのを、
右の手のナイフでくるくると皮をむいてゆく。

細い皮が紐のように下へ垂れ、
指をオレンジにつけないですっかり剥き終ると、
フォークとナイフできれいに切って皿に並べる。

オレンジはローマでも食べた、
紫色の甘味の強いものであった。

バの字の手際があまりに鮮やかなので、
私は写真をとった。

バの字はニッコリしてウィンクしたりして、
こういうところも、

「愛嬌ありますなあ。
日本の男は真似できまへん」

とおっちゃんはいう。

「ワシも酒入ると、かなり愛嬌ようなるんやが、
奴らはシラフで愛嬌ええねんから」

ヴェネチアの町はせまい。

石畳の路地、石の橋をまがり、渡り、していると、
また見おぼえのあるところへ出たりする。

ともかく、サン・マルコ広場へ戻ればいいのだから、
二百リラ、七、八十円くらいのバス代ではなかろうか。

リアルト橋の両側はお土産屋になっていて、
それを突っ切ると、神戸の湊川市場のような、
大きい市場があらわれた。

野菜市場、魚市場と続き、
川向こうに柱廓のある古い宮殿や貴族の邸宅が見える。

乗り合いのゴンドラが岸を離れ、
人々は買い物の荷物を足元へおいて、
立ったままで乗っていた。

市場は古い建物の柱廓の中にある。

トマトやキュウリ、タマネギ、赤かぶ、にんじん、馬鈴薯、
ピーマン、キャベツ、ブロッコリーなど、
だいたい日本であるのと同じようなもののほかに、
珍しいのは、朝鮮アザミ。

釈迦の頭のような感じで盛り上がった大きなもの、
茹でてサラダにしたり、味をつけて煮たりしている。

茎は繊維があって固いので、
芯のところだけ食べるのであった。

一つ、二百リラ。

ヴェネチアの魚市場もかなり大きい。
そうしてここでは、出勤途中といったような、
カバンを掲げた男たちが、じ~っと魚や貝に見入っている。

私が行ったのはもう朝と昼の真ん中あたりで、
一商売済ませたのか、店をホースの水で洗ってる魚屋もあった。

ここでも広いまな板の上で、細身の刺身包丁を握って、
魚を三枚におろしている器用な手つきのおっさんが居り、
西洋人は「やっぱり不器用ではない」と思い入る。

魚は野菜より名の知れないのが多い。

シャコ、ボラ、舌ビラメ、タコ、エビ、イカ、など、
あとは、フグのごときもの、
イワシのごときもの、
あと、名前も思い当たらない大きな魚、
それに小さいカニ、バイ貝などが山と積まれてあった。

魚の値段は、日本よりはるかに安い気がされる。

ゴム長をはき、くわえ煙草で、
トロ箱を手鉤を使って片づけている、
黒いちぢれ毛の兄ちゃんなんか、
神戸の湊川市場そのままである。

ケンタッキーフライドチキンの爺さん人形のような紳士が、
眼光するどく、魚をじっと見つめ、
またエビやカニを視線をこらして見ているのは、
どういう料理をすればより美味しいかを、
いろいろ想像して楽しんでいるのであろうか。

男も材料を見て楽しむのが、
食い道楽のヴェネチア人なのだろうか。

市場には、気の遠くなるほど種類の多いチーズ屋もあり、
客は、あれを少し、これを少し、
とナイフで一片ずつ切り取ったのを、
たのし気に買い求めていた。

鶏屋は、若鶏の赤むけから、
ヒヨコのごときものまでぎっしりウインドウに詰め、
ハムのたぐいはこれまた一軒がハム専門、
軒から天井までさまざまな種類を売っている。

ヴェネチアの錦市場のようなところである。

海の幸に恵まれたヴェネチアの市民は、
口が奢っているのかもしれない。






          


(次回へ)

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