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・こういう市場の喧騒の中に身をおいていると、
ヴェネチアが沈む、という実感はない。
現にヴェネチアの人にそう聞いたら、
「フ~ッ!」と鼻息あらく叱られてしまった。
ヴェネチアの学校で歴史を教えているという、
フロッシーニ先生である。
ヴェネチアの赤提灯についてガイドに聞こうとしたら、
ヴェネチア中でたった一人日本語を話せるというガイドは、
ただいま旅行中であった。
英語でガイドをする人が代わりに来てくれて、
それがフロッシーニ先生であった。
先生は六十代に見えるが、まだ五十七だという。
上品で人柄のよい紳士であった。
わかりやすい(といっても私にはわからないのであるが)
英語を話し、日本へも度々行った、
神戸は大好き、家には酒の、といって、
店のメモの裏に銚子と猪口の絵をかき、
そういうものを持っている、という。
その下に屋根を三つ重ねて描いて、
これはお城の天守閣のつもりらしい。
その絵だか掛け軸を持っている、
ということであった。
フロッシーニ先生は、
ヴェネチアには屋台や赤提灯というものはないが、
働く人たちがあつまる、
気軽に飲んだり食べたりする店はある、
といって案内してくれた。
ゴンドリエーレ(ゴンドラの漕ぎ手)の行く店だそうである。
いうなら運転手のたまり場、という感じ、
先生はゴンドリエーレたちに学校で、
ヴェニスの歴史を教えたから、
いうなら教え子の行く店、
という感じでもあるようであった。
サン・マルコ広場からリアルト橋へ行く方向の路地に、
「サヨナラ」という店がある。
これは日本語ではなく、
ヴェネチアより北西の町でSAONARA、
ここの主人はサオナラの出身者ということであった。
おっちゃんが、
「マイ・イングリッシュ、ハート、フロム、ハート」
と自分と先生の胸を指すと、
先生は典雅な発音で、
「イエース、イエース」
と大喜びで握手する。
三月の夜は、海上都市はまだ寒く、
みんなオーバーを着ている。
毛皮を着ている観光客の女もいる。
「サヨナラ」は満員、
入ったところにカウンターがあって、
そこに男たちが群がってぎっしり、
奥はレストランであるが、満席のようであった。
ゴンドリエーレは黒いゴンドラに乗るとき、
黒い横じまのシャツを着ていることが多い。
赤いリボンの麦わら帽子をかぶり、
粋な格好で軽舟を思いのまま走らせるのである。
しかし一日の仕事を終えたいまは、
潮焼けした肌に、思い思いの上衣やジャンパーをひっかけ、
さかんにしゃべりながら一杯やっていた。
主人は黒ひげを鼻下にたくわえた、
まだ三十代らしき敏捷な男、
(おいでやす、先生)という格好で側へ来た。
忙しいものだから、
元気よく熱心に先生としゃべり、
メニューの打ち合わせをする。
ここの前菜は、バの字の店よりはるかに美味しい。
シャコ、タコ、エビ、イワシと、
みな同じような種類だが、あたらしくて、
とくにイイダコの子というような、
白いムッチリしたプリプリの歯ごたえは、
面白い味である。
白ワインで乾杯、
「サリューテ!」というのも先生に教えてもらった。
メインはタラ(のごときもの)をボイルして、
それがたっぷり皿に出てくる。
これに好みで、酢、オイル、塩、胡椒で、
味をととのえて食べる。
これは淡白なので、日本人向きかもしれない。
ゴンドリエーレたちは見ていると、
小魚のフライをつまみながら、
一杯のビールで、カウンターで長いこと、
おしゃべりを楽しんでいる。
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