むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

11、蜻蛉 ⑫

2024年07月28日 08時06分39秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・薫も人気は高いものの、
女の住む奥深く立ち入って、
親しくしないので、
女房たちは薫がものをいうと、
緊張するようであった

薫は空虚感をもてあます

妻の女二の宮はありながら、
心がひたすら求めているのは、
中の君

そして幼い時から、
紫の上に共に育てられた、
女一の宮(一品の宮)である

その宮を、
ふと垣間見たことで、
あこがれはかきたてられる

女一の宮は、
夜は母后(明石中宮)のもとで、
おやすみになるので、
女房たちばかりで、
月を見て琴を弾いたり、
おしゃべりしたりして、
くつろいでいた

薫は女房たちのところへ、
近づいて、話題はつい、
女一の宮のことになる

「姫宮はあちらですね
いつもどんな風なことを、
なさっているのですか」

「こんな風に音楽を楽しまれたり・・」

薫はふと、
吐息がもれる

それを姫宮に対する、
思いのため息かと、
気を廻されたらどうしよう

薫はそれをまぎらすため、
差し出された琴をかき鳴らした

西の対には、
かの亡き式部卿の宮のおんむすめ、
宮の君が部屋を頂いている

薫は、
皇族の一人でいながら、
女房になった宮の君の運命に、
心動かされていたので、
そちらへ挨拶に行く

ここでも若い女房たちが、
たくさんいて月を賞でていた

薫が咳払いをして、
訪れを知らせると、
年輩の女房が出てきた

「人知れずお心を寄せています
何か私でお力になれますことなら、
何なりと」

と薫がいうと、
その女房は女あるじに伝えず、
自分で返事をする

「ほんにまあ、
思いもかけぬご境遇になられて、
思えば亡き父宮のお志も、
ございましたものを、
と思い出されます
あなたさまが折にふれ、
頂きます陰ながらのお言葉、
姫君もお喜びでいらっしゃいます」

亡き父宮のお志というのは、
薫を婿にという意図をもって、
いられたのを指すのであろう

しかし女房の取り次ぎだけでは、
失礼じゃないか、
薫は不満である

「これは他人行儀な
人づての取り次ぎとは
私と姫は身内ですが、
今はまして何かにつけて、
おつきあいをと、
願っていますのに」

女房ははっと気づいたらしく、
宮の君に返事を促がしている

宮の君の声が聞こえる

「はじめてのことばかりで、
淋しく思っていましたが、
おっしゃって下さるお言葉、
ほんとに嬉しくて、
心丈夫に存じます」

直接答える声は、
若々しく愛らしく、
恥じらいもある

女房たちの一人とすれば、
興もあるが、
皇族の姫君が男に直接返事するように、
なってしまわれたとは、
薫にも感慨がある

この先、どうなられるのだろう、
と心もとない

その危惧を抱かせられるような、
頼りない軽々しいところがおありだ、
と薫は思う

(お美しい方だろうな
匂宮あたりがまた、
思いを懸けられるのか)

と面白くもあるが、
こうしてみると、
理想的な女性というのは、
この世に滅多にないものらしい

思えば宇治のような、
山ふところに生い立った姫君、
かの大君や中の君こそ、
非のうちどころもなかった

軽々しいと思った浮舟の君も、
風情があって愛らしかった

亡き八の宮ご一族の女人は、
みな慕わしかった・・・

それなのに薫は、
そのどの一人とも、
はかない縁で終わってしまった

それからそれへ思い続ける、
薫の目の前を、
夕暮の蜻蛉がはかなく飛び交う

<ありと見て
手にとらず見ればまた
ゆくへも知らず消えし蜻蛉>

そこに見えながら、
手に取れない、
手にしたとたんにまた、
消えてしまう

はかない命の蜻蛉は、
またわが恋のようだ

やっと捕まえたと思うと、
いつか消えている

薫は永遠に満たされぬ思いに、
苦しむのであった






          


(了)

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