「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、浮舟 ⑦

2024年07月03日 09時05分51秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・いつもなら浮舟は、
時をもてあまして、
思い沈んでいるのに今日は、
日の暮れ行くのを惜しむ人に、
釣られて夕方を迎えた

恋は人の目を眩惑させる

実をいえば、
浮舟は中の君に似ているが、
美しさや気品では劣り、
匂宮の正室、六の君(夕霧の姫君)の、
花やかな器量に比べたら、
そばへも寄れないような、
目立たない存在になってしまう

しかし恋に夢中になっていられる、
宮のお目にははじめて手に入れた、
理想の女性に見えるのであった

浮舟もまた、
今までは薫のことを、
清らかな気品の貴公子、
と思っていたが、
宮と会って、

(繊細で輝くような美しさ、
という点では宮さまのほうが
優っていらっしゃる)

などと思ったりした

夜になって、
京へ使いにやっていた、
時方が戻って来て右近に会った

「后の宮(明石中宮)から、
ご使者がありまして、

『右大臣殿(夕霧)も、
ご不興でいらっしゃる、
人に隠れてのお忍び歩きは、
全く軽々しいお振る舞い、
何によらず主上のお耳に、
入ったりしたら、
私の関任になってしまうのが辛い』

ときびしいお申しでございました
宮さまは東山に籠る聖をご覧に、
お出かけになった、
と人にはいい繕っておきましたが」

と時方はいって、

「実際、
女人というものは、
罪深くていらっしゃいます」

右近は宮の御前に参上して、
時方の口上を伝える

宮は、
本当に京ではどんな騒ぎだろう
思いのままにならぬ身分が、
つくづく情けない
と嘆じられる

「人目をはばかるといっても、
いつまではばかっているわけにも、
ゆかぬ
大将(薫)も私のことを知ったら、
どう思うことか
彼とは身内だから、
親しいのは当然といいながら、
昔から不思議なくらい、
仲がよかったのに、
彼の友情を裏切ることに、
なってしまった
夢にも人に気取られぬように、
あなたをここからよそへ、
連れ出したい」

といわれる

はや今日で三日目であった

なにが何でも今日もここに、
籠っていられるわけにはいかない

夜の明けぬうちに、
お供の人々は促し参らせる

風音も荒々しい、
霧深い夜明けであった

宮はお馬に乗られる時は、
引き返したいように辛く思われるが、
お供の人々はひたすら、
急がせて出る

大内記と時方の二人が、
宮のお馬の口取りを仕っていた

険しい山を越えたところで、
やっと二人はそれぞれ馬に乗った

(そういえば、昔、
中の君に懸想して通ったのも、
この道・・・
宇治の山路はわが恋路
不思議な縁につながるところだ)

と宮はお思いになる

二條院にお着きになったが、
宮は中の君のもとへ、
行かれない

お一人になられたくもあり、
かつ、中の君が、
浮舟のことを隠していたのも、
怨めしく思われて、
ご自分のお部屋でやすまれる

しかしお眠りになれず、
心弱く、中の君の居間へ行かれる

中の君は、
気品高くうるわしいさまで、
宮を迎えた

(これはやはり、美しいひとだ
それにしても・・・
あの浮舟はなんとこのひとに、
似ているのだろう)

宮は浮舟恋しさで、
お胸がふたがり、
浮かぬ顔をされて、
御張台に入ってやすまれる

中の君をその内へ誘われて、
いわれる

「気分が悪くて、
どうなるか心細い
長生きできないかもしれない
私が先立ったりしたら、
あなたはすぐさま、
再婚するんだろう
誰かさんがあれほどご執心だから」

(いやだわ
怪しからぬことを、
しかも本気でおっしゃって)

中の君は思って、

「そんな人聞きの悪いこと、
おっしゃらないで
もしあの方のお耳に入ったら、
あの方も、
お気を悪くなさるでしょう
わたくしの立つ瀬がありません」

宮は思わず涙ぐまれる

(どうなさったのかしら
こんなにお苦しみになって)

中の君は事情がわからぬまま、
宮をいとおしく思った

胸が騒ぐものの、
何の心当たりもないので、
お返事のしようもない

(思えば、
薫さまに頼ったのが悪かった
本来、
何のゆかりもない方なのに、
ご好意が嬉しく、
そのお手引きで宮さまと、
逢うようになってしまった
わたくしの考えが至らないために、
こうして宮さまに、
軽々しく扱われる身になって、
信じて頂けないのだ)

そう思うと、
何もかも悲しくなってしまう

宮は中の君が、
思い沈んださまが、
お可愛く思われ、
浮舟を見つけたことは、
しばらく知らせるまいと思われた

中の君は、
浮舟のことなど、
思いも寄らぬので、
誰がありもせぬ噂を、
宮のお耳に吹き込んだのか、
それとも宮が当て推量で、
疑っていらっしゃるのか、
はっきりせぬうちは、
宮にお目にかかるのも、
気がひける思いであった






          


(次回へ)

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