・兼家の大臣は「蜻蛉日記」の、
作者の夫にあたる方だけに、
ずいぶん強引で一方的な、
利己的な恋を経験なさった、
方だった
ご長男の道隆公は、
そこも似ておられ、
たくさんの恋人を作っていられた
その中で、
学才にたけた高階成忠という、
受領あがりの娘を、
北の方になさった
藤原氏の氏の長者となるべき、
一流貴族に、
もらわれなすったのだから、
受領の娘としては、
大変な玉の輿である
それにこの方、
貴子(たかこ)の上は、
道隆大臣との間に、
七人のお子をもうけられた
男君三人、
女君四人である
女としては、
幸運な方といわねばならない
それにこの方は、
世が軽んじおとしめる、
職業婦人であられた
つまり宮仕えをして、
世間に立ち交じっていらした
円融天皇のおん時に、
禁中の女房をつとめていられて、
父親の名をとって、
高内侍(こうのないし)と、
呼ばれた
道隆公は高内侍を見染め、
言い寄られたわけであるが、
ほかにも同じような女は、
たくさんいたのに、
ついに正室の北の方になさった
「それは、
それだけの方だからよ
ちょっと珍しい方ですもの」
弁のおもとは、
自慢そうにいった
「魅力ある方だし、
文芸趣味のある方
それにお父君ゆずりの漢学の、
素養が深くて、
なまじっか男なんか、
足元ににも寄れやしない
今の世の中の人は、
女が漢字なんか書くと、
ろくなことがない、
女はひらがなの読み書きと、
『古今集』の暗記ができれば、
教養は充分だ、
といったりするけど、
それはあの北の方を、
存じあげないから・・・」
弁のおもとは、
彼女自身かなり教養があり、
柔軟な考え方をする女性で、
私は尊敬している
「北の方って、
魅力的な方よ
才気がおありで、
明るくって面白くて、
大臣がほかの女の人を、
見向きもなさらなくなったの
当然だと思うわ」
というのだった
七人の子をつくり、
中年になっていらっしゃるのに、
いまでもいきいきと、
若々しくてお邸の中心であるらしい
「陽気でいらっしゃるのね
どんな人にもおやさしくて
そうね、
俗世間の人がいう、
女の美徳、
つつましやかさ、
思ったことを半分もいわず、
辛抱している、
そういうことは、
ほとんどなさらないの」
私には想像もできない
そんなにたかい身分の、
深窓の夫人が
「率直だけれど、
意地悪ではないのよ
これだけは絶対よ、
定子姫の明るさと陽気は、
母君ゆずりだわ
お父君もたのしい方だけれど、
冗談がお好きで、
いつもまわりを笑わせて、
いらっしゃる
あのお二方は似合いなのね
性質といい好みといい」
弁のおもとは笑いながらいった
「北の方は、
お酒も召しあがるわよ」
「まあ、ほんと・・・」
「あの大臣に連れ添って、
いらっしゃるのですもの」
道隆の大臣は、
酒の方でも評判の酒豪だった、
道隆の大臣は、
早く酔われるが、
早く醒められる癖が、
おありだという
「男は上戸も、一つの興だ」
という人には、
道隆の大臣の酒豪ぶりは、
ほほえましいものであった
しかし、
だらしないことを憎む人々は、
道隆の大臣に、
好感を持たないらしい
それに若いころから、
恋多き公達で、
あちこちに数知れず、
腹違いの若君がいられることに、
非難の目を向けたりしている
父君の兼家公の愛人だった、
対の上は淫乱で有名だったが、
道隆の大臣は、
この父の愛人にも言い寄って、
娘を生ませたりしていられる
この道隆の大臣の、
奔放な色あさりといい、
酒好きといい、
身分低き女房との、
自由結婚といい、
あたまのかたい人々には、
じつに好もしくない、
苦々しいことにうつった
兼家公の次男で、
道隆の大臣の次弟に当られる、
道兼の君は、
品行方正だったから、
いつも兄君を批判的に見て、
何かにつけて、
非難していられた
この方は、
顔色がどす黒くて、
毛深く、醜男で、
まして気だては陰険で、
剛情という世間のうわさである
「内裏の女人衆にも、
とっても評判が悪いって、
いうことよ
ずけずけいいで、
意地悪ですって」
弁のおもとの話である
この「内裏の女人衆」
というのは、
少年の一条帝にお仕えする、
女房たちよりも、
皇太后・詮子の君の、
ご意向が大きい
当今、
世の中を思うまま、
動かしていられるのは、
東三条の大臣・兼家公と、
そのおん娘で、
一条帝の母君でいられる、
詮子皇太后なのだ
ご譲位なさった花山院も、
更に円融院も、
何のお力もおありにならない
政治的には全く無力である
そうして、
天下と宮中を二つに分けて、
その采配をふられる方というと、
前者が兼家公、
後者は詮子皇太后である
(次回へ)