むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

「3」 ①

2024年09月05日 08時52分31秒 | 「むかし・あけぼの」  田辺聖子訳










・「定子姫は、
ことにどこが面白いと、
おっしゃったとお思いですか
みんなたいそう興深く、
ごらんあそばしたようですけど、
とりわけ、
『心ときめきするもの』
の中に、

唐の鏡の少し暗いのを、
のぞきこむの

とあるあのくだりを、
『すてきな感覚だわ』
とお喜びになって、
いらっしゃいました

それから

『初秋のころ、
風がひどく吹き、
涼しくなって扇も、
もはや手に取らなくなったころ、
汗の香のかすかに残る、
薄い衣を引きかぶって、
昼寝するときの、
はかなくも物悲しい情趣』

そこをとてもお喜びになって、
いました

『今まで、
こんな鋭い繊細な文章は、
読んだことがないわ
歌にだってよまれていない、
と思うわ』

などとおっしゃっていました

『春はあけぼの草子』はいま、
お邸でひっぱりだこですわ
おそれ多いことですけれど、
殿(道隆)の大臣、
北の方もさっそくお読みになられ、

『ほほう、
さすがは歌詠み元輔の娘だけあるね』

とお言葉を賜りました

伊周(これちか)さま、
隆家(たかいえ)さまの、
若公達もお読みになったみたい

でも一番の愛読者は、
定子姫でいらっしゃいましょうね
定子姫は字の美しい人に、
清書させられ、
きれいな唐の紙で装幀なさり、
お手元に愛蔵しておられます

続きを読みたいと、
仰せられましたから、
私まで嬉しくて」

私は弁のおもとの手紙に、
有頂天になった

あの私の生まれてはじめて、
書いた薄い本、
「春はあけぼの草子」

物語でも日記でもなし、
歌の詞書でもなしという、
よりどころのない、
ふしぎな筆のすさびに、
はじめて客観的な評価が、
与えられたのだ

私は死んだ父をのぞいては、
誰一人、わかりあえる人はいない、
と思い続けてきた

それは身近の生暖かく、
肌なれした情愛とは別のところで、
いつも乾きあえいでいる私の、
生身の部分であった

乳姉妹の浅茅も、
夫の則光も、
子供たちも私は、
厭わしいというのではなく、
いまは「愛している」
といってもよかった

手応えのない幸福、
とめどなく安逸に、
なだれ落ちてゆく人生、
それに身を任せる、
あのちょっと後ろめたい、
居直ったふてぶてしい平穏、
私はそこにぬくぬくと、
とぐろをまいて居座っていた

人は慣れれば、
糞の上でも居心地よくなる、
というけれど・・・

でも私はこれらの人々に、

「読んでくれた?
面白かった?」

と期待にみちて、
聞くことはできないのだ

実をいうと、
私は「春はあけぼの草子」を、
同じように権中納言(道長)家に、
お仕えする知人にも、
贈っていた

この父方の縁つづきの婦人は、
兵部の君といって、
道長の君の北の方、
(鷹司殿倫子の君)に、
お仕えしている

私は兵部の君に連れられて、
土御門のお邸も、
拝見させてもらったことがある

道長の君の、
りりしい殿方ぶりを垣間見たのも、
その邸であった

しかし、道長の長兄、道隆大臣の、
北の方にお仕えする、
弁のおもとの話を聞くと、
同じ兄弟とはいいながら、
長兄の道隆さまと、
末弟の道長さまとでは、
気風から家風から、
すっかり違うようだ

双方、
同じようにお邸は活気があって、
栄え陽気でいらっしゃるが、
末弟の道長さまは、
緊めるべきところは、
緊めるといった、
手堅い家風であり、
長兄の道隆さまは、
放縦といってよいほど、
派手やかなようだ

むろん今は、
お年からいっても、
ご身分からいっても、
道隆さまの方が上で、
時めいていられるから、
派手やかにわが世の春を、
うたっていられるのも、
無理はないのであるが、
これは所詮、
それぞれのご性格から、
くるものではなかろうか

お二方の父上、兼家公は、
剛腹な方で、傲岸さに、
芸術好き、学問好き、
当世風の新しいもの好き、
といった気分で、
それを受けついだのが、
内大臣・道隆のお邸の気風で、
あるらしい

だからこそ、
私などの書いた未熟な、
「春はあけぼの草子」を、
珍しがっていただけるのかも、
しれなかった

一方、道長さまのお邸の、
兵部の君にことづけた、
「春のあけぼの草子」は、
何カ月も返事がなく、
ずいぶんたって、

「面白い本を、
長いことお借りして、
ありがとう」

という通りいっぺんの、
手紙と共に、
少しくたびれて戻ってきた

この兵部の君は、
私よりず~っと年かさで、
いうなら、こういう変な本を、
読むひまも趣味もなかったのかも、
しれないけれど、
私としては何となく、
両家の家風の違い、
ということを考えさせられた






          


(次回へ)

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