・元来、脚疾のある私ではあるけれど、
四十代ではまだ元気で阿波踊りに出かけて踊ったりしていた。
五十代の海外旅行もさして支障はなかったが、
六十代に入って歩きなやむようになった。
これは人間を落ち込ませる。
しかしふと、
(そうだ、ステッキというものがある)と思いつき、
ステッキ屋さんで身長にあうように切ってもらい、
ついてみた。
これが実に楽で、
これさえあれば駆けっこも、
富士登山もできるんじゃないか、
とにわかに気分及び前途が明るんで、
ハイの精神状態になってしまった。
私は落ち込みとハイの落差がひどいわりに、
すぐ、くらっと変わるタイプである。
ところが、また再び落ち込んだというのは、
ステッキなるもの、男性用女性用もなく、
黒が多く、地味で陰気臭く実用一点張りというしろもの、
趣味性も美的センスもない。
折よく、姪の一人に器用な子がいて、
既製ステッキを明るい色に塗り替え、
ヴィクトリア朝の花や天使、
あるいはスヌーピーのシールを張り、
透明ラッカーで上塗りして、
楽しいステッキに変身させてくれた。
天下に一品しかない私の自慢である。
私はかねて、自分の好きなもの、
あらまほしいものを自分の小説に書くことがある。
1980年代初めに書いた『恋にあっぷあっぷ』(光文社刊)や、
『お目にかかれて満足です』(中央公論新社刊)には、
しゃれたブティックに風変わりなものを置かせた。
人は悲しいとき、
憂い顔の人形を見るとかえって慰められるというので、
<冥途男 よみお>と名づけた人形。
笑わせる猫のぬいぐるみは<涙食い>。
そんなものの一つに<婦人用ステッキ>がある。
真っ赤なステッキ、横縞だんだらのもの。
当時は奇抜なアイディアだったが、
ブティックの女主人に、
<いまにこんなのがはやるわよ>といわせている。
たちまちにして、そんな時代が来た。
現在ではそういう美しいステッキを、
制作販売しているお店があるのだ。
さきの手作りもいいが、
プロのお店のは、ドレスに調和して美しい。
真紅、ピンク、空色、
お好みで花柄やら、いろいろある。
東京都渋谷区富ヶ谷の<チャップリン>さん、
もう一軒は神奈川県藤沢市鵠沼海岸の、
<ギャラリー・ガゼボ>さん。
こちらは手描き。
とお知らせするのも、
私のステッキコレクションはテレビで放映されたけど、
<どこでお求めになりましたか?>という、
皆さんのお問合せが多かったから。
また空港や新幹線の待合室で、
ふと隣に坐られた年輩の女性が、
私のステッキに目を留められて、
<まあきれい。
どこへ行けば、手に入るでしょうか>
と尋ねられることが多いから。
老人・障害者、イコール地味・野暮・無難・控え目、
というのも因循姑息な、古めかしい固定観念だろう。
時代が変ればステッキの流行も変わる。
まして思想・主義においてをや。
(次回へ)