「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、東屋 ④

2024年06月15日 08時37分19秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・北の方は、
乳母のいうようにしようか、
と思うこともあったものの、
いざ現実に直面すると、
どうしても踏み切れない。

今までの人生でさまざま、
思い知らされた女の運命への、
省察が北の方を躊躇させる。

「あの薫さまは、
長年並々の姫とは、
結婚するつもりはない、
とおっしゃって、
とうとう帝が大切になさっている、
皇女さまを頂かれた。
そんな理想の高い方ですもの、
いったいどんなひとを、
真実、愛されるのでしょう。
せいぜい、薫さまの母宮の、
御殿に宮仕えさせて、
気が向けば逢ってくださる、
というのが関の山。
たまさかのお召しを心待ち、
するだけのよるべない女房暮らし、
とてもこの子に、
そんな人生を味合わせたくない。

匂宮さまの夫人になられた、
中の君さま、
世間では『宮の上』と敬って、
幸運なひとともてはやすけれど、
匂宮さまには権勢家のご実家を、
後ろ盾とされる北の方がいられる。
中の君さまはそのためか、
折々物思いに沈んでいらっしゃる、
ご様子。
それを見れば、
妻一人を守る男こそ、
夫として頼もしいのではないか、
とつくづく思う・・・

私の体験からいってもそう。
亡き八の宮は情深くご立派で、
教養がおありだったけれど、
私のことは人並みに思って、
頂けなかった。
女房として軽くごらんになって、
ひと数に入れて頂けなかった。
それがどれほど情けなく、
辛かったことでしょう。
そこへくると今の主人は、
お話にならないほど分からずやで、
不格好な人だけれど、
私一人を守ってほかのひとに、
心を移すことがないので、
長の年月気を揉むことなく、
今まで過ごしてきた。

今度のように憎らしい、
思いやりのない仕打ちをするのが、
折々あるので気が障るけれど、
女性問題では嘆きを見たり、
恨み辛みを味わうことなく、
お互い言い争っても、
納得できないことは、
はっきり口にしてきた。

それに比べれば、
ご身分高い方々と、
縁を結ぶのは物思い多いもの」

北の方はしみじみと話す。

そこへ常陸介が、
あわただしくやってくる。

介はみずから指図して、
部屋を飾り立てはじめた。

それは北の方が、
姫君の新婚の居間として、
すっきりと念入りにととのえた部屋。

それなのに介は、
気を利かせたつもりで、
屏風など持ち込んで、
ごてごてと立てめぐらし、
調度類を見苦しいまで並べ、
得意になっている。

北の方は、

(みっともないこと・・・)

と思ったが、
この縁談には口出しすまい、
といったことで黙っていた。

介は一人で結婚準備をしながら、

「あれ(北の方)の気持ちは、
よくわかった。
自分の娘にしか関心や愛情がない。
全く下の娘の面倒を見る気は、
ないらしい。
まあよい。
世間には母のない子もいるし、
お父さんが世話をしてやる」

娘を身づくろいさせると、
見苦しくはないさま。

「母さんがほかのひとに、
と心づもりしていた相手を、
わざと選ばなくてもいいが、
あの少将さまはご立派な方だから、
婿に欲しがる人が多いそうな。
そう聞くと、
よそに取られるのは残念だ」

仲人口にのせられて、
そんなことを言っている。

少将は常陸介が、
豪勢な結婚支度をしていると聞いて、

(こちらの期待通りだ。
万事好都合だ)

と会心の笑みを浮かべ、
はじめの結婚式の日取りも変えず、
そのまま妹姫のもとへ、
通ってくるようになった。

北の方と乳母は、
呆れてしまって言葉もなかった。






          


(次回へ)

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