「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

9、東屋 ② 

2024年06月13日 08時54分35秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・北の方は、
連れ子の姫と左近の少将の結婚を、
八月と決め道具類を新調した。

少将の方は約束した八月が、
待ちきれず結婚を急き立ててきた。

北の方は自分一人の考えで、
計画していることに気後れし、
相手の少将の思惑も心配になり、
この縁談を取り次いでくれた人が、
来たので相談した。

「何しろ、
父親のいない娘でございましょ、
私一人でやきもきしております。
うちには若い娘が大勢いますが、
面倒を見てくれる、
父親がついている娘は、
放っておいても、
良縁が得られるだろうと、
そちらは夫に任せ、
私はこの連れ子の娘のことばかり、
かまけております。
私もいつまで生きておりますか、
気がかりで不憫でなりません。
少将さまはものの情けを、
お知りの方でいらっしゃると、
伺ったので、
ご縁組を決心したのでございます。
もし、
お心変わりなさることでもあれば、
あの娘は世間の物笑いになって、
どんなに悲しいことでしょう」

仲人はそれを少将に伝えた。

「何?何だって」

少将の機嫌がいっぺんに悪くなった。

「それでは、
その娘は常陸介の、
実の娘ではないというのか。
そんなことは初めから聞かなかった。
介の娘でないとなれば、
世間の聞こえも一段と劣る。
婿として出入りするのも、
肩身が狭い。
よくも調べないで、
いい加減な話を持ってきたものだ」

仲人は困ってしまった。

しかしこの男は、
口達者なたちであった。

「いや、
実は私も詳しいことは、
知らなかったのです。
大勢の姉妹の中で、
とりわけ大切にしていられる姫、
ということだけは聞きましたので、
てっきり介どののおん娘に、
違いないと思っていたんです。
まさか他人のお子をお持ちとは、
思いもしませんから、
問いただすこともしませんでした。
決していい加減な話を、
持っていったわけではないんです」

仲人は中っ腹で答えた。

少将の方も、
つくろった上品さをかなぐり捨て、
本音をむきつけに出して言う。

「大体だな、
あんな受領風情の家へ、
婿として通っていくのは、
身分からいうと人聞き悪いことだ。
向こうが大切に世話してくれれば、
人聞きの悪さも帳消しになる。
しかし実の娘ではない、
というのは考えものだ。
世間の見る目は違う。
介の継娘をもらったというので、
おれが介の下になったように、
取沙汰するかもしれない。
そんな肩身の狭いこと、
おれには出来るもんか」

仲人は人に取り入るのが、
巧みな男で性質もよくなかった。

この縁談が成立すれば、
少将にも常陸介にも、
取り入るいい機会だと期待していた。

破談になるのが残念で、
熱心に少将を口説いた。

「介どののおん娘が、
お望みならお若くていられる方を、
お取り次ぎいたします。
介どのがたいそう可愛がって、
いられるらしいです」

「縁談の本人の異父妹か?」

「そうです。
お妹さんの方は間違いなし。
介どののご実子ですから」

少将は躊躇しながら、
まんざらでもない顔色。

「おれは女に惚れて、
申し込んだんじゃない。
介を見込んだのだ。
没落した名家は多いから。
少々は人に悪口をいわれても、
金だよ、金。
財力だ、財力第一。
暮らしに困らない、
安らかに世の中を過ごしたい。
だから、
介におれが言ってることを、
よくよく伝えて、
承知するようなら、
おれも無論異存はない。
妹のほうに変更するよ」

この仲人は、
妹が連れ子の姫に、
仕える女房だったので、
その縁で少将の手紙を取り次いだ。

しかし介には知られていなかった。

ところがこの男、
介の邸へ行って、
直接介の前へまかり出、
取り次がせた。

「左近の少将さまの、
お言葉をお伝えに参りました」

というので仕方なく会った。

仲人は、
無愛想な介の顔色を見ながら、
膝をすすめ、

「ここ幾月か前から、
少将さまがこちらの北の方に、
お便りなさって、
姫君に求婚しておられました。
北の方のご承諾もあり、
八月のうちにと、
お約束なさったんでございます。
ところが、
ある人の申しますには、
姫君は介どののご実子ではいられない、
ご身分ある公達が婿として、
お通いになるのはどうだろう。
ほかの婿君より、
劣った扱いで肩身せまくお通いに、
なるというのは、
どうも具合悪うございます。
少将さまはそれゆえ、
ただいまご思案中でいらっしゃいます」

仲人は言葉を強め、

「少将さまははじめから、
こちらさまの盛んなご威勢、
申し分ないご声望を信頼なすって、
ご結婚相手に選ばれたので、
ございます。
実子でない姫がいられるとは、
思ってもいられぬこと。
ですから最初の志望通り、
介どののご実子の姫を、
お許し頂ければまことに嬉しいこと、
ご意見を伺ってこい、
とおっしゃったのでございます」

常陸介には、
思いがけぬ話であった。

「ほう・・・
私は詳しく聞いておりませなんだ。
あの娘は、
本来なら私の実子同様に、
世話すべきなのですが、
ほかに娘も大勢おりまして、
それぞれ身のふり方を、
考えてやるのも大変なのです。
それを母親が誤解して、
私が連れ子に冷たいと、
怨みごとを申します。
その子について、
私に口を出させません。
ですからそんな縁談、
詳しくは知らず・・・
いや、実を申すと、
このお話はまことに嬉しい。
私の娘が・・・」

介は思わず口元がほころび、

「そもそも私めは、
少将さまの亡き父君、故大将どのに、
若くからお仕えしておりました。
お出入りの家来として、
若君を拝見しておりましたが、
そのころからすぐれた方で、
お慕いしておったのです。
ところが長年、
東国を歴任しておりますうちに、
ご無沙汰続きで、
ご機嫌伺いも致しませなんだ。
それがこういう嬉しい、
ご意向を伺いましょうとは。
申すまでもなく、
仰せの娘をさしあげるのは、
わけのないことですが、
今までのお望みを、
私が違えたように母親が、
思いはすまいかと、
ちょっと気になります」

これは脈がある、
仲人は嬉しくなる。






          


(次回へ)

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