むかし・あけぼの

田辺聖子さん訳の、
「むかし・あけぼの」
~小説枕草子~
(1986年初版)角川文庫

9、東屋 ①

2024年06月12日 08時48分34秒 | 「霧深き宇治の恋」   田辺聖子訳










・大君のおもざしを伝える姫君に、
再び会いたい、
薫はそう望んでいるものの、
慎重な性格から、
世間体をはばかって、
すぐ実行に移すということは、
できかねた。

(何しろ、あの姫君は、
亡き八の宮の忘れ形見、
といっても今は常陸介の継娘、
身分が違いすぎる・・・
人聞きも悪い・・・
といってもこのまま、
思い切れそうもない。
あの姫を他の男の手に渡したくない。
常陸、といえば筑波山、
山かきわけてもあの姫を、
という思いは切なのだけど)

薫はあれこれ思いあぐねる。

姫君の母君の北の方は、
弁の尼から薫の意向を、
手紙で知らされていた。

(本気でおっしゃっているのかしら?)

という疑いを捨てきれない。

(それにしても、
よくお調べになったこと。
わが娘が故宮の忘れ形見だなんて。
あの君は、
あまりにも娘とはご身分が違い、
雲の上の人。
こちらが人並みの身分だったら、
もちろんためらわずに、
お申し込みをお承けするのだけど)

それからそれへと、
思い続ける。

というのも、
母君の北の方も姫君も、
常陸介邸では複雑な立場だった。

北の方は姫君を連れ子にして、
常陸介の後妻になった。

先妻はすでに亡くなっていたが、
その子供たちが数人おり、
北の方自身も常陸介との間に、
五、六人の息子や娘をもうけていた。

実の娘を常陸介は可愛がって、
「姫君」と呼ばせて大事にしている。

しかし連れ子の姫は、
他人扱いして差別する風があった。

北の方はそんな夫の心を、
冷たいと恨んでいた。

そのせいもあって、
どうかしてこの娘は、
他の娘より晴れがましい縁組を、
させてやりたいと、
明け暮れ大切に育ててきたのだった。

(幸か不幸か、
この子は飛びぬけて、
美しく生まれついた。
気品もまるで違う。
やっぱり宮家のおん血筋は、
争えない。
でもこの美しさと気品のため、
私は要らぬ苦労までしなくては)

とため息をつくのであった。

常陸介には娘がたくさんいて、
ちょっとした家柄の青年たちが、
恋文をよこしたり、
求婚したりしてきた。

先妻腹の二、三人はすでに、
結婚させ一人前にさせている。

常陸介も元来は、
賤しい出自の人ではなかった。

上達部(中央政庁の上級貴族)の家柄、
それに何といっても介は財産家である。

それゆえ身分のわりには、
気位高く体裁のいい暮らしぶりだった。

風流好みと自分では思っているが、
その性格は粗野で、
田舎じみたところがある。

若い時から東国の辺鄙な地で埋もれ、
半生を過ごしてきたせいかもしれない。

介は陸奥、常陸と歴任してきた。

言葉も東国なまりが抜けず、
権勢家を怖がり、
何かにつけ手抜かりなく、
用心深いところもある。

処世術に油断のない男であった。

笛を吹き、
琴を弾く風流には疎いが、
弓をたくみに射るという、
無骨なたたずまい。

そんな男があるじで、
凡々たる家柄ではあるけれど、
とにかく金持ちの邸の、
花やぎに釣られて、
美しい若女房たちが集まっていた。

いかにも成金趣味の風流騒ぎで、
心ある人が見れば、
にがにがしいかもしれないが、
世間にはそれらも、
いかにも権勢ある花やぎと、
うつるようであった。

求婚者の青年たちは、
派手な雰囲気にあこがれ、
心を燃やしていた。

その中に、
左近の少将といった、
年は二十二、三ばかり、
落ち着いた心ばせの、
学問のある青年がいた。

学問はあるけれど、
金には縁がないという身の上、
今まで通っていた女のところも、
縁が切れて今は常陸介の娘に、
思いをかけ、
熱心に求婚していた。

北の方は、
たくさんの希望者の中から、
少将に目をつけた。

人柄も難がないし、
しっかりした考えの青年、
その上風采も上品である。

彼以上にいい身分の男は、
うちなどと縁組することは、
ないだろうと北の方は思った。

となれば少将は、
最も有力な婿ということになる。

北の方は少将の手紙を、
連れ子の姫に取り次いで、
返事を書かせたりした。

義理の父は薄情けだといっても、
少将は娘をおろそかに、
扱うはずはあるまい、
と北の方は思い、
縁組を決心した。






          


(次回へ)

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