「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

31、若菜(下) ⑮

2024年03月02日 08時34分21秒 | 「新源氏物語」田辺聖子訳










・源氏は、
宮の御しとねの、
端から男の書いた手紙を見つけ、
手に取った。

源氏のそばには、
髪をととのえるために、
女房たちがいた。

女房達は、

(何かのご用で、
ご覧になっている手紙だろう)

と何心もなくいるが、
小侍従だけははっとして、

(昨日のお文の色と、
同じだけれど・・・)

と胸がとどろき、
顔色が変わる気がした。

宮はまだお休みになって、
いらっしゃる。

源氏は衝撃を受けていた。

(なぜあの男が・・・)

と思うが、
色にも出さない。

それにしても、
まず考えられたことは、

(拾ったのが自分でよかった)

ということ。

他の人間が拾っていたら、
どんなことになったろう。

忌わしき噂がたちまち、
舞い立っていたかもしれない。

(何という頼りない、
子供っぽいことを。
こんなものを、
何心のそなえもなく、
投げ散らすということが、
あるものだろうか)

女三の宮の幼稚さに、
舌打ちしたい気が起きる。

(前々から、
思わぬことではなかった。
危惧した通りだった)

帰る道々、
源氏は物思いにふけっている。

源氏が帰ったので、
女房達は宮のお側から離れ、
人少なになった。

小侍従は急いでお側へ寄り、

「昨日のお文は、
どう遊ばしました。
今朝源氏の院がご覧になっていた、
お文の色が似ておりましたけれど」

と申し上げると宮は、

「えっ」

とびっくりなさって、
それでは、
源氏のお手に渡ったのかと、
驚きと恐ろしさで涙をこぼされる。

おいたわしいものの、
小侍従は、

(ま、なんと他愛のない、
頼りない方でいらっしゃるのか)

といらいらした。

「どこへお置きになりました?
あの時、
人がお側へ参りましたので、
わけありげに宮さまの側に、
いては怪しまれると、
私は気を遣って離れたので、
ございます。
あれから源氏の院の、
おいでまでに少し、
時間がございましたから、
きっとうまくお隠しになった、
とばかり思っていましたのに」

小侍従に言われて、宮は、

「あの手紙を見ているうちに、
源氏の院が入っていらしたので、
すぐに隠すことは出来なかったの。
しとねの下に挟んだのを、
忘れてしまって・・・」

と涙をこぼしながら言われる。

小侍従は呆れて、
言葉も出てこない。

しとねに寄って、
さがしてみたけれど、
あろうはずはなく、

「まあ、大変なこと。
あの方とお逢いになって、
まだそんな月日も経っていない、
ではありませんか。
それなのに、
もうこんな失敗が起きるなんて。
すべて宮さまの子供っぽさが、
原因です。
宮さまが、うっかりあの方に、
お姿を見られなすった不用意が、
いけなかったのです。
あの方はそれ以来、
宮さまを忘れられなくなって、
ずっと私に、逢わせよと、
恨みごとばかり言ってられました。
こんなにまで、
深いりなさるなんて、
思ってもいませんでした。
とんだことになってしまいました。
源氏の院は、
秘密をお知りになったに、
違いありません。
宮さまにも、
あの方にも、
最悪の状態になってしまいました」

小侍従はずけずけと言った。
小侍従は心底、宮を案じて、
思ったとおりしゃべった。

宮はお返事もなく、
ただ、泣いてばかり。

他の女房たちには、
ことの次第はわからない。

非常に宮のご気分が悪く、
ものも召しあがらないので、

「こんなにお加減が悪いのに、
院は打ち捨てられて、
紫の上のお世話ばかり」

などと源氏を非難していた。

源氏は例の手紙について、
まだ不審が解けない。

(あの柏木が。
あの宮と)

源氏は人のいないところで、
手紙をくり返し眺めた。

長いあいだ、
恋焦がれていた苦しさ、
やっとのことで望みが叶って、
それゆえになお、
逢えぬ日の辛さ恨めしさ、
それらを綴っている恋文は、
真率な迫力にみち、
読む者の心を打ちはするが、
恋文に、
かくも麗々しく人の名を、
書く馬鹿者があろうか。

かの青年ほどの、
聡明な男が相手の女人への、
思いやりに欠けるではないか。

源氏は、
好感を抱いていた青年だけに、
見落とす心地になった。

それにしても、
宮をこれからどう扱えば、
いいのか・・・






          


(次回へ)

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