・「宮のお具合が、
よろしくないというので、
六條院へお見舞いに行ってくる」
と源氏は紫の上に言った。
源氏は紫の上とかたときも、
離れたくないのであるが、
宮のご不例を聞いて、
うち捨てておくのも、
兄君の主上、
父君の朱雀院にたいして、
義理がわるく、
仕方なく六條院へ行った。
女三の宮は、
柏木とのことが、
良心に咎め、
呵責を感じていられる。
源氏にお会いになるのも、
避けたく思っていられる。
源氏が話しかけるのへ、
お返事も途切れがちで、
口ごもっていられる。
源氏は、
(このところ、
疎遠にしていたので、
やはりこんな方でも、
ふくれていらっしゃる)
とすまない気持ちがして、
やさしく機嫌をとっていた。
年輩のしっかりした女房を呼び、
宮のお具合を聞くと、
「ご懐妊のようでございます」
女房の答えに、
源氏は、
「珍しいことを聞く、
いまごろ・・・」
とつぶやいた。
(宮はここへご降嫁になって、
七、八年になろうか。
もう長年、そんなことはなかった)
まだはっきり、
妊娠と決まったわけでは、
ないかもしれないと源氏は思い、
宮にはそのことを話題に、
しなかった。
やっとのことで来た六條院、
二、三日は滞在したが、
紫の上の容態が案じられ、
しきりに手紙を書いた。
「まあ、
宮さまのところへいらしても、
よくもあれだけお手紙を、
お書きになること。
お気の毒なのは宮さま」
宮の過失を知らぬ女房たちは、
口々に言い合ったが、
小侍従だけは胸が騒いだ。
かの柏木衛門督は、
源氏の君が六條院へ、
おいでになっていると聞くと、
嫉妬に燃えるのである。
彼が嫉妬するのは、
筋違いであるのに、
青年は自制出来なくなり、
手紙を書いた。
青年は、
綿々と苦しみや辛さを綴って、
小侍従に托した。
青年に同情している小侍従は、
源氏が宮のそばを離れたすきに、
そっとその手紙をお見せした。
「いやよ。
そんな煩わしいもの。
よけい気分が悪くなるわ」
宮はお手もふれず、
臥したままいわれた。
「ではございましょうが、
ちょっとだけでも・・・」
と手紙をひろげたとき、
女房が近くへ来る気配。
小侍従は困って、
宮のおそばへ几帳を引き寄せ、
退った。
宮は手紙をちらと、
ご覧になっただけで、
胸がどきどきなさる。
悪事を重ねるようで。
そこへ源氏が入ってきたので、
ちゃんと隠すことも、
お出来になれず、
とっさに御しとねの下に、
差しはさんでおかれた。
源氏は二條院へ帰る、
そのご挨拶を申し上げに、
来たのだった。
「あなたのほうは、
とりたててお悪くも見えないが、
二條のひとはまだおぼつかなくて。
あちらばかり大事にして、
あなたを軽んずるようなことは、
決してありません」
などと話してさしあげる。
宮は長いあいだ、
源氏にお慣れになって、
父か兄のように睦んでいられた。
それで、いつもなら、
久しぶりに訪れた源氏に、
まつわってはしゃぐのに、
今日は打ち解けられないで、
思い沈んで、
源氏に視線も合わせられない。
源氏は、
(すねているのだな)
と思った。
もう一晩、
と宮の申し出に、
源氏は躊躇しつつ泊まったが、
紫の上のことが心配で、
果物だけを食べて寝た。
朝早く涼しいうちに、
二條邸へ帰ろうとして、
源氏は起きた。
「昨夜のかわほり(扇子)を、
どこかへ落とした」
源氏はかわほりを探していた。
かわほりは紙張りの扇子である。
扇は檜の板を綴じたものなので、
風当たりがかわほりよりも、
ぬるいのだった。
しとねが少し曲がったその縁から、
浅緑の薄様に書いた手紙の、
端が見える。
何気なく源氏が引き出してみると、
男の筆跡である。
二枚の紙に、
こまごまと書いた手紙、
源氏はその筆跡を知っている。
たきしめた香も艶な風情で、
意味ありげな文章。
(あの男だな・・・)
と知った。
(次回へ)