「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

15、大阪人の精神構造 ②

2022年05月16日 08時45分55秒 | 田辺聖子・エッセー集










・大阪弁をあやつるから、
みんな間が抜けてとぼけているように、
他国人は錯覚するかも分からないが、
電話を置いた若い衆たちが、

「何ン吐(か)してけっかんね、ド阿保!」

とうっぷんをあとで晴らしている、
そんな大阪弁のすさまじさとドスのきいた凄さ、
巻き舌の早口をいちどでも耳にしたら、
大阪弁の持つ裏の貌も知ることができるだろう。

「毎度おおきに」と深々と頭を下げる、
その裏側にはひとつまちがえば、
そういう罵詈讒謗の飛び出す押しボタンもあるので、
その上での大阪人の当りのよさ、
おかしみなのである。

「ややこしい」
「けったいな」
「えげつない」
「あんじょうする」

等々、他国語に翻訳できない不思議な言葉を無数にもち、
何十通りもある敬語をいちいち使いわけなければいけない、
大阪弁を使う大阪人は、
他国人ことに関東人の、
余裕のない四角四面な会話、
ひいては発想法に面くらってしまう。

「融通が利かん」と大阪人はいう。

東京人と話していると、
話の腰を折られてばかりいる、
という。

大阪では電話をかけまちがっても、

「あんた、何番へ掛けてなはんね。
・・・え?ちがうわ。十番ちがいやわ、
これが金やったら負けたげまんねんけどな」

要らざる冗談をいって楽しんでいる。
すんだあとで一人で「ド阿保!」と怒鳴っていても、
決して人前では口にしない。

たえず息をぬいて力を抜いて、
しかも神出鬼没に人生をわたり歩く。

「ただ金銀が町人の氏系図ぞかし」
と西鶴のいった町である。

「金のないのは首のないのと同じ」
と思われている町である。

江戸時代の「町人の町」という気概
自治制度で来た町、
「天下の台所」と自負して来た歴史を持つ町。

幕府をはじめ諸大名に金を貸したのは、
みな浪花の豪商連で、

「大阪の豪商一たび怒って天下の諸侯懼るるの威あり」
と嘆じられた町だ。

宮城を持つ東京とちがって、
大阪には権威の座標がない。

それに京都のように伝統に固執しない。

天下天下、唯我独尊。

こんにち、御堂さんも寺町の寺も、
ハイカラなモダンな寺に変ってしまった。

阪神高速道路を作って大阪の頭上に道を通す。

法善寺も通天閣も大阪城もおのぼりさんの行く所で、
大阪に住んでる者は関係おまへん、
と子供にさとし、頑強に保守主義を守っているが、
一辺倒に寄りかかっているわけでもない。

「今日び××億ぐらいの金あったら、
総理大臣の首でもすげかえられるのんとちゃいまっか」

なんでや、というと、

「そうかて、日本が戦争にまきこまれたら、
かないまへんよってな。
わしら、前の戦争でもう、こりごりだす。
二度と戦争はいやだんな。
すっからかんになりまっさかい、
もし戦争起こすような大臣やったら、
首すげかえな、あきまへん」

という。

大阪で聞くと現実味がある。






          


(次回へ)

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