「姥ざかり」

田辺聖子著
昭和56年新潮社刊より

10、姥ときめき  ①

2021年09月21日 08時11分23秒 | 「姥ざかり」田辺聖子作










・浦部謙次郎の名前を、ひょんなことから思い出した。

私は今年七十七になる。世間では喜寿の祝いをなさる。

「おばあちゃんもやりまほか」

五十四になる長男が電話で言ってきた。

「いや、そんなこと、せんでもええ。
七十七になったというたかて、
今日び、そのくらいの人、なんぼでもいやはる。
私が百ぐらいまで生きて、やっぱり性根がしっかりしていたら、
その時は祝うてんか。
もっとも、その時はあんたらの方が先にイテもうてるかもしれんけど」

「さよか・・・しかし、相変わらずえげつないなあ。
こっちゃ喜寿の祝いに、家紋の風呂敷でも染めて配って、
なんて思うてたのに」

「ああ、もう、やめてんか」

「ほな、もう喜寿の祝い、せえへんのやな」

「要らん」

「要らんやて、ほな、もうよろし」

長男は怒って電話を切ってしまう。
なぜか、いつもこういうケンカになる。


~~~


・夫亡きあと、息子を社長にしたものの、
まだまだ私が頑張らなければならなかった。

長男は、
(おばあちゃんはず~っとえらい目してきたんやから)
というが、

「えらい目は、当番で来るのや」と私は思っている。

当番制というのは、ふと思いついたのだが、
もともと生きること自体がえらいことではないのか、
と、私は七十年生きて思うようになった。

人間はこの世に生まれるとすぐ「当番」の札を首にかけられる。
神サン(大きい存在)がいて、
「えらい目当番ふりあて役」なのである。

「死に別れ当番」「生き別れ当番」「病気当番」「災難当番」・・・

(ホイ、歌子には会社再建当番)
私は必死に働いて、その当番を果たす。

その上に(亭主に死に別れ当番)(姑にいじめられ当番)
当番の札を二重三重にかけられる。

どうかした拍子に、すべての当番が終わって、
首に何の札もかかっていないことがある。
それが今の私である。

すべて「えらい目当番」を果たしてしまった。
首が軽くなったのがわかると、嬉しくてならず毎日が忙しい。

この身軽さ、気楽さもいつまでのものやらわからない。
もしかすると(病苦の当番)(事故死の当番)(息子に先立たれる当番)
そういう札がまわってくるまで出来るだけ楽しくやればいいのだ。

こういう時にこそ、ぱ~っと派手にやってええのやないかしら。

夜になって、長男も家へ帰ったであろうと、
西宮へ電話すると、嫁の治子が出て、まだ帰っていないという。

「いや、喜寿の祝いをする、ということでちょっと」

「そうそう、お姑さん、おめでとうございます。
パパが『吉兆』でもはりこもか、いうてましたけど、
豊中も箕面も割り勘で持って下さるんやそうです」

シブチン(けち)の嫁は何より先に勘定のことをいう。

「私ゃ、いったん断ったんやけど、
この機会にパ~ッとやれ、という気になってねえ」

「パ~ッと・・・?
『吉兆』よりも老人クラブで民謡踊りでもなさった方が、
賑やかで発散できると言われるのですか?
『ほっかほっか亭』の弁当でも買って」

このシブチン嫁としゃべっていると、
だんだん気が滅入ってくる。

「私ゃ、ド~ンとやりたいのよ。
一流ホテルのホール借り切って、
パーティをしようかと思うんやけどねえ。
みな呼んでバンドも呼んで、好きな音楽やってもろて」







          


(次回へ)

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