今週末のものみの塔研究記事。
「惜しみなく与える」という言葉が、主題を含めると21回も出てきた。
「惜しみなく与える=幸福」つまり「惜しみなく与えない=不幸」だという暗示にかかりそう。
いつもながら、こうするなら神の祝福を得られる、神の祝福を得たいならこうするべき、という論法にうんざりする。
それでもまぁ、1,2,16,17,18節くらいは読んでもいいかな。
後はいらない。
特に12節は全くいらない。イエスが喜んだのはそういうことじゃないでしょ。イエスは弟子たちが「悪霊さえ服する」と言って喜んでるのを、かえって戒めてるぐらいでしょ。喜びは宣教の成功にあるのではないことを、ここでイエスは教えてるのに・・・なんだかなぁ。
「惜しみなく与える」という言葉が、主題を含めると21回も出てきた。
「惜しみなく与える=幸福」つまり「惜しみなく与えない=不幸」だという暗示にかかりそう。
いつもながら、こうするなら神の祝福を得られる、神の祝福を得たいならこうするべき、という論法にうんざりする。
それでもまぁ、1,2,16,17,18節くらいは読んでもいいかな。
後はいらない。
特に12節は全くいらない。イエスが喜んだのはそういうことじゃないでしょ。イエスは弟子たちが「悪霊さえ服する」と言って喜んでるのを、かえって戒めてるぐらいでしょ。喜びは宣教の成功にあるのではないことを、ここでイエスは教えてるのに・・・なんだかなぁ。