教会ではあらゆる数字が意味を持って特別視される。
「3」はイエスさまが十字架にかかられて葬られてから、
3日後に復活されたという大きな出来事から来ている。
これが聖書での一番大きな意味を持つ数字だと思う。
旧約聖書ではヨナという人が魚に飲み込まれて3日間魚の中にいたとされている。
新約ではペテロがイエスさまに「あなたは私を愛するか?」と3度聞かれて、
3度とも当たり前じゃないですか、というような答えをしている。
イエスさまは「ニワトリが鳴く前にあなたは3度私を知らないというだろう」と、
ペテロに言われた。
ペテロはもちろんそんなことがあるはずもないじゃないか、と思っていただろう。
しかし、イエスさまが捕らえられたとき、
民衆に3度「あなたもあの人と一緒にいたね」」「あなたも仲間だね」等と聞かれ、
ペテロは1度ならず3度も「知らない!」と答えてしまう。
そして3度目の拒否をしたまさにその時、ニワトリが鳴くのである。
ペテロはその自分の口を嘆いて号泣した。
またこれは少し意味が違うかもしれないが「三位一体」というのも3である。
三位とは「神」「キリスト・イエス」「聖霊」が一体であるという説である。
「12」という数字はイスラエルの12部族。
ヤコブの息子たち12人が、イスラエルの12部族の祖であるという事で重要である。
またイエスさまの直系の弟子は12人だった。
また、この頃に宝冠などに付ける宝石を4×3列に並べるという記述があり、
誕生石という概念はここから来たのではないかと言われている。
これがまた3で割りきれるというのも不思議だ。
「40」これはモーセがエジプトを脱出して、
民が荒野を40年間、彷徨わなければいけなかった期間のことである。
モーセが十戒を受けるまでシナイ山の中にいた期間は40日。
ノアの洪水の際には40日間の大雨が降ったと書かれている。
新約ではイエスさまが一人で山に登り40日間の断食をされた事も有名だ。
なので、これら3つの数字にはキリスト教では大きな意味がある。
教会も「設立40周年」などと、普通では大きく取り上げないような年を、
重要な記念の年として記念品を配ったり、各方面からお祝いされたりするのである。
また、黙示録では「7」という数字が取り上げられる。
「7つの教会」「7つの封印」「7つのラッパ」などというようにだ。
しかし、黙示録の解釈はとても難しくて、
聖書のマンガ解説や小説聖書などでも、
この部分を納得いくように締めくくっているものはほとんど無い。
教会のメッセージ(説教)でも取り上げられることはまずない。
一番有名なことは「7日ごとの安息日」
こんにちの、1週間が7日であるということだ。
このように聖書を読むときに数字に感心を持って読むことは、
いろんな出来事が関連付いていることに気付かされ、
面白い読み方が出来るようになると思う。
「ゲマトリア」というのは、ヘブル語やギリシャ語のアルファベットの、
それぞれを数字に換算して、そこに意味があるかどうかを調べる研究をいう。
そして「8」
この8はイエスさまに深く関連した数字なのだ。
このゲマトリアという計算方法を用いると、イエス=888という数字になる。
ギリシャ語の「主」「キリスト」「救い主」「御子」「人の子」「神性」なども、
全て8の倍数で計算できる文字となっている。
聖書では「8」は神を表す数字となっている。
ちなみに私たちの教会のチャペルの十字架は、測量技術者の教会員の人が測ったところ、
正確にゴルゴダの丘つまりはカルバリの方向を向いていて、
その距離は8888kmであるということがはじき出されたという、
工事の人達も意図的にではない、まさに誰も知らない奇跡のような事実なのだ。
教会に祝福あれ。
くぅ