某フリマで文語体の新約聖書を手に入れた。
ディスプレイ用にと思っていたんだけど、
中を少し読んで感動してしまった。
文語体って完全に理解するのは難しいけれど、
私たちは現代語の新約聖書を知っているので、
対比させて読むことができる。
その面白さたるや想像以上だった。
どんな時代のどんな環境のどんな人達が、
この本を手に取ってキリスト教を信仰していたのか。
その時に自由な信仰というものが、
神道、仏教とは違ったものにでもあったのか。
またそんな中でほんの一握りの人達が、
キリストの教えを信じようと、
この本を読みつつ心を深めていったのだと思うと、
感慨深いものがあった。
書き込みなどは一切なかったけれど、
裏表紙に信仰告白のようなものがあった。
その文面を指でたどりながら、
この本の所有者に思いをはせる。
なんとも豊かな時間だ。
これは偶然ではなく必然だったのかも。
心洗われる体験だった。
ヨハネ3章16節はこうある。
「それ神はその生みたまへるひとりごを賜るほどに
世の人を愛し給(たま)へり
此(こ)は凡(すべ)て彼を信ずるものに
亡(ほろ)ぶることなくして
永生(かぎりなきいのち)を受けしめんが為なり」
泣きそうになるほど感動した!
くぅ
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