現実逃避 80年代に時間旅行というタイトルで書いていた頃の記事です
もう、あの日から早三ヶ月。遅ればせながら、
この度の震災で被害に遭われた多くの皆様に、お見舞い申し上げます。
・・・・・なんて言ったところで何もできない無力な自分がいます。
何かできることはないかと思ってみても、
毎日程ほどに食事し、心地よい自分のお布団に寝ています。ごめんなさい。
そんなわたしがひとつ言えること、わたしの街も過去に災害に遭ったことがあります。
当時わたしは仕事で帰ることができなかったのですが、二ヶ月後帰省して驚きました。
若干、交通の面で、不便なことはありましたが、
もう、みんなほぼ普通に生活ができていたからです。
そのとき思いました。天災というのは防ぎようなく、とんでもない力を持っているけれど、
そこから立ち上がる人はもっともっと、大きな力を持っている。人の力ってすごい。
その際、家財を失った友人が後に、全部なくなったおかげで、振り返る材料がない、
思い出もなくなったけど、後ろを振り返ってああだこうだ思う心も一掃されたと、ずっと後になって言っていました。
いまはまだそんな心境になれるはずもなく、
思い出よりも大切な家族を亡くされた方もいます。
多くのマスコミは、被災された方の心に寄り添うべくテレビの向こうから訴えてきますが、実際何もできなくてごめんなさい。
確かなことは、この国は何度も窮地から立ち上がってきたということです。
『東京は焼け野原・・・見渡すかぎりの廃墟・・・
だがいつかこの廃墟にも新しい家がたちならび
人々の新しいくらしが始まるときがくる・・・
人々が生きていくかぎりそれはくりかえしくりかえし・・・
愛も人生もそれににて・・・
こわれてはつくりあげ・・・
来たっては去り行くもの・・・
いつかおれもそれにならおう・・・』
これは前回話題にした(いつだったことやら)南野陽子主演で80年代話題になった映画、はいからさんが通るの原作漫画(こちらは70年代作)で関東大震災に遭い、恋にも敗れた編集長こと、青江冬星氏の独白。
今年のお正月時間があったので、たまたま読み返して、この場面のこの独白がいたく心に残っていました。
誰かを悪者に決めなくては済まないような報道の仕方もあります。
でも、誰も予測できない甚大な被害をもたらせたこれは天災。誰のせいでもなく、
怒りや悲しみのやり場はなく、月単位で時間がたてば膨れ上がるのはストレス。
きっとその極みの中にいる多くの皆さんが、過去にいた人たちがそうしたように、
こわれたものをそれでもつくりあげていく、再生していけるとわたしは信じたいです。お願い。再生して下さい。だってわたしは経済面や国力の衰えを無意識ですがどこかで感じ、
ふと暗くなる日々の中で、むしろ被災者の方々の在り方に励まされるときすらあるからなのです。
今のところ募金くらいしかできていませんが、これから長丁場になると思います。
この国の片隅で、何か長期的にできることはないかと考える今日この頃です。
もう、あの日から早三ヶ月。遅ればせながら、
この度の震災で被害に遭われた多くの皆様に、お見舞い申し上げます。
・・・・・なんて言ったところで何もできない無力な自分がいます。
何かできることはないかと思ってみても、
毎日程ほどに食事し、心地よい自分のお布団に寝ています。ごめんなさい。
そんなわたしがひとつ言えること、わたしの街も過去に災害に遭ったことがあります。
当時わたしは仕事で帰ることができなかったのですが、二ヶ月後帰省して驚きました。
若干、交通の面で、不便なことはありましたが、
もう、みんなほぼ普通に生活ができていたからです。
そのとき思いました。天災というのは防ぎようなく、とんでもない力を持っているけれど、
そこから立ち上がる人はもっともっと、大きな力を持っている。人の力ってすごい。
その際、家財を失った友人が後に、全部なくなったおかげで、振り返る材料がない、
思い出もなくなったけど、後ろを振り返ってああだこうだ思う心も一掃されたと、ずっと後になって言っていました。
いまはまだそんな心境になれるはずもなく、
思い出よりも大切な家族を亡くされた方もいます。
多くのマスコミは、被災された方の心に寄り添うべくテレビの向こうから訴えてきますが、実際何もできなくてごめんなさい。
確かなことは、この国は何度も窮地から立ち上がってきたということです。
『東京は焼け野原・・・見渡すかぎりの廃墟・・・
だがいつかこの廃墟にも新しい家がたちならび
人々の新しいくらしが始まるときがくる・・・
人々が生きていくかぎりそれはくりかえしくりかえし・・・
愛も人生もそれににて・・・
こわれてはつくりあげ・・・
来たっては去り行くもの・・・
いつかおれもそれにならおう・・・』
これは前回話題にした(いつだったことやら)南野陽子主演で80年代話題になった映画、はいからさんが通るの原作漫画(こちらは70年代作)で関東大震災に遭い、恋にも敗れた編集長こと、青江冬星氏の独白。
今年のお正月時間があったので、たまたま読み返して、この場面のこの独白がいたく心に残っていました。
誰かを悪者に決めなくては済まないような報道の仕方もあります。
でも、誰も予測できない甚大な被害をもたらせたこれは天災。誰のせいでもなく、
怒りや悲しみのやり場はなく、月単位で時間がたてば膨れ上がるのはストレス。
きっとその極みの中にいる多くの皆さんが、過去にいた人たちがそうしたように、
こわれたものをそれでもつくりあげていく、再生していけるとわたしは信じたいです。お願い。再生して下さい。だってわたしは経済面や国力の衰えを無意識ですがどこかで感じ、
ふと暗くなる日々の中で、むしろ被災者の方々の在り方に励まされるときすらあるからなのです。
今のところ募金くらいしかできていませんが、これから長丁場になると思います。
この国の片隅で、何か長期的にできることはないかと考える今日この頃です。
被災地を実際にご覧なった方は、また違った多くのことを考えるのでしょうね。
>>>いつぞや目指していた人間と、かけ離れてしまっている事に気付いてしまいました。
成りたい自分・・・わたしはその成りたい自分に成れていないことで、自分の人生はまだ始まっていない、そこからでないと始められないと自分に対して嘯いてきました。
気がついたらただ同じ場所に立ち止まっていただけでした。
これからも、成りたい自分に成ろうともがき続けるか、諦めてしまうのか、これもまた好しとして享受するか甘受するか。
立ち止まった足元にそのぎりぎりのラインが引かれているのに気づきました。
小生、仕事で被災地(お客さんの所)へ行きました。
暫くは、悲しくて、役立たずのくせに、落ち込んでいましたが、今は又、自分の生活にほぼ全ての能力(平均以下ですが)を費やしています。
今回の震災で、私と言う人間が、いつぞや目指していた人間と、かけ離れてしまっている事に気付いてしまいました。
ですが、危機感、緊迫感はありません。